【上方芸能な日々 文楽】平成27年4月公演~第二部~

人形浄瑠璃文楽
吉田玉女改め
二代目吉田玉男襲名披露
平成二十七年四月公演

IMG_1744さくっと市会と府会の投票を済ませ、まず向かったのは宗右衛門町の福壽堂秀信。この和菓子処のイベントスペースで、この日まで「渡辺肇写真展『人形浄瑠璃 二代吉田玉男襲名記念《転女成男》」が開催されていたので、のぞいてきた。折しも、文楽劇場の資料展示室では「企画展示『初代・二代目吉田玉男』」が開催されており、初代玉男の写真や貴重な遺品が展示されているが、この《転女成男》では、二代目オンリーの写真の展示と、このために撮影された映像が流されており、渡辺肇の独特の世界が表現されていて、劇場資料展示と合わせて見ると非常に興味深い。

二代目吉田玉男襲名披露で賑わう文楽劇場だが、口上に続く披露狂言『一谷嫩軍記』がかかる第一部は盛況でも、第二部は客足が伸び悩んでいる様子。こちらでも二代目玉男は『天網島時雨炬燵』にて主役の紙屋治兵衛を遣うのだが、やはりご見物の大半は「口上」目当てなのだろう、小生が見た初日で7割、九日目のこの日で6割程度と、結構寂しい。まあ、これくらいの方がお弁当の時間に席を確保しやすいんだけど、それではねえ。

そんなワケで、皆さんが「口上」へ「口上」へとつめかけるので、天邪鬼な小生は「口上」の無い第二部へ(笑)。

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『太十』、『紙治内』、『八百屋お七』と、第二部もバラエティーに富んでるよ!

絵本太功記(えほんたいこうき)

◆初演:寛政11年(1799)7月、大坂道頓堀若大夫芝居
◆作者:近松やなぎほか合作
*読本『絵本太閤記』の刊行が背景。武智光秀(実在は明智光秀)の悲劇、真柴久吉(同・羽柴秀吉後に豊臣秀吉)の活躍を描く。全十三段構成。今回上演の「夕顔棚」、「尼ヶ崎」は十段目に当たり、「太十」と称されれて、文楽、歌舞伎での人気演目として独立して演じられることが多い。

 

「夕顔棚の段」
松香大夫、清友
いつも言うけど、「ああ、文楽聴きに来た」とまず思わせてくれるのが、松香大夫。下に写真載せたけど、この日のお席は、浄瑠璃聴くにはもってこい、もうこれ以上のポジションは無いだろうというお席。舞台の人形さんたちにはちょいと申し訳ないが、床を凝視するばかり。不思議なもんで、そうしていると、舞台上の字幕も床本もいらなくなる。ちゃんと浄瑠璃が耳に入ってくるのである。松香大夫が丁寧かつ情味をもって語っていたというのが、間近にわかる。

「尼ヶ崎の段」
前*呂勢大夫、清治
ここのところは安心の領域の呂勢大夫。ここで安定してしまうのも困るけど、今は次のステップアップに向けて力を貯め込んでいる段階かなと。本人の努力もさることながら、やはり清治師匠がグイグイ引っ張ってきたのが大きく作用しているようで、今では、いいコンビになったと思う。十次郎が出立するときの

いや増す名残、『こんな殿御を持ちながら、これが別れの盃か』と悲しさ隠す笑ひ顔

あたりから、初菊(一輔)の後ろ振りへという流れが、よく聴かせてもらった思った。「お前、どこを感心してるんや?」と言われるかも知れんけどね(笑)。

後*千歳大夫、富助
前回、「とくに千歳大夫が『これは出来た!』という充実ぶり。さあ、千秋楽までもたせることができるか?そこでありましょう。」なんて偉そうに申し上げたが、この日のところはまだ大丈夫(笑)。こうして太夫がしっかり聴かせてくれると、本当に人形にも集中できるし、芝居が非常に面白くなる。「な~んか退屈」って場合は、やっぱり太夫がちゃんとできてないんだろうな…。十次郎の最期に

さすがの勇気光秀も、~~~~浪立ち騒ぐ如くなり

なんてのは、非常によかったなあ。このあたりまでの展開を聴くにつけ、「太十」は人形を観る以上に浄瑠璃を聴くのが面白いと思わせる作品だと実感。

人形では初菊(一輔)、十次郎(幸助)、久吉(文司)が見ごたえあり。とくに一輔は、これも毎度言うけど、たたずまいが美しく、「太十」の悲劇を一層際立たせていた。文雀師匠休演の代役で和生が母さつき。和生さん、毎公演ハードワークである。御自身もまた、御身お大事にと言いたい。

IMG_1751この日のお席から真正面を観ると、ほぼこうなる。実は舞台は視野の2割強で、あとは床が占める。もうひとつ右のお席が通路際で床の直下なのだが、そうなると三味線が視野からはみ出てしまう。太夫の表情、三味線の手まで一つの視野に収めるならココが一番。前に座席がないから足が伸ばせるのも腰痛持ちには嬉しい。人形好きには、もちろん物足りない席だが、浄瑠璃好きにはたまりませんぜ~。白湯汲みのイケメン太夫くんを見たい人も、この辺なら見つめ合うこともできるぜ(笑)。え?「何番の席か」って?教えない(笑)。

中入りに軽い食事(お饅とコーヒー)を摂って、後半戦に。

天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)

前回も記したが、近松の『心中天網島』のスピンアウトなのだが、ここまでスピンしてアウトしてたんじゃ、改作どころか「いじくりまわした」という印象が先立つばかり。とは言え、文楽でも歌舞伎でもこの「紙屋内」は人気演目であって、小生なんかは原作とは全く違う「別個の作品」として観ている。そうしないと「天網恢恢疎にして漏らさず」が気の毒である(笑)。

「紙屋内の段」
中*咲甫大夫、喜一朗
めっきり師匠の咲さんっぽい語り口調になってきた咲甫はん。口述伝承芸能とはこういうものなのだろう。文楽に限らず、伝統芸能を見る楽しみのひとつと言える。聴きどころは「ちょんがれ節」。伝界坊(簑一郎)の動きも良く、客席をノセていた。

切*嶋大夫、錦糸
チャリ場から打って変わって、重厚な世界に引き込まれゆく。この圧倒的な支配力は住大夫、源大夫が去った今、嶋さんが独占しているっぽいけど…。

治兵衛、おさん、五左衛門のやりとりには前かがみになって聴き入ってしまった。しかし五左衛門も銀山投資に失敗して、結果として治兵衛を転落させてしまうことになったのだから、おさんにしても治兵衛にしてもここまで言われる筋合いはないと言うものだ。原野商法にひっかかったのを棚に上げて何言ってるんだ。そりゃ、治兵衛も治兵衛だが。というやる瀬の無さがひしひしと。でもねぇ…。というところを、お次の英大夫へバトンタッチ。

奥*英大夫、團七
嫁はんの実家に連れて帰られた娘が尼姿になって戻ってくるなんて、もうこのお話は一体どうなってるん?な展開。このへんは新喜劇もびっくりのストーリーだが、白無垢に書かれた「手紙」に女房おさんと舅の五左衛門の思いが綴られていて…。で最後に憎っき太兵衛を殺っちゃうのだけど、これで観客も「すっとした!」となるのかなという疑問がぬぐえない幕切れ。どこでだれにどんな観点で感情移入すべきか迷いながら、チョンと柝が入る。まあ、こんな「何が何だか」なストーリーでも、3人の太夫がきちんと語ったから、聴くのも観るのも安心なわけだが。

二代目玉男が治兵衛で。「世話物」にありがちな典型的なあかんたれな男で、能動的な動きはなく、炬燵で寝ているか最後の最後にぶすっと殺っちゃうくらいしか目立った動きはない。これを見て玉男の芸をあれこれ語れる人は相当な見巧者だと思う。もちろん小生には無理。それよりも、ちょんがれ節の伝界坊(簑一郎)や丁稚三五郎(玉佳)、小春(清十郎)の生き生きした動きに目が行ってしまう。また、動きもへったくれもない役どころだが、超若手の簑之、玉延がそれぞれお末、勘太郎を顔出しで遣えてよかったね!というのが、この狂言での人形の印象。

伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)

◆初演:安永2年(1773)4月、大坂豊竹此吉座
◆作者:菅専助ほか合作


これはもう、八百屋お七を遣った紋臣に尽きると思う。櫓上りの仕掛けは、初心者を「おお~!」と唸らせるにもってこい。それはそれとして、そこに至るまでのお七の艶やかさは、こういうのを「稽古の賜物」と言うんだろうと思わせる完成度の高いものだった。人によっては、けっこう欲求不満に陥ったであろう「紙屋内」の後だけに、これですっきりとした気分で家路につけるというもんだろう。

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「またのお越しをお待ちしております」と玉男さんが見送ってくれたので、「へえ、また寄せてもらいまっ!」と、劇場を後にする

(平成27年4月12日 日本橋国立文楽劇場)


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