【睇戲】『アウト・オブ・フレーム』(港題=片甲不留)

香港インディペンデント映画祭
『アウト・オブ・フレーム』(港題=片甲不留)

無題非常に充実したラインナップを堪能した「香港インディペンデント映画祭」も、この作品の鑑賞をもって小生の予定は終了。「雨傘活動」に参画した若者たちを追った『乱世備忘』はもちろんのこと、そもそも「雨傘」は何故にあれほどの事態に発展してしまったのか? という疑問を紐解くヒントになるような作品も多かったし、10年前に公開された作品なのに、まるでそれからの10年間を描写したようなリアル感あふれる作品もあり、鑑賞中に「うーーーーん」と唸ること度々。中には「え? 何を感じてほしいわけ?」みたいな作品もあったけど(笑)、それは小生の感性をもっと磨けというご託宣として受け取っておこう…。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

poster_1452509205港題 『片甲不留』
英題 『Out Of Frame
邦題 『アウト・オブ・フレーム』
製作年 2015年
製作地 香港
言語 標準中国語
香港電影分級制度本片屬於第Ⅲ級,18歲以上人士收看(=18禁)
評価 ★★☆(★5つで満点 ☆は0.5点)
導演(監督) 郭偉倫(ウィリアム・クォツク)

主演(主要キャスト) 王柏倫、單麒汶青、繆藝豪、袁莉、馬條

香港で自主上映される度に大変話題を呼び、映画人の間でも非常に評価の高い作品なのだが、いまだに劇場公開ができないままでいる。見えない力に、映画館側が及び腰なのは論を俟たないところだろう。 もちろん、あからさまに「待った」がかかっているわけではないだろうが、もしも実際に「待った」がかかった時のことを考えると、「さわらぬ神に…」でいるのが賢明なのだ。ではなぜ、この作品が「さわらぬ神」なのか?

北京に実在する「芸術村」の「宋荘」は、1990年代半ばころまでは市内北西部の円明園周辺に多く集住していたアーティストが、政府の再開発により立ち退きを強制されたことで、宋庄へ移り住み、当時は農村地帯だったこの地域にアトリエを構えたことが始まりである。最初に移り住んだ住民の一人である方力鈞など、有名な画家も多く住む。本作は、この「宋荘」をモデルに描かれている。

政府にとって不都合な絵の展覧会やインディペンデント映画祭、パフォーマーアートなどを度々開催しており、常に当局の監視下に置かれている芸術村。政府に封殺される画家が自身の血を画材に用いた創作を続け、公安の暴力に対抗する。監視、監禁され、精神的にも追い詰められてゆくさまを描くことで、本土の様々な矛盾、不条理を浮き彫りにしてゆく。

芸術村と言えば、北京の「創意正陽芸術区」の強制立ち退きに反対するアーティストたちのデモ(2010年2月)や、前衛アーティストの艾未未の度重なる拘束が思い起こされる。忘れかけていたこうした出来事が、この映画を観ているうちに「ああ、そう言えば、なんかこんなハナシあったような…」と、色々思い出してゆくのだから、よほど、こうしたアーティストに対する圧力と言うよりも弾圧は頻発しているんだろうなと感じる。

宋荘のアーティストが、公安に睨まれる理由のひとつには、香港の民主化勢力との連帯がある。いや、実際には「連帯しましょ」「そうしましょ」なんてことはしていないのだが、例の「雨傘」に際して、「宋莊」のアーティストたちは連帯声明を出し、香港の学生たちを支援した。当然ながら、ただちに公安に身柄を拘束され、半年以上の刑罰を科されることになった。今もなお、拘束されたままのアーティストもまだ居るという。

監督の郭偉倫(ウィリアム・クォツク)は、香港インディペンデント映画界のプリンスと呼ばれる、気鋭の監督。前作『幽媾』は、釜山国際映画祭、ベルリン国際映画祭などに出品され、海外でも高く評価されている。郭監督が、いまだ囚われの身にある北京のアーティストたちにエールを送ると同時に、香港の将来を危惧して制作したと思われるこの作品。もはや本土では誰も手を付けなくなったテーマ、香港だからこそ作ることができたと言えば、カッコいいかもしれないが、現状は上述の通り、自主上映以外に上映機会に恵まれていない。「いよいよ香港はそんな時代に突入してしまったか」と嘆いても始まらない。残念ながら、返還とはそういうことなのだから…。と、小生は1997年7月1日に諦めた。救いは、この作品制作に香港藝術發展局が援助しているという点か。

《片甲不留》預告片

(平成29年6月8日 シネ・ヌーヴォ)




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