【上方芸能な日々 落語】桂文枝半世紀落語会

落語
芸能生活50周年記念
桂文枝半世紀落語会 三枝から文枝への軌跡

桂文枝というお方は、およそ小生が小学生になったあたりからずっとテレビに出ていらっしゃるお人で、そういうことだから、小生なんかの世代だと「いらっしゃ~い」よりも、「グゥ~」とか「オヨヨ」といったギャグのほうが付き合いが長い。上方の芸界でそれくらい長きにわたってメディアに露出している人となるとあとは、仁鶴師匠、きよし師匠、横山ホットブラザーズのお師匠はん方、浜村淳はんくらいかな?
その文枝師匠の芸能生活50周年を記念した落語会に行ってきた。

文枝師匠は大学の先輩であり、かつて香港へ当時まだ三枝だった師匠を独演会でお招きし、翌日に「関西大学香港千里会」へもご参加願っている。たしか2005年のことではなかったかと記憶している。記憶違いがなければ、あれからもう12年。その間にもナマで師匠の高座を見聞することは何度かあったが、この日のように「独演会」というスタイルとなると、その香港以来となる。じっくりと堪能したい、そんな思いでNGKへ。

20170304bunshi<ネタ帳>

「背なで老いてる唐獅子牡丹」(三枝作) 桂文枝
「大・大阪辞典」(文枝作) 桂文枝
「笑点よもやま噺」 桂歌丸
中入り
「愛宕山」 桂文枝

(お囃子)三味線:入谷和女 はやしや美紀
笛:桂あさ吉
鳴物:桂三幸

いやもうねえ、NGKロビーに並んだ花の数とその豪勢さは、これまでここで見たことないほどで、まあそりゃそうやろうとは言え、「う~ん、さすがやな~」と感嘆。

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一番目立っていたのは、この人ね。関大閥の一人。もはやこうなると「花はどこへ行った」という感じ(笑)

IMG_4915木戸脇に50周年の大きなパネル。これと同じ紙製バッグに入ったお土産が、ご見物はもちろんのこと、取材に詰めかけた報道陣にも配られる。ミナミの老舗蒲鉾店「大寅」の練り物と国産春雨第1号を開発し販売した森井食品の春雨、そして独演会パンフと551蓬莱のカタログが入っていたわけだが、中身云々ではなくこうして来場者一人残らず全員への気配り配慮が嬉しいわな、我々にしたら。物につられるわけではあれへんけど、「また来よう」とそれだけで思わせてくれるわな。

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本日のお座席からの眺め

さて独演会。
トリネタの「愛宕山」は珍しく古典で攻めてきはった。新聞報道によるとネタおろしだという。新作に活路を見出すまではもちろん古典をやっていたんだろうけど、小生は文枝師匠の古典は初めて聴いたな。マクラでは、幇間(たいこもち)の説明、かつてのミナミの高級料亭「大和屋」のお座敷で、客一人を相手に落語をした思い出(お客は松下幸之助!)、若き日に師匠方に京都・上七軒でお座敷遊びの座を経験させてもらったこと、六代目松鶴師匠にいかにして三枝の名前を覚えてもらったかなどなど、イチイチおもろい。ネタそのものは、決して「名人芸!」と唸らせるものではなかったが、きっと若いころに教えられた通りに、稽古つけてもろた通りにやりはったんやと思う。そういう真面目さとか丁寧さが垣間見られた。それだけに、終盤、バタバタと話が進んでしまったという感もなきにしもあらずだったけど。

話題は前後して。
まず最初は「背なで老いてる唐獅子牡丹」で。

「普通は前座が出て、それから私なんですが、今日は私と歌丸師匠しかしゃべりません」。

そう言えばお茶子もいなかった。つまりはじっくり聴いてもらえるようにしたということなんだろう。たしかに、いきなりじっくりとたっぷりと聴かせてくれた。こうした「老い」を笑いのネタにするのって難しいんじゃなかろうかと思う。そりゃもう落語会なんてのは聴きに来てる客の大半が年寄りなわけで、「こんなん言うてお客さん怒りはるんちゃうか」と聴いているこっちがドキドキしてしまうわけだが、この手のネタは年寄りほど腹抱えてゲラゲラ大笑いしているもんである。

加山雄三の『旅人よ』が流れ、若き日の写真が次々と舞台上に映し出される。この歌を聴き、若かった当時の三枝の姿を見て「ああ、この時代やったわけやな」と、しみじみする小生も年を取ったもんである(笑)。

続いて最新作、271作目の新作「大・大阪辞典」。このお題からいろんなことに考えが巡るわけだが、そういうのは置いといて…。昨今の「ケンミンSHOW現象」(と小生が勝手に呼ぶw)のような「我が方ではこういう食べ方をする」とか「そっちのそういう味付けは信じられへんわ!」とか「そんな方言わかるはずないやろ!」なんかの一連のあれを、落語でやるとこうなった、のような。小生的にはこの日一番笑ったのは、これだった。

中トリで、歌丸師匠。この師匠にも2回香港で落語会をやってもらった。そのときから二回りほど小さくなってしまわれた。鼻から出た細いチューブが高座の後ろの酸素ボンベにつながっていて痛々しいが、ご本人の声はいたって明瞭で大きく、文枝師匠よりもよく通っていたかもしれない。「私の代役ができるのは木村拓哉か福山雅治、あるいはトランプ大統領くらい」といきなり爆笑を誘う。わずか10分強の出番で「最終の新幹線がありますので」と高座を降りた歌丸師匠だったが、この体調で前週の「春団治一周忌」の会に続く来阪に、松竹と吉本の両社への(もちろん、春団治、文枝両師に対する)「律儀」という二文字を見せつけられた思いがした。

そして中入り後にトリネタ「愛宕山」へと続く充実の独演会であった。

一口に「50年」と言うのは簡単、書くのも簡単だが、小生が自分の年齢53年を振り返るに、その道のりの長さと言ったらもう、ねぇ…。

これからも新作を作り続け、高座にかけ続けるであろう文枝師匠。また機会があれば「関西大学香港千里会」へもぜひ(笑)。

(平成29年3月4日 なんばグランド花月)



 


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