第11回大阪アジアン映画祭
特集企画《Special Focus on Hong Kong 2016》
『十年』
(港題=十年)<海外プレミア上映>
第11回大阪アジアン映画祭、いよいよ最後の上映作品。この上映を以て、今年の同映画祭は幕を閉じる。同じころ、ABCホールではクロージングセレモニーと各賞表彰、さらにはクロージングフィルムとして『モヒカン故郷に帰る』(日・2016)のワールドプレミア上映会が行われていたが、あえてそれを振り切り、このシネリーブル梅田へ『十年』を観に来た人たちは、上映後の舞台挨拶で司会者氏曰く、「非常に問題意識の高い人」になるらしい。正直なところ、小生はそれほど問題意識が高い人ではないが、一応、近所回り友達回りだけでも「香港、台湾、中国のことならあの人に聞け」と言われている存在なんで、観ておいて後で講釈ネタにしようではないかという下世話な思惑があって、こっちへ来たという次第(笑)。
「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。
港題 『十年』
英題 『Ten Years』
邦題 『十年』
現地公開年 2015年
製作地 香港
言語 広東語
評価 ★★★★☆(★5つで満点 ☆は0.5点)
導演(監督):
●第1章『浮瓜』 郭臻(クォック・ジョン)
●第2章『冬蝉』 黄飛鵬(ウォン・フェイパン)
●第3章『方言』 歐文傑(ジェヴォンズ・アウ)
●第4章『自焚者(=焼身自殺者)』 周冠威(キウィ・チョウ)
●第5章『本地蛋(=地産卵)』 伍嘉良(ン・ガーリョン)
主演(出演):●『浮瓜』‥利沙華(コートニー・ウー)、陳彼得(ピーター・チャン) ●『冬蝉』‥黄静(ウォン・チン)、劉浩之(ラウ・ホーチー) ●『方言』‥梁健平(リョン・キンピン)、周家怡(キャサリン・チョウ) ●『自焚者』‥吳肇軒(ン・シンヒン)、游學修(ネオ・ヤウ) ●『本地蛋』‥廖啟智(リウ・カイチー)
過日、開催された「HONG KONG NIGHT」で伍嘉良監督は、来阪した3人の監督を代表して「こうなってほしくはない香港を撮った」と発言していた。小生も同じ思いで『十年』を観た。胸苦しい気分で観たシーンもいくつもあった。小生は決して、民主派や台頭してきた「本土派」「港独派」などの新興勢力に与するわけではないし、反対に北京中央政府の0%の不干渉が香港を幸福にするとも思っていない。むしろ「度を越えない程度の干渉」があるのが「返還」の望ましい姿だと最初から諦観している。とは言え、必要以上に中央に干渉されたり翻弄されたがため、本来は「つかず離れず」でなんとか安定を保てるはずの香港が、社会を二分、三分するような混乱に陥れられてしまうのは、どうしても我慢ならないのである。ここ数年の香港は、確実にそういう方向へ向かっているような気がしてならない。いや事実そうだろう。
これは、中央の傲慢と、同等もしくはそれ以上に香港民主派、とりわけ民主党に代表される「汎民主派」のミスリードと無能が招いた結果だというのは、これまでも拙ブログで何度も記してきたことだ。
見え映えの良いポーズや勇ましい掛け声のみで、実行力が著しく欠ける激進民主派までも含めた汎民主派の無力ぶりに、「これはもう任せておくわけにはいかない」と立ち上がったのが、「學民思潮」の中高生たちと「學聯」の大学生たちである。
まず「學民思潮」は、黃之鋒(ジョシュア・ウォン)を先頭にして2012年の「中国人としての誇りと帰属意識を養う」ことを目的とした「国民教育」の導入に反対した。「學聯」こと「香港專上學生聯會」は、2014年の「佔中=Occupy Central(セントラルを占拠せよ)」すなわち雨傘行動で、一時はリーダー的な存在となり、特区政府高官との会談も行っている。
前者の活動は、特区政府が国民教育の導入を事実上撤回したことで、ある程度の成果を上げることができたが、後者の活動は長期化に伴い、九龍側の占拠地である旺角(Mong Kok)では占拠に反対する人士との暴力的衝突が頻発し、事態は予想外の方向に進んでしまう。ここではもはや學聯の機能は制御不能となり、市民が賛成、反対に二分されて衝突を繰り返する夜が続く。
こうした状況において、従来の汎民主派の影は非常に薄かった。と言うよりも、存在感は限りなくゼロであった。すべてを中央の香港政策の責任にする向きがあるが、こうした混乱の背後に、汎民主派のリーダーシップの欠如があるというのは、海外から香港を観察する場合、必ず心にとどめておくべき点である。これまでの拙ブログの香港関連の稿を見ていただければ、一目瞭然であるはずだ。
そういうことを頭において観ていたから、余計に悲しい。制作時の10年後、2025年がこの作品の時代設定だが、10年後どころか、「これって、今のことでしょ?」というような場面も多々ある。その都度、「大人は、民主派は、何をやって来たんだ?」という怒りに似たむなしさがこみ上げてくるのである。
『方言』『自焚者』『本地蛋』は、すでに今の香港で兆しが明らかに見え始めている現象である。
『方言』:普通話(標準中国語)が話せないタクシー運転手は、埠頭や空港で客待ちできないというストーリー。ご存知のように香港は、繁体字で文章を書き、口語は広東語である。これが覆されるというストーリーは、「まさかそこまで」と思われるかもしれないが、実際、TVBの地デジチャンネルの一つ「J5」では、大半の番組が普通話で放映され、同チャンネルのニュース番組は字幕、テロップなどの文字情報が大陸で使われている簡体字だという。ネットでは繁体字 vs 簡体字の論争も起きている。
『自焚者』:2003年7月1日。国家安全法の立法化に反対した市民50万人が抗議のデモを行ったのは、香港生活15年の中でも忘れがたい1日だった。作品では、その国家安全法が成立した香港で、市民が抗議活動を行うことの難しさむなしさが描かれる。最後に謎の焼身自殺者の正体が明らかになるシーンがあったが、そこに周冠威(キウィ・チョウ)監督の香港社会への絶望感すら感じられた。随所に救われるような言葉も散りばめられてはいたが…。
『本地蛋』:テレビドラマで顔を見ない日がないほど、テレビに映画に大忙しのベテラン俳優・廖啟智(リウ・カイチー)が、このようなインディー作品に出演しているのが嬉しい。そして役の上ではあるが、非常に重みのある言葉を語る。「人の言うとおりにする前に、まず自分で考えろ」。これからの香港、ますますこの言葉が重みを増すような気がする。また、「これって『銅鑼湾書店』のことではないか!」というシーンもあって、描く内容が10年後どころの話ではないことを改めて実感した。
昨年12月封切り。最初は単館公開。9週間のロングランとなった上映期間中に上映館が6館まで増え、興行収入は600万香港ドル(にまでなった。これは香港のインディー映画としては異例の好成績だという。反響が反響を呼び、今も地域コミュニティや学校などからの上映依頼が続いているという。
大陸の新聞『環球時報』は1月22日付紙面の社説で、「『十年』が描く内容は荒唐無稽であり、10年後の香港が映画のようになるなどありえない話だ」と批判。一篇のインディー作品が、中共の影響下にある大陸紙の社説で取り上げられるというのもまた異例である。中共の香港への警戒感は香港人が中共に抱くそれよりも強いのかもしれない。
ちょうど 制作期間中に雨傘活動があった が、黄飛鵬監督は「影響は受けていないが、香港人が変化を求めていることはわかった」と言い、伍嘉良監督は「雨傘活動は脚本を書いていた時期に起きたので影響されたかもしれないが、私はあくまで自分の考えを作品化しようと思った」と言う。また歐文傑監督は「広東語に関する作品を撮りたいと思っていたし、雨傘の影響は受けたくないと思ったから、自分で探求した。情緒面では影響を受けたようには思う」と語った。
その「雨傘」のその後だが…。
3月20日、活動の中心母体の一つだった「學民思潮」は、解散と新組織の活動を正式発表した。 「無憾告別 重新啟航=別れに心残りなし、新たな船出」 とのメッセージが意味するところは、政党活動をする者と新しい学生組織を結成する者に分かれて、新たな出発をするということだ。19歳(今年10月に20歳)の少青年が、いよいよ政治活動にデビューすることを、「素晴らしいこと!」と称賛するか、既成政党とりわけ民主派政党に対する無力感の表れと見るか。いずれにしろ、彼は恐らく従来に民主派とは一線も二線も画して、独自の民主化路線を打ち出すと思う。とにかく「要観察」人士の一人である。
これに対して「學聯」はすっかり存在感がなくなってしまった。雨傘の終盤あたりから、各大学学生会の學聯に対する「評価」は芳しいものではなくなっていったが、香港独立を提唱する「本土派」などを支持する学生らの激しい突き上げなどもあり、中心的組織だった香港大学学生会が脱退。理工大、城市大、浸會大もこれに続き、その求心力は著しく低下してしまった。
それとひきかえに、「本土派」「港独派」などの新しい勢力の行動が目立ってくる。「本土派」とは地元至上主義。「港独派」は香港独立論を掲げる一派。いずれにも共通しているのは、極端な「嫌中」と徹底した「反共」、そして警察を含む「反香港政府」。今年の農暦新年、不法屋台の取り締まりに端を発した衝突での一部市民と警察隊との暴力的衝突などをリードするのが、このグループである。決して市民の声を代表する一派ではないが、雨傘も含め従来の民主活動を生ぬるいとし、流血を伴う激しい抗議行動も辞さないという姿勢だけに、これからも大なり小なりこの一派の動きが引き金となって、衝突が起きるのは間違いないだろう。
大きな相手と対する活動は、ときに社会の分裂と対立、憎悪を生む。それを見てほくそ笑んでいるのは誰か。
この作品は、そこのところを香港人がしっかり考えてみる必要があることを、教えてくれるきっかけのような気がする。また、多くの香港人がこの映画を観て、そこに気づいてくれることを願ってやまない。エピソード5の『本地蛋』で、廖啟智が演じる玉子屋の主が言うように、「人の言うとおりにする前に、まず自分で考えろ」だ。
来る「香港電影金像奨」では、最優秀作品賞にノミネートされているこの作品。さあ、どうなるか!
(映画祭出品作品に付き、甘口評、辛口評は割愛)
【第三十五屆香港電影金像獎最佳電影提名】 《十年》 官方預告片
(平成28年3月13日 シネ・リーブル梅田)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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