【上方芸能な日々 歌舞伎】五代目中村雀右衛門襲名披露

歌舞伎
中村芝雀改め 五代目中村雀右衛門襲名披露
七月大歌舞伎


芝雀丈に関しては、これまでも上方の舞台で何度も観てきたわけだし、それほど遠いお江戸の役者という存在ではないわけだが、これがいざ雀右衛門となると、小生の中ではどうしてもお江戸の看板女方という印象が強く、そうなるとやっぱり遠い存在になってしまう。これは仕方ない。わざわざお江戸まで歌舞伎見物に行く人間でもなく、やっぱり上方歌舞伎の面々への肩入れが強くなってしまう。

と言いながら、雀右衛門は実際には上方ゆかりの名跡である。初代は大坂生まれ。二代目もまた明治期に大阪で活躍、明治8年に大阪・角の芝居で二代目雀右衛門襲名。

三代目は、上方の二代目嵐璃笑の子で5歳の時に初舞台。父亡き後、17歳で二代目雀右衛門の養子となり、四代目芝雀襲名。大正6年、大阪・浪花座で雀右衛門襲名。「雀右衛門と言えば女方」と言われるのは、この三代目から。若き日に文楽人形遣いから教わった人形振りを得意とし、上方歌舞伎の華でもあった。

まだまだ記憶に新しい四代目はお江戸の生まれだが、一時期、上方に拠点を移して活躍していたこともある。

そしてこの度の五代目だが、実は大阪生まれだという。先代が関西の舞台に出演中に、同行していた母親が大阪のバルナバ病院で出産した。8カ月の早産だった。

まあ、そんなこんな色々あるけど、とにかく襲名を見ると長生きするという言い伝えもあって(別に長生きしたくもないけど)、これはやっぱり縁起もんだし、後々「あれ見てましてん」と、自慢の一つもできるやもしれぬという実に卑しい思惑もあって、松竹座へ駆けつけたという塩梅である。

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それにしても、このところの襲名ラッシュにはやや辟易している。そりゃ、功成り名を遂げた役者さんがその実力と実績にふさわしい名跡を受け継いでいくことにには何ら異論はないのだけど、結局、松竹の「襲名ビジネス」に踊らされているわけで、ほんまうまいこと儲けはるわ~と。でもまあ、行くんですけどね(笑)。

来年はまた新春早々、ここで芝翫、橋之助、福之助、歌之助の親子四人そろっての襲名披露があるわけで、もはや襲名なくして歌舞伎興行はありえないみたいな状況。一方で、これくらいやらないといくら歌舞伎といえども、やっぱ古典芸能は厳しい興行環境にあるのかもね…。

鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき) 菊畑

■初演:享保16(1731)年9月、大坂・竹本座で人形浄瑠璃
■作者:文耕堂、長谷川千四

 

00全五段の時代物だが、多分小生は歌舞伎でも文楽でも三段目の「菊畑」しか観たことがないように思う。あるいは印象に残っているのがこの段だけなのか。いずれにしろ、『鬼一法眼三略巻』といえば「菊畑」と相場は決まっている。

鬼一に歌六、奴虎蔵(実は牛若丸)に梅玉、奴智恵内に橋之助、さらには孝太郎、亀鶴となかなか心憎い配役となっていて、いつも持って行こうと思いながら、またもや双眼鏡を持ってこなかった自分を自分で叱責していた次第である。

梅玉と橋之助がよかった。上方の義太夫狂言の代表的な一作ではあるが、あえて上方に染まろうとせずに、お江戸の香りもほんのり漂わせてくれたのが好印象。「上方」を無理強いしていない雰囲気がいい。まあこの辺は看板役者の風格である。歌六の鬼一は先の二人に比べ、やや押し出しの弱さを感じてしまった。皆鶴姫の孝太郎も同様。

「菊畑」と言われるにふさわしく、舞台は菊花爛漫であったが、さて、この狂言をいよいよ夏本番、っていうかまだ梅雨も明けぬうちに見せるのも、いかがなものかと思わないこともない。

『口上』
下手より、梅玉、我當、進之介、錦之助、鴈治郎、友右衛門、雀右衛門、藤十郎、秀太郎、橋之助、孝太郎、歌六、仁左衛門

お披露目役は藤十郎で。まあ今回はこれを観るために夜の部を選んだわけで、芝居を楽しもうと思えば、断然、昼の部の方が楽しいだろうに…。とは言え、愛しの仁左衛門さまはじめ、秀太郎、梅玉、我當、鴈治郎、藤十郎と、お気に入りの役者がズラリと並ぶので、華やかなもんである。ちょっと違う意味で進之助も見逃せない(笑)。

我當丈は後見が付かなければ座っているのもしんどい状況だけど、幹部俳優としてこうして寿ぎの場に並ばないかんのが、辛いところだろうとお察しする次第。

お弁当の時間
(晩飯、って言うにはあまりにも早すぎるので、軽く助六で)

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IMG_3104襲名披露公演は、幕間にこういうのをいろいろ見られて楽しいね。

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鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)

■初演:大正4(1915)年9月、東京本郷座
■作者:岡本綺堂


さだまさしの同タイトルの歌は、この作品を底本としているから題名だけは知っている人も多いのでは。

作品が書かれた時代の「大正浪漫」を漂わすロマンチックな恋物語を描く「新歌舞伎」だが、義太夫狂言をここという場面で取り入れることで、上方らしい哀感たっぷりな舞台となり、「ああ、やっぱり上方歌舞伎やな」と納得させられる。夜の部で口上以外に当代雀右衛門が出演するのは本作だけなので、しっかり観ておきたい。そのために今日は張り込んで2等席(10,000円!)にしたんやから(笑)。

雀右衛門丈演ずるお染は、遊女という身の上ながらも、初心な乙女。素顔でのインタビューなどを見聞きしても、若々しさを漂わせている雀右衛門、なかなかのハマり具合だった。心中をはたすことになる菊池半九郎役の仁左衛門との相性もよく、両ベテラン安定の芝居。

お染の父・与兵衛の團蔵も味わい深い。四条河原で半九郎と鴈治郎演ずる坂田源三郎が斬りあうシーンに遭遇した時の「これはえらいことになった」感が、その後の展開を予感させる。

「濁りに沈めど濁りに染まぬ、清き乙女と恋をして」

の名セリフは有名。かくのごとく、作者の岡本綺堂は、印象深い詞章を作中に散りばめる手法が特徴か。番付でもそんな解説があったが、それであるなら、せめて義太夫狂言に関しては床本をつけてほしいところ。帰宅して「あそこのあの言葉…」と思い出そうと思っても思い出せない。まあ、「歌舞伎は役者を見せる芝居、文楽は浄瑠璃を聴く芝居」よって「歌舞伎公演に床本は不要」と言われればそれまでの話なんやけどな。ネットで探せと言うならそうかもしれんが、それではあまりにも味気ないではないか。

芋掘長者

■初演:大正7(1918)年、東京市村座
■作者:岡村柿紅
*現在上演されるものは、十世坂東三津五郎が平成17年に歌舞伎座で、45年ぶりに復活上演させたもので、振付も三津五郎による。


これは面白い。いわゆる追い出し狂言にはもってこいの作品。舞踊劇としての歌舞伎、喜劇としての歌舞伎の面白さをたっぷり伝えてくれる。三津五郎はよいものを掘り起こし、そして遺していってくれた。

随所に三津五郎らしいいたずらっぽさが漂い、復活上演以来、三津五郎の当たり役だった芋掘藤五郎を橋之助がよく継承してくれているのがうれしくもあるが、それが三津五郎ではないことの寂しさ、喪失感の大きさを改めて痛感する。

ズラリと並んだ常磐津連中、長唄囃子連中も壮観。

「口上」に重きを置いたから夜の部を選んだわけだが、出しもの的には、昼の部の方が見ごたえはあるんじゃないかと思った。「切られ与三」のお富さんなどは、やっぱり雀右衛門の魅力を大いに感じることのできる役だと思うのでね…。昼も行っとくか!(笑)

(平成28年7月9日 道頓堀大阪松竹座)


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