【上方芸能な日々 文楽】平成29年十一月公演<其弐>

人形浄瑠璃文楽
平成二十九年十一月公演 第二部

11月公演の第二部に関して色々と。
前稿で記したように、今公演では近松二作が上演された。1本目は第一部の『鑓の権三重帷子』。そして第二部では『心中宵庚申』。前回記したように、どっちも渋好みの作品で、『曾根崎』見ただけでいっぱしの「近松マニア」を気取る御仁が多いが、今回の二作のようなものを味わえる耳を養ってからマニアを名乗ってほしいもんだ。って、偉そうに言いながら、小生なんぞは40年近く文楽に通っていながら、さっぱりだから、ま、そこは「目糞鼻糞」であるわいな(笑)。

心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)

■初演:享保7年(1722)4月、大坂竹本座
■作者:近松門左衛門
*上中下の三巻構成だが、上の巻は江戸時代後期より上演途絶える。
*昭和7年(1932)、四ツ橋文楽座で中の巻「上田村の段」と下の巻「八百屋の段」を復活上演。昭和40年(1965)に「八百屋」を二世野澤喜左衛門、「道行思ひの短夜」を野澤松之輔が作曲し、現在の形が整った

ってわけで、ここでも野澤松之輔である。そして二世野澤喜左衛門。この二人が戦後というか1960年代前後に多くの復曲を試みて、上演演目の幅が広がったわけで、文楽という古典芸能は、こと演目に関して言うと、意外と新しい芸能なのかもしれない。もちろん、それを舞台にかける技巧に関しては、人形芝居が生まれてから300年を超える歴史の中で「あーでもない、こーでもない」と工夫の上に工夫を重ねてきて現在があるからこその、世界遺産なのである。

「上田村の段」
文字久 / 藤蔵
勘介とか玉路とか和馬とか玉往とか勘昇とか、若手の人形遣いがいっぱい出ていて、みんなしっかりやりや~、ってな父親気分で見てしまう(笑)。思えば、こういう年代から文楽に来てるのだから、もうちょっと小生も鑑賞力があってもいいようなものなのに…、と結構恥ずかしい(笑)。
そういう意味で、この段はと言うよりも、この作品自体が相当手ごわいと痛感する。やはり小生には「ニワカ近松ファン」を笑えない程度の「目糞鼻糞」の鑑賞力しか備わっておらず、苦戦した。まあ、文楽と言うもの自体が「説教くさい」ものなのだが、特にこの段は強烈である。それだけに、太夫がいかにして客がその「説教」から逃げるのを防ぐかというのも、聴きどころかなと思う。普段なら、そんなときには藤蔵の撥が激しく鳴り、掛け声がかかってハッと目覚めるのだが、この段では三味線もねば~っと鳴るから、我に返るきっかけが乏しい。そうならば太夫である。「文字久はん、そこよ、そこんとこよ、頼むわ~」と思っているうちに、終わってしまった(笑)。

余談ながら、近松はこの段でしれーっと自分の作品をPRしていたりするから、抜け目がない。千代にいくつかの本を手に取らせて「……『網島の心中』もござんする」と言わせている。並べるのが『伊勢物語』『塵劫記』『徒然草』『平家物語』だったりするから、よほど『心中天網島』に自信があるのだろう。なかなかおもろいおっさんである。

「八百屋の段」
千歳 / 富助
一般的には「上田村」の方が人気があるようだが、小生はこっちの方が好み。ひとえに「説教臭さ」が無いから(笑)。それに加え、八百屋のおばはん(と小生は呼ぶ)が強烈キャラで物語を縦横無尽にかき回すのが聴いていておもしろい。首(かしら)も「悪婆」とそのもので、もう見ただけで他の登場人物たちがこのおばはんに振り回される展開に期待が持てるというもんだ。
そういったところを、将来に大いに期待が持てる有望新弟子を迎え、自身も張り切る千歳太夫が、どう聴かせてくれるかということなのだが、たまたま小生が聴いた日がそうだっただけかもしれないが、なんか平平凡凡で、「うぉっ!せやからこの段はおもろいのよ~」って感動はなかった。とは言え、八百屋のおばはんの、この上なく憎たらしい言いようやら、半兵衛の胸の内なんぞは、十分に伝わってはきた。そこは富助師の三味線や、玉男はんの半兵衛、勘十郎はんのお千代、蓑二郎の八百屋のおばはんなど人形チームの見せ方によるところも大きい。
心理描写の繊細さゆえに、頑張って耳を凝らさなければ、いわゆる「心のひだ」みたいな部分を感じるのが難しい段でもあり、上級編の段である。八百屋のおばはんのキャラだけを楽しむなら、それほど難しく勘繰る必要はないけど、その裏に様々なメッセージが込められているから、いやはや、近松は難しいよ、ホンマ。

「道行思ひの短夜」
三輪、睦、靖、文字栄 / 團七、團吾、友之助、錦吾、燕二郎
お千代を三輪、半兵衛を睦が受け持つ。
二人の死に際はなかなか壮絶に描かれていた。五か月の子供を身ごもったまま死を選ぶしかなかったお千代の

「健(まめ)で生んだらば、どうして育てう、かうせうと案じ置きは皆徒事(あだごと)」

という嘆きが胸を打つ。それにしても、幸の薄い夫婦である…。
題名に「庚申」と付くから、心中の場面で登場する山門は、小生がよく参拝する天王寺の庚申堂かと思いきや、

生玉の馬場先に、法界無縁の勧進所、無明能化の門前に

とあり、これは東大寺大仏殿勧進所の山門だとのこと。もちろん、現存していない。

【(医)敬潤会 国際デンタルクリニック】

紅葉狩

呂勢、芳穂、希、亘、碩 / 宗助、清志郎、清丈 琴・清公、清允
いわゆる「追い出し」。心中芝居のお口直し、気分転換に、これ見て帰ってちょうだいね、ってところ。同名の謡曲が歌舞伎や人形芝居に取り込まれたもので、文楽の初演は昭和14年というから、これもまあ新作みたいなもんである。この時期の「追い出し」にはよくかけられる作品。まったくの文楽初心者なら、これだけ幕見で見物して「文楽すげぇー!」なんて思ってお帰りいただくのがちょうどよい。下手に「近松作品やから」という理由で『心中宵庚申』なんて見ちゃうと、一気に「文楽嫌い」な人になってしまうだろうから(笑)。
更科姫実は鬼女は、清十郎が遣う。この人、確かにはまり役なんだけど、出番がここだけっていうのがもったいない。もっと重用されるべき人だと思うけどなぁ…。立ち姿美しいから好きなのよ。

結局、第二部は一回しか見物しなかった。1回観て、どうも気分が乗れなかったというのがあるからだけど、前稿で記したように「低調な公演だった」と感じたのは、この第二部が重かったからかもしれない。実際、客入りは芳しくなかったし。舞台と客席のスイングするような空気が感じられなかった。そういう演目ではないと言えば、そうなのかもしれないが…。

(平成29年11月5日、16日 日本橋国立文楽劇場)



    


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