【毒書の時間】『碇星』 吉村 昭

<万博をやってもやらなくても「世界の国からコンニチハ」状態が続いているので、喫煙コーナーも多言語表示 (photo AC)>


吉村昭を読む。『破船』『羆嵐』と、表紙の絵も内容もめっちゃ怖い話を読んできた。貧困の極致にある寒村の因習がもたらす一時的な豊かさと壊滅的な悲劇。開拓地を襲う人食い熊の恐怖。今回はがらっと雰囲気を変えてみましょうか、ということで選んだ1冊。とりあえずは、その展開に一々びっくりしたり怖がったりせずに読み進めていけそう(笑)。

『碇星』 吉村 昭

集英社文庫 ¥770(税込)
2002年11月25日 初版発行
2024年9月20日 7刷発行
令和7年2月26日読了
※価格は令和7年3月2日時点税込

「碇星」。いかりぼしと読む。カシオペア座の和名で、秋の季語でもある。表題作の『碇星』をはじめ8編の短編が収められている。帯のコピー文は「定年後、あなたはどう生きていきますか。」だ。小生は、かなり早い時期にサラリーマン人生にひと区切りをつけたので、「定年」というものがないけど、このコピー文は結構響く。そんな定年後の日々を想像したり、考えさせられる8編だった。

8編の中で、印象深かったのが『喫煙コーナー』。

たばこを吸える場所を探すのが大変な世の中になった。職場の入居するビルの喫煙へは、出勤時、昼休み前、昼休み後、午後休憩、退勤時に行くのだけど、大体、顔触れは決まっている。別の会社の人なのに、一服しに来る時間が重なるのが面白い(笑)。

この話は、もちろんそんな薄っぺらい話じゃない。70歳を過ぎた孤独なおっさん3人、いつの間にか顔なじみなって、一人が来ないと「どうしたんでしょうか」と心配になる。年齢的にそうなってくるんだろうな…。顔を見せなかったのではなく、見せられなかった理由が、そうか、そういう人生があったのかと…。ほとんど縁切れになっていた兄弟の死、その始末一切を執り行ったと言う。そこからグッと3人の距離は縮まり、単なる喫煙コーナーの顔見知り以上の関係になっていく。

花火』『牛乳瓶』『光る干潟』は、作者自身の体験からの作品のようだと、解説は言う。『牛乳瓶』で、物語と関係ないが、子供の頃は、毎朝「牛乳箱」のカタン、牛乳瓶が触れ合うカチャンという音で目覚めたなあと思い出す。各家庭の戸口には木製の「牛乳箱」が設置されていて、瓶入りの牛乳が配達されていた。毎日、家で1本、学校の給食で1本牛乳飲んでたのに、あんまり背ぇが伸びんかったな、俺(笑)。

寒牡丹』はちょっと怖いというか、そりゃそうかもなというか…。定年を迎えた男の朝の描写がいい。

翌朝、眼をさましたかれは、会社に行かなくてもよいことに明るい解放感をおぼえた。家で寝ころんでいてもよく、背広も着ずに思いのままに街を歩いてよいことに気分が浮き立った。

「気分が浮き立つ」のは、せいぜい1週間くらいで、まあ10日もすれば時間を持て余し、仕事一筋でこれという趣味もないままに生きてきた人生を悔やむ日々が始まる、なんて人も少なくないだろう。特に昭和の「モーレツ時代」を会社に捧げてきた人は…。

さて、そんなウキウキな朝に妻に三行半を突き付けられるのである、この人は。妻も夫婦関係も定年退職して、自由の身になります、ということらしい。まあな、そういう気持ちになるかもねえ…。でも、その用意周到さには唖然とするしかないと言うか、あな恐ろしやってのは男の側からの感想になるのかな…。

どの話も二十歳代の小生が読んでも、全く響かなかったと思う。二十歳代どころか、三十路でも四十路でも響かなかったはずだし、まず手に取ってはいなかっただろう。齢を重ね、61歳になったからこそ、しみじみと読めたんだと思う。世の中には、そういう本がある。そしてこれこそが天の配剤というもので、出会うべくして出会った一冊なのだろう。人と本の縁(えにし)というものを感じる。

8編はいずれもとりたてて「オチ」はない。求める必要もないだろう。世の中、何でもオチをつけないと気が済まない傾向が強まっているように思うが、まあ落ち着けよ、というところで、こんなオチでいいっすか(笑)。

吉村昭、次はこれを読んでみようと思う


コメントを残す