【上方芸能な日々 文楽】近鉄アート館復活祭「あべの花形文楽」

日本一高いビル、それが「あべのハルカス」。
昔は、♪通天閣高い、高いは煙突…♪と、大阪の子は歌ったわけだが(年がバレるねw)、いまやその通天閣を眼下というか、足元に見下ろす高層ビルが来る3月7日に、こともあろうに阿倍野橋にオープンの運びとなった。いや~、近鉄もやるね~。

そのハルカス、すでに先週末に百貨店部分などが一部オープン。同時に、かつては大阪の小劇団のあこがれの舞台であり、同じく近鉄上本町の「近鉄小劇場」とともに、南大阪エリアの演劇の一大拠点であった「近鉄アート館」も復活。これは朗報だ!

復活杮落しは、2月22日に愛之助丈による『操り三番叟』。これは「あああああ」って言うてるうちにチケット秒殺売り切れ。ラブリン、会えなくてゴメンね。

しかし!我らが文楽がこのめでたき復活祭公演の初日を飾ると言うではないかえ! ってわけで、ラブリンの二の舞は踏むまいぞよと、こちらはささっと、「ぴあ」の「プレリザーブ予約」ったらなんちゃらいうので、要するに前売り前に押さえると云う、「そんなんできるんですか?アリですか?」みたいな予約をして準備万端。

果たして、その甲斐あってか、なんとなんとの「最前列かぶりつきお座席」でござるよ!きゃ~!

以前、ここでは「あべの文楽」を公演していたというが、それがまったく記憶にないのだよ。ということは、小生の香港生活とかぶっていたと思われる。
それ以前には「原宿文楽」をここで観た記憶がある。演目で記憶に残っているのは「碇知盛」、それすなわち『義経千本桜』の二段目「渡海屋」、「大物浦」の段ですわな。
たしか、玉女さんが知盛遣ってたと記憶…。文楽劇場の本公演と違って、パンフらしきものが家に見当たらないのだわ、これが…。

これは恐らく、1990年代初頭のハナシ。その頃の玉女、簑太郎(現・勘十郎)というクラスが、ちょうど今回の4人、一輔、幸助、呂勢大夫、藤蔵というクラスにあたるのかな…、多分そんな感じ。で、当時、もっとも働き盛りだったのが、一輔のお父さんの一暢、幸助のお父さんの玉幸とかの世代。いや~、時代は進むね、歳月は流れるね、俺も年とるね。そんなこんなをしみじみ感じながら楽しんだ今宵の舞台。

あべの花形文楽

ご挨拶:吉田一輔、豊竹呂勢大夫、鶴澤藤蔵、吉田幸助(舞台下手より順に)
『二人三番叟』
床:呂勢大夫、芳穂大夫、清志郎、清馗、清公
人形:幸助、一輔
『壺坂観音霊験記』~沢市内より山の段~
床:呂勢大夫、藤蔵、(ツレ)清公
人形:お里・一輔、沢市・幸助  玉勢、簑紫郎、簑次、勘次郎、勘介、簑之

ここ数年、小生が誉めたり貶したり、上げたり下げたりとやたらめったら批評の矛先になってる呂勢大夫、いつもごめんね、アイムソーリー、對不起!
4人そろってのご挨拶は、彼が芯を取って、おしゃべりあれこれ。「『花形』って言うことですけど、もうそろそろ50歳になるかならんかのおっさんばっかりですから、そろそろ『花形』取ってくれてもええんやないかとw」と、ツカミはばっちり(笑)。
「百貨店も新しくなり、ここの劇場もどんなに新しくなってるのかと思ってたら、昔のまんまでした(笑)。楽屋も汚いし(笑)」
そうねえ、小生も館内に足を踏み入れて、あまりにもそのファシリティーが以前のまんまだったもんだから、懐かしいやら、おかしいやら、タイムスリップしたのかと思ったりとか、ねえ(笑)。
「近鉄沿線にふさわしい演目をということで、今日は『壺坂~』をやるんですが、考えてみたら近鉄沿線には文楽の舞台が多いので…」。そうそう、南大阪線だけでも凄い数なのよ、これがね。だから、この企画、レギュラー化しようぜ! 是非とも頼みまするよ、近鉄アート館さまサマ様!!

三番叟、壺坂とおなじみの演目であるし、なんと言っても近鉄アート館復活祭の第一夜を飾るめでたい舞台ということで、細かい劇評あれこれは今日はナシ。よかったね、呂勢大夫(笑)。まあ、その中でもやっぱり、一輔のたたずまいが美しい。そして幸助の存在感が観るたびに増してくる。そしてなんと言っても、二人ともご父君にそっくりになってきたのである。
この空間で、文楽を始めとする大阪を中心とした舞台芸の数々にまたふれることができるようになったというのは、本当に幸せなことだと思う。
座席数もおよそ300くらいやったかな? これくらいがちょうどよろしいですわな。本当は、文楽などはこれくらいの空間が一番いいんだろうと思うな。太夫の息遣いや人形の衣擦れの音、三味線の細やかな撥さばきを聴くには、これ以上ない空間だと思うしね。そう言う意味では、文楽劇場はデカすぎるんやわな。

まあ、とにかく良い気分で観せてもらえました。「花形」の4人だけやなく、色んな若手が腕を磨く場として、これからも「あべの文楽」を継続していってほしいなと、切に願うのでありまする。

さて。若い力がこうして活躍の場を広げて行く中、やはりこの人の引退には触れないわけにはいきますまい。

「住さん、引退」の報が駆け巡ったのが、奇しくもこの花形文楽前夜の事。なんか、こういう流れになるのよね、世の中ってのは…。

最近、とある場所で、住さんと某人が世間話のような感じで気楽に会話してるのが、耳に入ってきたことがあった。
某人曰く「お元気になられて、よかったですわ!」
住さん曰く「いや~、そない皆言うてくれはるけど、切場語りが一段まるごと語られへんいうのが、もう情けないんや。こんな情けないことないで、ホンマ…」
小生は聞いてはいけないものを聞いた気がしたけど、これだけ人の多い場で、けっしてひそひそ話でなく、ごく普通の会話でそう言うのだから、「これはよっぽどショックやったんか?」はたまた「そうはいくかい!」と自分を鼓舞してはるんやろか? どっちでんねんな、住さん師匠?? いずれにしろ複雑な気分になってしまった…。
昨年の新春公演で復帰以来、そんな逡巡を繰り返す日々だったのは容易に察せられる。そしてついに決断の日が来たわけだ。どんな名人上手でも、その日は来るのである…。

一昨年、住さんが脳梗塞で倒れたとき、何某の市長と文楽協会の間で大阪市の補助金をめぐるあーだこーだの真っ最中。住さんが倒れたことを何某の責任とする声は今も絶えないが、それもあるとは思うが、当時もそれ以前も以降も拙ブログで言ったけど、「何でもかんでも住大夫、住大夫」が過ぎたというのが大きな原因だと思っている。文楽はあまりにも住さんに頼りすぎたのではないかと。文楽座員、協会、劇場、そして恐らくファンも…。すべてに責任があるはずだ。どうするねん、これから!
それだけに、住大夫去りし後の文楽が心配でならない。「そもそも、俺、文楽行くかな…」。そう思ってる人も多いかもな…。とにかく、中堅、若手の太夫、めっちゃ頑張れ! 言われんでも頑張ってる思うけど、それ以上にめっさ頑張れ!

今回は俺、東京の公演も行きますョ。
「浄瑠璃はええもんでっせ、文楽はようできたもんでっせ」と、いっつもいっつも教えてくれてきた住さんへの、ささやかな感謝のしるしだと思う。実際、それくらいしかできないのが、歯がゆくもあるのだ。

(平成26年2月28日 近鉄アート館にて観劇)

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