【上方芸能な日々 文楽】春なのに、忠臣蔵ですって…壱

人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場35周年記念 4月文楽公演
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」

城渡し青菜に塩の一家中 柳百三十六

これを読んでいる諸兄諸嬢には、今更説明するまでもないことだが、「仮名手本」は、かな書きという意味ではなく「登場人物は実名を避けて、仮の名前で書いた」という意味。それがわかっていて、初めてこの川柳も「ああ、なるほど、上手いこと言いはるがな!」と思うわけである。

塩谷判官切腹、お家取り潰しという場面を、「青菜に塩」ときたもんだ。ホンマ、上手いこと言いはる。ここにご紹介したものは、四代川柳・眠亭賤丸(東都俳風狂句元祖)の選による「誹風柳多留」、いわゆる「俳多留」。明和2年(1765)から天保11年(1840)にかけて167編が刊行されている。

さて、御代替わりを目前に、世の中は春爛漫の4月である。何よりも平成最後の文楽公演。さらには、文楽劇場開場35周年。で、忠臣蔵ときたもんだ(笑)。春、夏、秋と三公演に分けて上演するものを、「通し狂言」とは、厚かましいにもほどがある。こんなポカポカな日和の中で、忠臣蔵やられても、高揚感も期待感もあったもんじゃない。「舐めてんかっ!」っと言いたいのをグッと堪えて、それでもやっぱり行きますねん(笑)。

なるほど、さすがの「独参湯」だ。びっしり満席で補助席まで出ているのだから、えらいもんである。それにしてもまあ、皆さん、実にお好きですな(笑)。

■初演 寛延元年(1748)8月 大坂竹本座
■作者 竹田出雲、三好松洛、並木千柳 合作
■実際の事件(元禄赤穂事件)が題材。各方面への配慮から事件を『太平記』の世界に移し、大石内蔵助→大星由良助、浅野内匠頭→塩谷判官、吉良上野介→高師直などと登場人物を置き替えている。

大序

織田作之助の『二流文楽論』によれば、その当時は、大序を語る太夫の多くが、生涯、大序のままであったというから、今は結構な時代である。スタートは誰もが大序だが、その奮闘努力次第では、やがて人間国宝だって夢じゃないのだから、若手も頑張り甲斐があるというもんだ。この日、大序を語った太夫の中から人間国宝が誕生したとして、そんな頃に小生が生きているはずもないのだが…(笑)。

鶴が岡兜改めの段

床は簾内、人形は主遣いも頭巾。いかにも、これから壮大なスケールの話が始まるよ!って雰囲気満々。

で、簾内メンバーは、
碩、亘、小住、咲寿に清允、燕二郎、錦吾、清公

姿は見えねども、どこをだれが語っているかがわかる。特に、耳に残ったのは、咲寿と碩。咲寿はもうこれくらいは安心。さりとて余裕ぶっこいてるわけではなく、「もう一つ上へ」という意欲が感じられる。碩に関しては、小生、毎度ベタ褒めしているが、将来の大物と感じさせる。人気先行ではなく、実力先行でここまで来ているのがいい。三味線も含め、若手が火花を散らす、とてもよい簾内だった。

恋歌の段

師直:津國、顔世:南都、若狭助:文字栄
團吾

変わって、お馴染みの「掛け合い」チーム。安定の…とは、ちょっと言い難かったけど、まあ無難に出来上がっていたかな。文字栄はんが若狭助というのには、ちょっと驚いたけど…。そんなこんなの「あともう一味」の部分は、團吾がうまいことまとめていた模様。

二段目

桃井館力弥使者の段

芳穂、清丈

なんと、文楽劇場では初上演となる。番付の解説では「時間の都合で割愛されることが多い」とあるが、これを「言い訳」と言う。戸無瀬、小浪、力弥が顔をそろえるこの場面、ここがあればこその、後々の「道行」が生きてくる、というのが今回、よくわかった。それを今まで見せてもらえなかったのだから、もはや「怠慢」と批判されてしかるべきだろう。見物衆は大いに怒るべきである。と言って、どこのどなたに怒って行けばいいのやら…(笑)。

ま、愚痴はさておき。

初めて見聴きした段なのだけど、案外、難しい段なんやろな~と、床の二人に加えて、人形陣も観て、そう感じた。「詳しく説明せよ!」などと、意地悪言わないでね(笑)。三流見物人がそう感じたというハナシですから。そんな中で、力弥を遣った玉翔が印象深い。ああいうのは、力弥の人品骨柄というもんをよく理解してないと、上手いこといかんわな。若手と思っていたら、いつの間にか、玉翔もそういう段階に入っていたということやろね。

本蔵松切の段

三輪、清友

思えばこれまで文楽劇場で忠臣蔵かかった時は、恋歌の段からいきなりここへ話を飛ばさていたわけだから、文楽劇場も随分な仕打ちである。

文昇が短慮な若狭助をよく表現する遣いよう。玉翔が遣った、さっきのキリっとした力弥とは好対照の人物像。そこを諫める言葉はあえて出さず、松の枝を切って「無念を晴らされよ」と態度で見せた本蔵(玉輝)と、三者三様の人形がよい。そこを三輪はんと清友はんが、きっちり聴かせて、なかなか見ごたえ聴きごたえのある段だった。

物語的には、この若狭助の短慮が、塩谷判官の悲劇と、大星由良助ら四十七士の仇討ちストーリーへと展開してゆくのだから、若狭助も罪な野郎だなと、忠臣蔵を観るたびに思うのである。

幕間。お弁当購入するも、ロビーは人でぎっしり。やむなく、座席で食す。いやはや、大変な人気である。こうなると、かえってガラガラだった頃が懐かしい(笑)。

「さ、続いて三段目行ってみよう~!」と行きたいところだが、あまり長いと各位様ご退屈、最後までお読みいただけない…。と、なるとアフェリエイト広告も見ていただけない、ってことは、もしかしたら小遣い銭を逃してしまっているかもしれない…、ってことになると、小生も辛いので、三段目はまた次の稿でお読みいただきましょうかね。

ってことで、本日これまで、また次回お楽しみに!

(平成31年4月21日 日本橋国立文楽劇場)



 


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