【御朱印男子 3】愛染堂勝鬘院

御朱印男子
愛染堂勝鬘院

日本最古の夏祭り、そして住吉祭(住吉大社)、天神祭(大阪天満宮)と並び、大阪三大夏祭りの一つとして古くから親しまれているのが愛染祭。大阪の夏祭りのトップを切って開催され、秘仏・愛染明王、大日大勝金剛尊の特別御開帳をはじめ、宝恵駕籠に浴衣姿の愛染娘たちを乗せて、谷町筋を練り歩く初日のパレードが毎年、大阪ローカルニュースのトップで報じられる。

また、近隣に在住していた 小説家・川口松太郎の代表作であり映画化もされた『愛染かつら』のモデルとなった縁結びの霊木「愛染かつら」がある ことでも有名。

こちらがあの「愛染かつら」。樹齢数百年といわれる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、桂とカズラが一体となったその姿が仲の良い男女が寄り添っているように見えることから、縁結びの霊木として今もなお篤い信仰の対象となっているというわけ。真冬なので寒々とした光景だが、夏にはカツラの葉が青々と生い茂り、オレンジ色の花が咲く。などと、HPに書いてあった(笑)。小生はその様子を見たことない、何回か参拝に来てるけど(笑)。

【3】愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)

正式名称は「勝鬘院」。金堂に愛染明王が奉安されており、愛染明王信仰の普及とともに、勝鬘院全体が愛染堂と呼ばれるようになった。

建立は古く、593年(推古天皇元年)、聖徳太子は四天王寺建立にあたって敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四箇院を開設。 そのうちの施薬院では、薬草を栽培し、病に苦しむすべての人々に与えるという目的で現在の愛染堂の場所に建立された。その建立意義から我が国の社会福祉事業発祥の地でもある。

施薬院が勝鬘院と呼ばれるようになったのは、ここで聖徳太子が勝鬘経を人々に説いたことと、勝鬘経に登場するシュリーマーラー夫人(勝鬘夫人)の仏像が本堂に祀られているためである。ちなみに、現在は施薬院は四天王寺病院が施薬療病院として太子の思いを継承している。

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<墨書右から>
奉拝
平成二十九年一月二日
愛染明王
勝鬘院愛染堂

御朱印に西国愛染第一番とあることから、「西国愛染十七霊場」の一番札所である。十七霊場には、京都の東寺や生駒lの聖天さんとして有名な宝山寺、奈良の西大寺、門戸厄神こと東光寺などがある。また、左下の朱印には「荒陵山勝鬘院愛染堂」とあり、四天王寺と同じ山号「荒陵山(あらはかざん)」である。
それにしても、なんかほのぼのとした墨書であることよ。書いてくださる方それぞれに字の特徴があるよな。

国の重要文化財、多宝塔は大阪市最古の木造建造物。初代は593年に建立されたが、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失。その後、慶長2年(1597)豊臣秀吉により再建され、現在に至る。内部には、秀吉が戦勝祈願のために造像させたとされる大日大勝金剛尊像と、極彩色で描かれた十二天の壁画と柱絵が奉安されている。

近くには 天王寺七坂のひとつ「愛染坂」があり、また隣接の大江神社の西側の石段の急勾配を見るにつけ、上町台地を実感することができる。

山口百恵が歌ってたのは「愛染橋」。そういえば、近くには「愛染橋病院」もあるよな…。まあ、この坂とは関係ないけど。

境内から見下ろす大江神社の石段。上町台地を実感できるきつさ。

<ところ>大阪市天王寺区夕陽丘町5-36  <あし>四天王寺前夕陽丘(地下鉄谷町線)より徒歩5分 秀才が集う大阪星光学院の北側

(平成29年1月2日参詣)



 


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