【上方芸能な日々 歌舞伎】五代目中村雀右衛門襲名披露<其弐>

歌舞伎
中村芝雀改め 五代目中村雀右衛門襲名披露
七月大歌舞伎


ポケモンGOの配信が始まって最初の週末。ミナミの街は、スマホを見ながら往来する人でいっぱい。危ないね~。小生なんぞは元々バランスの悪い人間なもんだから、歩行中にちょっとでもスマホに目をやるとたちまち転倒しそうになるから、見るときは必ず立ち止まって道に端っこに寄るようにしている。階段の上り下りしながらスマホなんて、ようあんな器用なことできるな~と、感心するな。

で、そんな危なっかしいミナミの街にありながら、まったく危なっかしくない松竹座で、結局、昼の部も観てきた。ま、結論から言うと、最初からこっち観ておいたらよかった(笑)。とは言え、やっぱそこは「襲名披露興行」なもんだからそっちも…。要は両方観るという、まさに松竹の「襲名ビジネス」に乗せられたわけで、そこんところが悔しい(笑)。
嘆き節はひとまず置いて。

小さん金五郎

第一場 安井天神の場
第二場 福屋の離座敷の場
第三場 勝曼坂の場

■初演:安永9(1780)年、大坂角の芝居、『南詠恋抄書(ところばいかいこいのぬきがき)』として。昭和9(1934)年3月、大阪歌舞伎座、『小さん金五郎』として。
■作者:大森痴雪(昭和9年のもの)


jakuemon_201607oosaka小生が未来の愛之助として注目の、未輝が女髪結お鶴(吉弥)の弟子・千代吉として出演。舞台に出ている時間は少ないが、花道から下がるとき、小生が勝手に名付けた「お芋の歌」(笑)を歌う。

昨年の正月芝居で、藤十郎の部屋子として番付に紹介されていたが、1年半でこうしてセリフ付きの場を与えられるというのは、やっぱり藤十郎の威光のなせるところか? 元々、子役として映画などで頑張っていただけに、将来が楽しみな少年。覚えておいたほうがいいよ~。

さて芝居は、ベタな上方狂言である。恋模様があれこれと入り混じって、ちょっくらややこしい人間関係になっているが、段切りが何とも言えないおかしさがあるので、途中のややこしさはそこですっきり解消。このへんも上方の芝居ならではというところ。最後は心中で片を付けるというありがちな恋物語でなく、喜劇の様相。まあ、朝っぱらから心中モノなんて観たくもないから、こういうのがよろしいな。

タイトルからすると、金五郎(鴈治郎)と小さん(孝太郎)がメーンなのは言うまでもないが、小生は「お鶴の失恋物語」として観ていた。まあとにかく吉弥が楽しく、よくやっていた。鴈治郎の団体客へのリップサービスも、よろしかった。

夕霧名残の正月 由縁の月

■初演:延宝6(1678)年2月、大坂荒木与次兵衛座
今回上演の作品は、平成17(2005)年12月、南座
■作者:オリジナルの台本は現存せず、平成17年の南座での上演の際に、新たに書き起こされたものを上演


『廓文章』などでお馴染みの一連の「夕霧もの」。今回のものは儚い物語である。夕霧に雀右衛門。いやはや美しい。伊左衛門の藤十郎も美しい。

舞台は夕霧の四十九日。扇屋の主人夫婦(友右衛門、秀太郎)が、夕霧の打掛を前にして病で亡くなった夕霧を偲ぶところから。その夕霧に入れあげたため、勘当されてすっかり落ちぶれてしまった伊左衛門がやって来る。「紙衣」という粗末ななりでの出は、やはり初演でも伊左衛門を演じた初代藤十郎のやり方。

夕霧の死を儚む伊左衛門のもとに夕霧が姿を現す…。二人は形見の打掛とともに舞うのだが、この打掛は先代の雀右衛門が藤十郎の襲名披露公演で夕霧を勤めた時に使ったものとのこと。こういうものが受け継がれてゆくのが、古典芸能のいいところであり、見ごたえのあるところ。

二人の舞もさることながら、常磐津がこの話の肝になっている。上方ものながら、義太夫でなく常磐津というのが洒落ている。それぞれの詞章がなかなか味わい深いものであった。

IMG_2375.JPGroukyokuzasekiさて、この日の座席は。

前回が大枚はたいて2等席だったもんだから、今回は貧乏なわけで、いつものように3等席で。これがバルコニー席。ちょっと趣向が変わっていいかなと思っていたら…。花道が見えない!まったく見えない!花道での出来事は、バルコニーからぐっと上半身を乗り出さねば、な~んも見えまへん。花道ばかりか、下手の出来事もまったく見えないから、結局は芝居の大半の時間を身を乗り出すような姿勢で過ごしたという次第。バルコニー席なんて見かけはかっこういいけど、苦痛以外の何物でもない。ま、これが1階や2階なら話は別なんだろうけど。所詮は一番安い席よ(笑)。

与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)

序幕 木更津海岸見染の場
二幕目 赤間源左衛門別荘の場
三幕目 源氏店の場

■初演:嘉永6(1853)年5月、江戸中村座
■作者:三世瀬川如皐


誰でも知っている(はずの)春日八郎の大ヒット曲『お富さん』は、昭和29年のリリースで発売3カ月で30万枚を売り上げたというから、現代のCDの発売枚数やダウンロード数などに換算したら(計算する気もないがw)、50倍くらいの数字には軽くなるんじゃないかと思う。なにせ新曲リリースの数が今とは比べ物にならないくらい少ないし、当時のヒット曲なんてのはオール世代が歌詞を丸暗記できるほどの流行り具合だから、もしネットがあればとんでもない売上数字を残したと思われる。

そしてこの歌の大ヒットの肝は何と言っても覚えやすい歌詞である。そこのあなたも出だしくらいは歌えるだろう。そしてリズム。当時のヒット曲の多くは、この歌と同じ「ブギ」だから耳によくなじむ。さらに言えば、この歌詞が何の「本歌取り」かを日本人が常識として大人はもちろん子供も知っていたというのも大きい。それほどの人気狂言が、この『与話情浮名横櫛』である。今となっては、歌舞伎好きしか知らないのだろうけど…。

簡単なストーリーである。遊蕩三昧に明け暮れる江戸の大店の息子・与三郎は、木更津でお富と知り合い、深い仲に。しかし、お富は木更津の顔役・赤間源左衛門の妾。二人の関係を知った源左衛門に与三郎は滅多斬りにされ、簀巻きにされる。お富は逃げ出したものの、源左衛門の子分に言い寄られて海へドボン。そして3年後…。

とにかく雀右衛門のお富が色っぽい。色っぽいて言うのがふさわしいのか艶っぽいと言うのがふさわしいのか、まあ男子ならゾクッとする美貌である。あれなら与三郎でなくても目と目が遭った瞬間に「瞬殺」されるだろう(笑)。いや笑い事ではないのだ。実際に見えにくいバルコニーから身を乗り出してそのまま落ちてしまうんじゃないかというくらい舞台に引き付けられた。見たら、隣のおっさんも同じ姿勢だった(笑)。

そして愛しの仁左衛門さまは、こちらはこちらでまた、男の色っぽっさ満開であった。「切られ与三郎」と変じてお富が住まう源氏店(=玄治店/げんやだな)に現れるわけだが、木更津海岸でのナンパな与三郎とのギャップの作り方演じ方が、これはもう仁左衛門さまならではの芝居。与三郎が源氏店のお富の前で見せたおみ足のまあなんと美しいこと。このおみ足拝見しただけで、寿命が伸びますまな~。

常にバルコニーから乗り出すような態勢で見物していたもんだから、お約束とばかりに2日後に腰と首に強烈な疲労感というか痛みが生じ、この週はその嫌な感じとの闘いの日々だったというまことに情けないおまけがついてきたわけだけど、芝居そのものは、非常に面白く楽しく見物できたから良しとしよう。

(平成28年7月23日 大阪松竹座)


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