【睇戲】『中英街一号』(港題=中英街1號)<ワールドプレミア上映>

第13回大阪アジアン映画祭 《コンペティション部門》
特集企画《Special Focus on Hong Kong 2018》

『中英街一号』<ワールドプレミア上映>
(港題=中英街1號)


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今回、最も観たかった作品。上映回数2回だったが、小生は2回とも観た。他は観られなくても、これだけは絶対外せないと思っていたほどだから。

構想から8年もの年月を費やして完成した「大作」、香港の映画ファンが待望していた作品にも関わらず、いまだ香港での上映機会の見通しがない、「香港の俳優を使って香港で作った香港映画」の「世界初上映」なのだ。これまでも、この大阪アジアン映画祭で、香港映画の「世界初上映」はあったが、あくまでも映画祭での初上映にあわせて制作され、後日香港で劇場公開されている作品だった。しかし、この『中英街一号』はそれらの作品とは様相が違う。果たしてそこに政治的な力が動いているのかどうかはまったくわからないが、今の香港にそういう「空気」が漂っているというのは、間違いないことである。

この「世界初上映」に合わせて、監督の趙崇基(デレク・チウ)、主演の游學修(ネオ・ヤウ)、小野こと盧鎮業(ロー・ジャンイップ)、廖子妤(フィッシュ・リウ)の4人が来阪、上映後に舞台挨拶があるというので、色々なコメントが聞けると思う。是非、話を聞きたいと思うのが、永久居民の人情ってやつだろう。その思いに、民主派も親中派もないと思う。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

29177385_238798653353113_9182985802240491520_n港題 『中英街1號』
英題 No. 1 Chung Ying Street
邦題 『中英街一号』
製作年 2018年
製作地 香港
言語 広東語
評価 ★★★★★(★5つで満点 ☆は0.5点)
導演(監督):趙崇基(デレク・チウ)
領銜主演(主演):游學修(ネオ・ヤウ)、盧鎮業(ロー・ジャンイップ=小野)、廖子妤(フィッシュ・リウ)

文句なしの★5つ。★10個でも足らないくらいだった。
このところ、大阪アジアン映画祭で上映される香港映画には、少なくとも1本は社会派作品、政治的に敏感な作品が含まれている。一昨年の『十年』は中央からは「無いもの」とみなされているし、シアター側も上映には消極的である。昨年の『一念無明』はそういう政治的きな臭さはないものの、香港の底辺を鋭く描き、大阪での上映後には客席が静まり返るほどの衝撃を与えた。そして今年の『中英街一号』である。


この映画を観るにあたって、最初に頭に入れておいた方がいい地名や事件がある。まずはタイトルや舞台にもなっている「中英街(Chung Ying Street)」。そしてその「中英街」がある「沙頭角(英:Sha Tau Kok、中:Shatoujiao)」、映画の前半に起きた事件「六七暴動」。知らなくても十分胸に響く作品だが、知っておくとより作品への理解が深まる。

沙頭角には香港・中国間の関所である「沙頭角口岸」があるので、小生は中国側へのゴルフの行き帰りに何度か通過しているが、立ち入りの許可証(禁區紙)が無いのでバスでの通過しかできない。よって、関所の外がどんな街なのかは見たことがない。そもそも禁區紙なるものを外国人が取得することはまず不可能。香港人でもよっぽどの理由がないと発行してもらえないし、中国人でも一定の条件を満たした自国民にしか許可を与えていない。なんでそういうことになっているのか? これを一から詳しく話し出すと、一晩あっても足りないので、大まかな流れを記しておくことに。

英国が新界を租借地とした際に、中港境界とされたのは川だったのだが、そいつが枯れていつの間にか両岸だった場所に家屋が建ち、川だった通りが「中英街」と呼ばれるようになる。と言っても当時は、英界(英国領側)の住民も華界(大陸側)の住民も往来は自由であったようだ。このフリーダムな空気が一変したのは、1949年の共産党国家成立。翌年には中港境界は封鎖される。それでも沙頭角住民の往来は相変わらず自由だったようだ。ただし、中英双方はそれぞれに町を封鎖し、外部からの立ち入りを禁止する。劇中で、盧鎮業(ロー・ジャンイップ)演じるジーホウが、検問所で止められる場面があったが、まさにそれである。

これに輪をかけたのが、大陸側の文化大革命である。影響を受けた香港市民の中には、暴力に訴える者も現れ、反英デモすなわち「六七暴動」へと発展してゆく。このとき、沙頭角でも大陸側警備兵と香港警察が衝突し死傷者も出た。恐らく、映画で描かれていた沙頭角での衝突は、この事件をベースにしていたんじゃないかと思う。暴動をきっかけに、沙頭角のパトロールは「中英街」を境に中英が分担して行うようになった。

97年の香港返還以降も、沙頭角=緩衝地帯という図式に大きな変化はなく、今なおもって禁區紙が必要なのである。これを「一国両制」ならぬ「一街両制」と呼ぶらしい。

さて、薀蓄は置いておき、映画だ、映画。

二つの物語から成る。前半は上述の「六七暴動」にまつわる物語。游學修(ネオ・ヤウ)演じる社会主義に熱狂するジャンマン、その幼馴染で廖子妤(フィッシュ・リウ)が演じる西洋文化への憧憬と周囲の社会主義の熱狂の間で心が落ち着かないライワー、ライワーへ想いを抱く盧鎮業(ロー・ジャンイップ)演じるジーホウ、さらには大陸からの密入境者ウィンキュンが、いかにして「反英」の渦に巻き込まれていったかを描く。

後半は、2019年の香港。現在の2年先の話。いつのなんの運動とは明確にされていないが、時系列的には「雨傘」だと思われるが、そこは何とも言えない。その運動にかかわった三人の若者(游學修、廖子妤、盧鎮業がそれぞれ二役)と、六七暴動から50年経過してすっかり老いた、今では小さな畑を耕す元・密入境者ウィンキュンが、商業施設建設を強行しようとする政府やデベロッパーに対して、抗議の声を上げるという物語。

一見、何のつながりもない二つの「運動」だが、通底するのは「自分たちが住むこの地のために」闘ってゆくという姿だった。二役に加えて、どちらの歴史もその真っ只中にいたウィンキュンを通じて、香港が、香港に住む者が何と闘ってきたのかが、心に迫ってくる。

全編モノクロの映像は、カラー映像ほど多くは語らないが、その分、観る側に多くを考えさせる、想像させる力を持っていることを、改めて思い知った。

モノクロ映像については二つの意義があったと、上映後に監督が話してくれた。「理由は2つ。ひとつは製作上の理由。予算が非常に限られていて、60年代のセットを作るのは大変だし、今の香港には60年代のような街並みは残ってないから白黒で撮ってごまかした。で、撮影をしているうちに、白黒で撮ると、この映画に「白か黒か」という意義を加えることができた。今の香港社会、まさに「白か黒か」の状況ですからね」と。

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上映後の舞台挨拶、趙崇基(デレク・チウ)監督は挨拶の言葉を発するや否や、感極まってしまう。様々な思いがあったことと察する。游學修(ネオ・ヤウ)がすかさず、「では、まずは僕からお話しします」と好フォロー。

「監督はこの映画の製作にあたって、大変な努力をしてこられた。だから今日こうして皆さんと観ることができて、感無量なんだと思う」。その横で、監督と同じように涙をぬぐう廖子妤(フィッシュ・リウ)も同じ思いだっただろう。すごく感動的な、こちらまで感無量の涙があふれてくるほどだった。

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「2010年、この映画を撮りたいと思い始めて、完成まで8年かかった」と趙崇基(デレク・チウ)監督は言う。そして「なぜ今、香港でこのような映画をつくるのが難しくなってしまったのか、私にもよく分からない」と続けた。小生自身、この作品を観て、「何が誰をどんな風に刺激し、何がどう敏感な内容」なのか、はっきりとわからないというのが、正直な感想である。

さらに「以前の香港なら、どんな映画でも自由に作れたし、この映画作製の8年間だって、外部からの圧力も無かった。しかし、撮影期間中に、香港映画界が変わっていくのは感じていた。映画界全体に自粛ムードが強まっている」。結局は、そこだ。映画界が自分たちで自分たちに圧力をかけているのである。「そんな具合だから、資金集めやキャスティングも困難だった。多くのスタッフもノーギャラで助けてくれた。多くの役者が『政治的な映画に出るのは怖い』『この映画に出て中国で仕事ができなくなるかも』など腰が引けていた」とも語った。

「政治的な映画に出るのは怖い」「中国でのビジネス云々」、どちらも香港映画にとっては深刻な問題である。店主ら関係者が中国公安に拉致された銅鑼灣書店事件を目の当たりにすれば、前者を言う役者を責めることはできないし、マーケット規模や撮影資金を考えた場合には後者も責めることはできない。こうして香港の文化は中国に飲み込まれてゆくのである、いやもうすでに完全に飲み込まれたと言っていいかもしれない。

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ゲスト4人のサインは貴重な宝物

1990年生まれの游學修(ネオ・ヤウ)は、これが長編作品5作目。最初の出演作となった『私たちが飛べる日(港・哪一天我們會飛)』『十年』が上映された一昨年の大阪アジアン映画祭に次いで2度目のゲスト来阪。いい俳優になってきたという印象。廖子妤(フィッシュ・リウ)は昨年に次いで2度目。大阪アジアン映画祭では、一昨年の『レイジー・ヘイジー・クレイジー(港・同班同學)』、昨年の『姉妹関係(港・骨妹)』、そしてこの『中英街一号』と3年連続主演作品が上映されている上、今年の上映作では『恋の紫煙3(港・春嬌救志明)』にも出演しており、もはや常連。小野こと盧鎮業(ロー・ジャンイップ)は、2014年に開催された「マカオ映画祭」で上映の『花の咲かない果実(澳・無花果)』での好演が評価高く、日本にも案外とファンが多い。

すでに劇中気づいていたんだが、改めてサイン会の時に確認したのは、游學修と盧鎮業は二人とも左利きであるということ。で、思わず盧鎮業に「咦?都係左手?=お、二人とも左利きやねんな?」って聞いたら、「係呀、係呀~=せやねん、せやねん」って笑ってたよ(笑)。

ちなみに「中英街一号」のネーミングは、監督によれば「中国側のデベロッパーが開発しようとしていたアパートメントの名称にヒントを得た」とのことで、検索してみたら、2013年の新築で、すでに中古物件として販売されているようだ。お暇なら「中英街1號 沙頭角 二手」で検索してみてください。その価格にびっくらこくことでありましょう。

さて、香港では、この作品の一日も早い香港での上映を待つ声は高く、「大阪で世界初上映ってのが情けない、悔しい」と嘆く声も多いのだが、こういう声を報じるメディアは、当然、こういう声しか拾わないから、それこそ香港全体がそう思っていると見えてしまう。だが、実際はどだろう?

2019年、年老いた元・密入境者ウィンキュンの畑仕事を手伝う3人、そこへかつて六七暴動で警官隊と衝突したウィンキュンの「同志」だった男が来て、騒ぎを起こしてどうするんだ?大人しく土地を手放してそれなりのカネをもらえばええじゃないか、みたいな話をする場面があったが、案外、大方の香港市民の本音はそういうところだろ。別に、返還後、人心も変わったということではない。本来がこの街の人たちはこういう考えだった。中国ビジネスで儲かれば別に民主的でなくてもいいけど、全面的な普通選挙権を得られるなら民主派デモにも参加するし、という生き方。要するに、「人の心も『一国両制』」なのである。

どっちであっても、小生の実生活には何の影響も及ぼさないので、好きにやってくれたらいい。ただ、日本も含め西側メディアは97年の返還にあたって、「香港を見守ってゆく」などと大見得切ったわりには、こういう映画の動きには鈍感すぎるな。

どっちゃにせえ、映画上映くらいは自由にできる香港であってほしいなあと、思うのであるが…。「あかんのか? 習近平よ」と聞きたい。あ、聞くまでもないか。

中英街1號 先行預告

(平成30年3月16日 ABCホール、18日 シネ・リーブル梅田)


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