【上方芸能な日々 文楽】令和2年錦秋文楽公演<1>

人形浄瑠璃文楽
令和2年錦秋文楽公演 <1>

子狐の隠れ顔なる野菊かな 与謝野蕪村

子狐か大人の狐かはよう知らんけど、1日のフィナーレとなる演目『本朝廿四孝』では、「隠れ顔」どころか若い狐たちは舞台狭しと躍動し、最後は勘十郎の八重垣姫を取り囲む形で集まって、チョンと鳴って、ドロドロと鳴って、幕が引かれてゆく。パーっと明るくなって輝いているかのような光景を観て、胸いっぱいの心地となった。これまでに何度も観てきたシーンなのに…。それだけ長い間、文楽の舞台に接することが叶わなかったということだろう。文楽に飢えていたのだ。きっと鳴りやまぬ拍手の送り手たちは皆、同じ思いだったはずだ。

年頭の1月公演に観て以来、およそ10か月ぶりの文楽見物。「一体、いつなったら文楽劇場の幕が開くのだろう…」と、思いは募るばかり。COVID-19の感染拡大は大波小波を繰り返しながらも、一向に終息する気配はない。そんな中での久々の文楽の舞台。「待ってました!」とばかりに、初日からいそいそ出かけたという次第。無事に初日の幕は開き、千秋楽まで何事もなく突っ走ることができて、もう今公演はそれだけで十分すぎるくらいだった。

とにかく、厳重なる防疫体制が敷かれていたのには感心した。入場口を一か所にし、すぐに検温と手指消毒。検温システムは優れており、マスクから少しでも鼻がはみ出ていたら、検温作動しないようで「鼻をきっちり隠してお願いします」と立会いの係員に言われる。売店も飛沫防止用の透明シートを設置しているが、特に不便は感じないから、仮に感染拡大が終息しても、これは続けた方がいいかもな。

チケットはこれまでなら係員がもぎりをしてくれたが、券面を見せてもぎりは各自で。半券は用意された箱に入れることで「接触」の機会を減らしている。

何よりも驚きは座席である。

今公演は二席空けて座るようになっているのだが、空席の処置がさすがの文楽劇場。人形の衣装の柄をあしらった紙を着席不可の椅子に貼っており、少しでも賑わいのある感じにという劇場の心遣いがいい。舞台側から見ても殺風景な感じにはならない。ま、実際に舞台に上がる芸人側の目にはどう映っていたのかは知らんけど…。

とは言えだ。この艶やかな「衣装」の間に、見物がぽつぽつとしかいないというのは、どう考えても寂しい。実際、客側として見ても、寂しさを感じずにはおれなかった。舞台と客席がスイングして、イイ感じでうねりが起きる、そういうのを感じることがこれでは難しい…。そんな日は果たして来るのだろうか?

さらに、2時間強~3時間弱の3部建て。ちょっと長めの映画1本という感じか。となると「通し狂言」が観られる日も、まだまだ先の話ということか…。思えば、久々の丸々一日かかりの「通し」で上演されるはずだった4月の『義経千本桜』が緊急事態宣言により「公演中止」となった。幻となった公演パンフは入手できたものの、残念で無念でならなかった。当分は「見取り」の公演を楽しむしかないのだが、それならそれなりに、演目もキャスティングも十分に配慮してほしいと思う。実際にはそうでなくても、客側に「『〇〇分やから、これ入れとけ』ってやったやろ~」と思わせてしまうような狂言建ては、よろしくない。そこはしっかりお願いしますわな。

ま、いつもなら、ごちゃごちゃと文句ばっかり書き並べていると評判の悪い拙ブログの文楽関係だが、今回ばかりは再開を素直に喜ぶべき公演ということで、「めでたし、めでたし」に終始しようかな、って思ったけど、やっぱり「あ、それはちょっとなぁ」な部分もあったんで、そういうのは次稿でさらっと触れておこうかなと(笑)。

こんな大きなマスク、どこに売ってるんですか?(笑)

では、また次回!





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