【御朱印男子 2】荒陵山四天王寺

御朱印男子
荒陵山四天王寺

初詣は元日に地元のお宮さんとお不動さん、二日に四天王寺、三日にちょっと足を延ばして郊外へという感じ。

で、今回の御朱印は正月二日に参詣した四天王寺。大阪では天王寺さんと呼ぶ人が多い。基本、大阪人は「すみよっさん(住吉大社)」「いくたまはん(生國魂神社)」「飴ちゃん」「おかいさん(お粥)」「お芋さん」「おじゅっさん(住職)」…と、「ちゃん、さん、はん」付けで呼ぶことが多いが、こちらもその一つ。

【2】荒陵山四天王寺

山号、荒陵山と書いて「あらはかざん」と読む。諸説あるが、『日本書紀』によると、物部氏との戦に勝利した聖徳太子が四天王寺建立の地として選んだ摂津のこの土地を当時は荒陵(あらはか)と呼んでいたようである。ただし、四天王寺自体が最初からこの土地にあったのかどうかはこれまた諸説あり。こういう「諸説」で古代に思いを巡らせるというのは、古代からの営みが記紀などの言い伝えや書物、古墳や寺社というなんらかの形で今に伝えられ、それらを身近に目にすることができる近畿に住む者なら、一度や二度にとどまらないだろう…。え? ないの? そりゃアカンで(笑)。

%e5%be%a1%e6%9c%b1%e5%8d%b0%e5%9b%9b%e5%a4%a9%e7%8e%8b%e5%af%ba

<墨書右から>
奉拝
平成二九年一月二日
大悲殿
四天王寺

とにかく甲子園のおよそ3倍という広大な境内である。宗派を超越した存在、和宗総本山だけに、当然、御本尊の久世観世音菩薩以外にも薬師如来、十一面観音、阿弥陀如来、大黒天…と多くの御仏がおはしまするわけで、それぞれに立派なお堂もあり御朱印の数も多い。その数は前回紹介した庚申さん含め25種に及ぶというから、寺の規模がうかがえるであろう。

今回は代表的な御朱印をいただく。右肩の「大日本佛法最初」の朱印が示す通り、創建は1400年以上ものはるか昔にさかのぼる。その経緯は、『日本書紀』の伝では、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折、崇仏派・蘇我氏についた聖徳太子が形勢不利打開のために、自ら四天王像を彫り、「この戦に勝利した暁には、四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天)を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために建立されたとある。結果、わが国に初めて仏教の根拠たる寺院を聖徳太子が創建されたということから、「大日本佛法最初」の朱印が押されているという次第。

また中央の「大悲殿」の墨書は、朱印所の説明書きによれば「大きなお慈悲をお授けくださる観音様のおいでになる館という意味です」とのこと。それすなわち御本尊の久世観世音菩薩。「どうか小生にも、お慈悲を!」と、新年早々情けないお参りをしてきたわけである(笑)。

四天王寺には、初詣以外にも春秋の彼岸、お盆にも参詣するので、これからゆっくりと各種御朱印をいただいていくこととしたい。結願の暁にはきっと何かいいことがあると信じて…。

<ところ>大阪市天王寺区四天王寺1 -11 -18  <あし>天王寺駅(JR、地下鉄谷町線)より徒歩10分、四天王寺前夕陽丘(地下鉄谷町線)より徒歩5分

(平成29年1月2日参詣)



 


2件のコメント

コメントを残す