<香港随一の商業集積地、銅鑼灣(Causeway Bay)のランドマーク、時代廣場(Times Square)前に出動した装甲車「劍齒虎(サーベルタイガー)」。まさかここにこいつが現れる日が来るとはねぇ…。ちなみに、かつての小生の奉公先は、このビルのオフィス棟に入居していたので、毎日ここを通っていたわけで…>
「六四=天安門事件」37周年である。
もはや、今の香港で「6月4日」だからと言っても、特段、何も起きない。いや、起こせない、と言う方が妥当か。2020年に発動された「国安法」が睨みを利かし、かつてのようなデモや追悼集会は行うことができない。そもそも、許可は下りない。

まあ、2019年の暴力破壊行動が引き金となったのだから、キツイ言い方ではあるが「自業自得」と言うもんだ。それ以前は、中央政府はかなり香港市民には好き勝手させていた。6月4日の追悼集会なんざぁ、ほとんど中共糾弾大会みたいなもんで、数万とも10数万とも言われた参加者が、共産党一党独裁に対して堂々と「No!」を叫び、こぶしを突き上げていたのだから。それでも中央は少なくとも表立っては何も言わず、放置していた。「一国両制」を堅持していた。
それを完全に覆してしまったのが、あの忌まわしい暴力、破壊、放火、殺人の日々であった。その詳細については、拙ブログを遡っていただければと思う。香港の「地獄の扉」を開けてしまった日々だった。2020年、国安法が施行された時、小生は「あ~あ、やってもうたな…」と思ったものだ。
でまあ、「何も起きない、起こせない」とは言っても、例年、「わざと捕まりに来た」としか思えない人たちがわさわさと銅鑼灣(Causeway Bay)にやって来る。何かしないと気が済まないんだろうなぁ…。ちなみに、香港最大の商業集積地である銅鑼灣エリアは、かつて大規模な六四追悼集会が開催されたビクトリア公園を擁する。ビクトリア公園へ行くには大体の場合、銅鑼湾を通ることになる。なので、そういう人士はいまだに銅鑼湾に出没するというわけだ。
ということで、「六四」前夜の3日の銅鑼灣~ビクトリア公園一帯の「わざと捕まりに来る」人々から始めましょうか。
おなじみ、芸術家の「三木」こと陳式森。午後4時ごろ、そごう付近の街灯に長さ6.4メートルの「死者を追悼するため」という赤い紐を結びつけようとしたところを、私服警官4、5人に制止され、職務質問などを受けた。警官は即刻退去を命じ、MTR銅鑼湾駅の改札に入るまでを見届けた。彼は10年以上、6月4日の追悼を続けているが、年々状況が「悪化している」と感じているとか。自身の行動や発言が監視されていることを「異常」だとし、事前の警告や注意喚起は受けていないと語った。まあ、これだけ毎年、怪しげなパフォーマンスやってたら、監視されるよな…。
やはり芸術家の陳美彤は、銀色の丸いバルーンと金色の「?」の形をしたバルーンを持って、そごう付近に現れたところを、私服警官に呼び止められ、職質と所持品検査を受けた。警察は彼女をMTR銅鑼灣駅まで連れて行き、改札を通る前に風船を割るよう指示した。彼女は、明日(6月4日)に再び外出するかどうかについて、「明日考えます。誰だって外出するでしょ。みんな仕事にも行くわけだし」と述べたんだとさ(笑)。
このご両人、「芸術家」ということだが、小生がその方面に疎いだけかもしれないけど、普段はどんな「芸術」をしているんだろう、と毎年不思議に思っている。まさか、この日にこんなことをするだけの芸術家ではないですよね…(笑)。
解散した「香港市民支援愛國民主運動連合會(支連会)」の常務委員を務めていた鄧岳君は3日夜、かつて支連会主催の追悼集会が行われていたビクトリア公園のサッカーコートで絶賛開催中の「同鄉社團家鄉市集嘉年華(ふるさと物産カーニバル)」付近を訪れ、事件の遺族らでつくるグループ「天安門母親(天安門の母親)」のリストに記された天安門事件犠牲者202人の名前を読み上げ、黙祷した。その後、警察官に付き添われ、MTR銅鑼湾駅へと向かった。鄧氏は記者団に対し、ビクトリア公園が「物産展」の開催地に変更されること自体には異論はないが、イベントの名称に「嘉年華=カーニバル」という言葉が含まれているのは不適切で「違和感がある」と語ったという。追悼集会の主催者だった支連会の元幹部からしたら、そう思うだろうな。
なお、「天安門母親」は、例年、公安当局監視下ながらも、墓参を続けてきたが、今年は北京市公安当局が事件の遺族らに対し、墓参りなどを初めて許可しなかった。
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さて、6月4日当日。
警察はビクトリア公園、銅鑼湾商業エリア一帯、MTR銅鑼灣駅に多数の警官を配備し、人数は前日と比べて大幅に増員した。銅鑼灣駅及びそごうから告士打道(Gloucester Road)を経由してビクトリア公園へ向かうルート沿いには、タクティカルベストを着用した制服警官と私服警官数十人を配備。

午後4時、警察は東角道(East Point Road)と記利佐治街(Great George Street)の交差点に移動式の車両バリケードを設置し、車両の通行を阻止した。さらに、ビクトリア公園の告士打道入口付近の噴水もバリケードで封鎖した。
午後になると、警備は一層強化された。ビクトリア公園のサッカーコート付近では、多数の警察官が警戒態勢で配置され、通行人を頻繁に呼び止めて職質を行った。一方、時代廣場(Times Suare)には装甲車「劍齒虎(サーベルタイガー)」が横付けされ、ビクトリア公園近くの興發街(Hing Fat Street)駐車場付近と、告士打道高架橋の下には、数台のパトカーと警察の戦術バスが駐車されてた。
すでに解散している激進民主派政党「社會民主連線(社民連)」の最後の主席だった陳寶瑩は、午後、黄色い造花を持って銅鑼灣を「街ブラ」していたところを、警官に呼び止められ、「花をしまうように」と再三にわたり注意されたが、聞き入れず、最終的に花を強制的に没収され、警察車両に連行の上、銅鑼湾から退去させられた。
そりゃね、いくら「街ブラ」だと主張しても、社民連の元主席が、黒い服(2019年暴力破壊集団の象徴)、黄色い花(黄色は2014年雨傘行動のシンボルカラー)の「完全武装」で現れれば、警察への挑発と見られても仕方ないし、それこそ「秩序を乱す」行為と見なされてしまうよな…。ま、このへんはさすが社民連、さすが「長毛」のヨメはん!ってところだ。

「長毛」のヨメはんに続き、「女長毛」こと、活動家の雷玉蓮は午後、銅鑼灣に登場。合掌しながら歩き、「大悲咒」を唱えて犠牲者のために祈りを捧げているところを、たちまち警察官や記者らに囲まれる。ビクトリア公園に入った後、彼女はMTR天后(Tin Hau)駅方向へ行き、再び銅鑼灣駅近くまで戻り、腰を下ろして記者らに向かい「金剛経」を唱えた。「彼ら(天安門事件の犠牲者)が、早く浄土にたどり着けるよう願っている」と語った。
公園の外側、記利佐治街で彼女は、再び両手を合わせて祈りを捧げ、37回(37周年にちなむか?)首を垂れて、目に涙を浮かべた。彼女は昨年、銅鑼湾でパトカーに乗せられたこと、他の活動家には、警察から差し止め命令されて、銅鑼湾を訪れることができない者もいる語った。「(自身が今年は)ビクトリア公園に来れるとは想像もしてなかった。ここまで来るのが、簡単ではないことがわかった」と述べた。
ほとんどの「活動家」が収監されている今、長毛ヨメはんと女長毛くらいしか、活動家が娑婆に居ない。お二方には、ぜひ意地を見せ続けていただきたいと思う。
2年前の6月4日にビクトリア公園でチェ・ゲバラのTシャツを着ていたとして逮捕されたこの青年は、記利佐治街付近で私服警官数名から事情聴取を受けた。その後、MTR銅鑼湾駅E出口の外で白い布で目隠しをし、赤い表紙の「中華人民共和国憲法」を掲げ、赤いサインペンで腕に「人」という文字を書き始めた。即刻、大勢の警官に取り囲まれ、警察車両に連行された。この行為、恐らくは犠牲者を追悼しようなどという気持ちは、ほとんどないんじゃないかと思う。知らんけどね…。

こんな方も登場。「旺角鳩嗚團」のメンバーで、「馮おばさん」として知られる馮競文。記利佐治街で、左手で6、右手で4のジェスチャーをした直後、あれよのうちに警察官に取り押さえられ、パトカーに乗せられて連行された。ちなみに、「旺角鳩嗚團」は、雨傘行動の際のデモ民支持者集団。まだ生息していたとはびっくりだ。
白いろうそくに火を灯した金毛仔(金髪男子)が、百德新街(Paterson Street)に佇んでいたところ、数人の警察官に呼び止められ、所持品検査を受けた。その後、男は警察車両に乗せられ、連行された。一瞬「伊東純也?」と思ったが、共通点は金髪だけだった(笑)。この日に銅鑼灣でろうそくを灯す、これこそ「わざと捕まりに来た人」の典型中の典型やね。
もはやお気づきかと思うが、この「わざと捕まりに来た人たち」に共通するのは、いわゆる「承認欲求」。本人たちは否定するだろうけど、小生にはそうとしか思えない。「国安法を恐れず、追悼しているわたし」を世に認めてほしいんじゃないだろうか。ただ、この程度の「小細工」では、決して国安法の処罰を受けることにはならない。警察へ連れて行かれて「あんなことしちゃ、ダメ!」と言われて、おしまいだろう。本当に「追悼」する気持ちがあるのかどうか、実に疑わしい限りだ。そう思いませんか?

一方で、敏感な色であるはずの「黄色」の花を持ってるこの兄ちゃんは、何のお咎めも受けなかったらしいので、この辺の「線引き」ってのは、結局、国安法以前からの「要注意人物」かどうかなのかも。知らんけど。
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年々、盛り上がってゆく「同鄉社團家鄉市集嘉年華(ふるさと物産カーニバル)」。6月4日の午後には、警務處副處長(國家安全)=警察副長官(国家安全保障担当)の簡啟恩(アンドリュー・カン)ご一行が、視察のため会場を訪れた。

興發街にあるビクトリア公園の入り口付近には、大勢の老人を乗せた観光バスが頻繁に到着し、人の流れは途切れることがなかった。
テレビCMを見て会場に来たという林(リン)さんという女性は、セキュリティチェックを受けた際、警備員からハサミを持ち込まないように注意され、バッグにぶら下げていた黄色いニワトリのマスコットをしまうよう、指示されたと語った。「(警備員は)黄色だから敏感なものだと言言われた」と言う。「六四抗議者が来るとの心配は」と尋ねられると、「来ても好きにさせておけばいい」と答え、会場内には警察がいるので心配していないと語った。

警務處副處長が視察に来るからなんだろうけど、警備員も神経質すぎて笑ってしまう。世の中、黄色いものは山ほどあるけど、まさかこれが狙い撃ちされるとは、持ち主の林さんも「はぁ???」ってところだろう。じゃ、先に掲載した黄色の花を持った兄ちゃんはどうなるんよ?ってハナシだ。どうかしてるね(笑)。阪神タイガースのトラッキーの人形ならどうなるんだろう?誰かやってみて(笑)。

過去最多(と言っても今年で4回目だけどw)の370を超えるブースが出展し、連日大賑わいだった同鄉社團家鄉市集嘉年華(ふるさと物産カーニバル)。「香港遼寧社團總會(遼寧省コミュニティ連合会)」のブースのスタッフによると、1回目、2回目は、多くのコミュニティグループがバスで来ていたが、今年は少なかったと言う。このスタッフの分析では、「おそらく市民に周知されるようになって、個人で来る人が増えたんだろう」。なるほどね…。こうして、過去にはここで追悼のろうそくの明かりが揺れ、抗議の拳が突き上げられていたことは、忘れ去られて行くんだろうな…。まあ、人の世とは、そういうもんでしょうな…。
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まあ、こんな感じで、「これ!」という騒ぎも起きず、小生的には年々、書くことが減ってゆく「六四」。そりゃ、お賢い方なら様々な角度から、問題を掘り起こして立派な文章を書かれるんだろうけど、もはや香港を離れて17年が経過し、「六四」当日に現地にも赴いていない小生が書けるのは、この程度だ。寂しい話だなと思う…。追悼集会を開催していた支連会も、支持母体だった民主党など「泛民主派」の政治団体も、何もかもが消滅した。「50年不変」を待たずして、早晩、そういう日は来るだろうと、返還前から思ってはいたが、ちょっとばかり早かったなぁ、と感じる、国安法以降の「六四」の日である。

警察の発表では、6月3日、4日の二日間で、17歳から79歳の7名(男5名、女2名)が、秩序を乱した疑いで警察に連行されたが、その後、釈放された。
※参照媒体
明報、東方日報、文匯報、端傳媒、集誌社-深度報道新聞
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。









