<吉野の象徴、金峰山寺蔵王堂。クライマックスの舞台「河連法眼館」はすごそこに… (平成28年9月4日 筆者撮影>
いしいしんじを書籍で読むのは多分初めて。ウェブでは、国立文楽劇場の「文楽かんげき日誌」で何度か読んだことがある。この「文楽かんげき日誌」という項、文楽通で知られる人から「へ~、こんな人も文楽好きなんか!」という意外な人まで、著名人が各公演で感じたことをその人ならではの視点、筆致で綴るなかなか面白い文章が並ぶ。その中でも、特に「異彩」を放っているのが、いしいしんじの文章で、著書を読んだことがないのに、勝手に「作家像」が出来上がってしまうのは、やはり売れ線の作家だからこそと言うべきか。
そんな文楽愛好家の彼が口語訳する『義経千本桜』、これはもう読まないわけにはいかないだろう! ってわけで、「とーざーい!」である。
『義経千本桜』 いしい しんじ (訳)
河出文庫 ¥880
二〇二四年六月一〇日 初版印刷
二〇二四年六月二〇日 初版発行
令和6年9月5日読了
※価格は令和6年9月6日時点税込
町田康が口語訳した『宇治拾遺物語』がハチャメチャに面白かったので、この方の『義経千本桜』も大いに期待が持てる。こちらも池澤夏樹個人編集『日本文学全集』全30巻の中の『能・狂言/説教節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵』の中からの文庫化である。
『義経千本桜』は、『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』とならび、「文楽三大名作」と称される作品のひとつで、人形芝居が全盛を極め「歌舞伎はなきがごとし」と言われた時代の人気超大作である。今日に至ってもなお、この三作は人気演目となっている。全段通しで上演となると、夜明けから深夜まで続くような長編で、実際には上演されない段があったり、特に人気の段だけを上演する「見取り」上演となることがほとんど。
『義経千本桜』においては「椎の木の段」から「すしやの段」のいがみの権太の物語、「道行初音旅」および「河連法眼館の段」の狐忠信の物語が、頻繁に上演されるほか、「渡海屋・大物浦の段」の碇知盛の物語も人気がある。小生自身も「通し」での上演は久しく見物した覚えがない。本来なら、令和2年の春の公演で久方ぶりに「通し」で上演されることが決まっていたのだが、COVID-19の感染拡大により、公演中止となってしまったのは残念であった。
さて、本について。
まずは「大序(発端)」となる「院の御所の段(仙洞御所の段)」に始まり、「吉野山の段」に至るまで、微に入り細に入り、太夫の語りに乗せ、実際に人形が動いているかのように、筆を運んでいることに感心した。ここらは、さすがに文楽をよく観てよく聴いている作者ならでは。あくまで「語り芸」であるという本筋を損なわずに、見事に「いしい版『義経千本桜』」として書き上げている。
注目したのは源九郎狐忠信の「狐ことば」をどう表現するか。文楽の太夫は独特の節回しや発音で「ああ、こいつは狐なんや」と客がわかるように語るが、いしい版では「おお、なるほど、こうやるか!」とこれまた感心。カタカナや長音を巧みに使って、読者が「こいつは狐なんや」とわかるように仕掛ける。こういうのはね、単に活字の『義経千本桜』を直訳するだけではできない工夫。実際に浄瑠璃を聴かないと思いつかないだろう。そんな工夫が随所に見られ、改めてナマの舞台を観ることの大切さを感じた。
令和2年の通し上演公演中止の無念さを少し取り戻すことができた感じがして、読んでよかったなぁと思う一冊だった。
次は『仮名手本忠臣蔵』を読むことにしよう!
ほんまもんの文楽の舞台をぜひ観ていただきたい! |
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。