【毒書の時間】『俺の自叙伝』 大泉黒石


岩波文庫というのは、ちょいちょい「〇十年ぶりの復刊」だの「没後〇十年にして初の文庫化」などで、忘れられていた作家や、埋もれていた作品を再び世に送り出してくれる。ところが、大々的に売り出した後は、「在庫無くなったら、それでおしまい!」みたいなところがあって、「いずれ買おう」と思っているうちに「版元在庫切れ」になってしまうことも、これまたちょいちょいあるのだから、油断ならない。今回読んだ大泉黒石『俺の自叙伝』もそうなってしまいそうな予感がするので、書店で平積みされているうちにさっさと買っておくことにした。もしかして、岩波商法に乗せられてしまってる?(笑)

『俺の自叙伝』 大泉黒石

岩波文庫 ¥1,155

これはまた、大変な作家に出会ってしまったものである。品定めのつもりでパラパラと立ち読みして、出だしの一文で「即、買い!」となった。その出だしは、

アレクサンドル・ワホウィッチは、俺の親爺だ。親爺は露西亜人だが、俺は国際的の居候だ。

のっけからこの饒舌文体が一気に読み手をひきつける。そして「国際的の居候」という表現。いっぺんに気に入った。こういう物言いをする人間の書いた文章、まず、ハズレはないだろうと思ったのだ。果たして、ハズレどころか「大当たり」、それも近年まれに見る「大当たり」だったのだ。

作者の父はロシア人で、在華領事館勤務の外交官。そしてもしや…、と思いWikiを見たら「やっぱり!」。作者は昭和のコメディ役者、大泉滉の父親だった。大泉滉と言えば、小生らの年代ならば『仮面の忍者赤影』の「卍党編」で、ギヤマンの鐘の秘密を知る人物として、甲賀幻妖斎率いる卍党に追われる南蛮宣教師・ジュリアン役の人で、ピンとくる。さらにはアニメ『ダメおやじ』の声でも有名。だって、上の写真を見給え、そっくりではないか!

大泉黒石は明治26年(1893)10月、長崎県八幡町(現・長崎市)生まれ。父親のアレクサンドロス・ステパノヴィチ・ワホーヴィナは、当時は天津のロシア領事館勤務の外交官。母親は旧士族で、下関税関長の娘、本山ケイ。ロシア文学にあこがれてロシア語を学び、皇太子時代のニコライ二世の侍従として来日中だったアレクサンドロスが求婚した。ケイは一子を出産するも、産後の肥立ち悪く死去。子は大泉清。後に自らを「キヨスキー」と呼ぶこともあった、作者本人である。小学校3年までを長崎で過ごし、父親を頼って漢口へ行くも、その後死別。本書ではこのあたりからの流転の日々が綴られている。

四篇から成るこの自叙伝は、やたら痛快で面白い。それは黒石の流転の日々が面白いだけでなく、それ以上に黒石の「人間」としての面白さがある。達観しているようで、無鉄砲で短気な性格であり、時に素っ頓狂で破天荒、時にあっけらかん…。多様な顔を持っており、非常に魅力を感じる。ただし、友達だとしたら、かなり面倒ではある(笑)。

本書は自叙伝であるが、作家・大泉黒石が「キヨスキ―というロシア人を父に持つ日本人男子を主人公として」描いた小説の様相を呈しているのである。恐らく随所で実話にそれなりの脚色はされているんだろうが、楽しく読ませてくれれば、それでいいじゃないかと思うが、どうでしょう?

少年期に、短期間ではあったが、かのトルストイとの日々とという貴重な体験をする。もっぱら「お爺さん」呼ばわりするが、その後の生きざまに多大な影響を及ぼしているのは、読み進めていくと「ああ…」と思う点が少なくない。

ペテログラード(現・サンクトペテルブルグ)で二月革命にも巻き込まれる。この辺の展開は自叙伝を超えてほとんど「痛快冒険活劇」の様相ですらある。この時、恋仲にあったユダヤ人女性が銃弾に倒れたのだが、彼女との物語は、冒険活劇の中の甘い1ページだった。

帰国後は、日本人女性と結婚したものの、第一次大戦の影響で頼りにしていた伯母からの送金が途絶え、たちまち赤貧生活に。豚の生皮の染色、牛の屠殺などで糊口を凌ぐ傍ら、出版社に原稿を売り込むなどして、食いつないでゆく。ここら辺はなかなか凄まじく生々しい描写の連続だったが、当時の東京の産業分布図や、携わる人々の暮らし向きを垣間見ることができて、興味深い。

大正年代に旋風を巻き起こし、時代の寵児とまで言われたが、文壇からの妬みは凄まじく、あらぬ誹謗中傷も浴びせられ、やがて時局も手伝い、文壇から追放されてしまう。それにより、生活困窮を極めたことは想像に難くないが、若き日に、欧州を転々とし、帰国後は人がやりたがらない仕事もこなしてきているから、反発力は相当あったはずだ。そんな環境で育ったのが、三男で後の人気コメディ俳優、大泉滉だったのだ。

破天荒な半生は魅力的でもあり、「ようやるわ~」と呆れてしまったり…。そんな「自叙伝」が面白くないはずがない。いや~もうホントに、実に愉快な一冊に出会えたもんだ。これこそ「天の配剤」というものではないか。「版元在庫切れ」になる前に、ぜひご購入の上、この世界に浸っていただきたいと、作者並びに岩波書店に代わって、絶賛お薦めするものである。そして黒石作品の続刊も期待したい。

(令和5年7月9日読了)
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この文庫本発行に先立って出版された大泉黒石の「伝記」。黒石をもっと知りたければこちらも!


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