【上方芸能な日々 歌舞伎】七月大歌舞伎/夜の部

歌舞伎
関西・歌舞伎を愛する会 第二十三回
七月大歌舞伎

大阪松竹座の七月大歌舞伎も後半戦に突入。連日、多くのご見物衆がつめかけ、盛況。

今公演では、ケガで休演が続いていた仁左衛門丈が、復帰後、初の大阪での公演ということもあり、仁左衛門ファンも大挙して劇場へ。

仁左衛門ファンの端くれの一番隅っこで、端から転げ落ちそうな位置におりまする小生も、元気に舞台に立つニザさまのご尊顔を拝したく、松竹座へ!

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今回は仁左衛門丈に加え、坂田藤十郎、片岡秀太郎と上方歌舞伎の重鎮が居並び、『寺子屋』、『沼津』の大作も用意されている魅力たっぷりの大歌舞伎。さらにお江戸から中村橋之助、尾上菊之助らも加わり、舞台に一層の厚みが加わる。 

伊賀越道中双六 沼津

■作者:近松半二、近松加作
■初演:天明3年(1783)4月、大坂竹本座(人形浄瑠璃で)
*寛永11年(1634)11月、伊賀上野鍵屋の辻で起きた「伊賀越の仇討」を脚色した『伊賀越乗掛合羽』(安永6年[1777]1月、大坂中の芝居にて初演)を増補、浄瑠璃化を意図した作。『沼津』は六段目にあたる。


Cyan Magenta Yellow Black昨年秋の、文楽での公演はいまだ記憶に新しいところ。とりわけ、『沼津』は「千本松原の段」の住さんの渾身の語りは、後世に語り継がれるようなものだっただけに、その半年後に、住さんが床を下りるなんて想像だにしなかった…。さて、歌舞伎はどんな感動を呼ぶか。

呉服屋十兵衛に藤十郎、お米に扇雀、平作に翫雀という親子3人によるキャスティングが豪華。

まあねえ、これ、一番お安い席(それでも6000円!)の3階席ということもあって、最初の方はセリフが聴きとれないの(泣)。義太夫狂言だから、役者のセリフオンリーで進むわけじゃないし、筋のよくわかっている『沼津』だからついて行けたというものの、かなりのフラストレーション。十兵衛と平作が実の親子とは知らず、運命的な再会を果たしてからしばらく続くほのぼのとした喜劇的場面なんかは、二人が客席へ下りて行ってユーモラスに演じていたわけだが、下の席のお客は爆笑してると言うのに、なんですか、この置いてけぼり食らった感は…。てな具合。

色んな場面を文楽と比較しながら観て行くわけだけど、明らかに違うと思ったのは、平作が十兵衛から仇筋の沢井股五郎の居所、「九州相良」を聞き出して息途絶えるシーンかな。文楽では、平作の臨終をその場で見届けるのは、十兵衛だけだが、歌舞伎では蔭に隠れて「九州相良」を聞き取ったお米と池添孫八(進之介)も出て来て、3人が平作の臨終の場に揃うんだな…。ちょっと勝手が違って「あれれ、お前らも来るんかい!」って突っ込んでしまう(笑)。

いわゆる「お米のクドキ」は、小生としては文楽の方が情味が伝わったけど、この辺は座席、役者、太夫なんかでかなり印象が変わるところだと思う。扇雀丈には辛口評価になるかもしれんけど、情が薄かったんじゃないかと…。

とはいえ、総体的には文楽とは一味違った上方風情たっぷりの、歌舞伎ならではの『沼津』でござんした。

 

新古演劇十種の内 身替座禅

■狂言の大曲『花子』が素材。作詞・岡村柿紅、常盤津作曲・七世岸澤式佐、長唄作曲・五世杵屋巳太郎
■初演:明治43年(1910)、東京市村座


能、狂言を元にした舞台を「松羽目物」という。書割が能、狂言同様に「松羽目」だから。「歌舞伎って、敷居が高すぎてとっつきにくい」と言って敬遠する人が多いけど、たしかに上述のようにお値段は安くはない。でも、「幕見」と言って一部を格安料金で観られるシステムもあるので、ぜひともこの『身替座禅』のような役者の身振りや表情だけですべてが呑みこめるような演目を見てほしいと思う。『身替座禅』なんて世界中どこでやっても、大爆笑の連続なんだから。

待望の仁左衛門サマ、上方での復帰は、昼の部が『寺子屋』の松王で重厚な役、夜の部は『身替座禅』の山蔭右京で軽妙な役。どちらも仁左衛門さまの本領発揮。奥方の翫雀、太郎冠者の橋之助も好演でとても愉快な舞台となった。時蔵の長男・梅枝、福助の長男・児太郎がそろって侍女役を演じる。

小生が仁左衛門サマに惹かれる一番の理由は、ニヒルな男の色気。恐らくそれがこのお人の一番の持ち味なんだろうけど、山蔭右京のようなかわいらしい男を演じてもやっぱり、この人には色気があるんよな~。こっちの顔の仁左衛門サマも大好きだわ~。うーん、こりゃやっぱり昼の部の「寺子屋」も観なけりゃいかんよな…。

 

三遊亭円朝口演より
真景累ヶ淵(しんけい かさねがぶち)
「豊志賀の死」

落語が元という演目。落語には文楽や歌舞伎を元にしたネタが多いが、その逆パターン。

■元ネタ:三遊亭円朝の怪談噺『真景累ヶ淵』 *円朝は幕末から明治期にかけて活躍
■初演:明治31年(1898)2月、真砂座 *脚色:久保田彦作
*「豊志賀の死」のくだりは、二世竹柴金作が脚色し、六世尾上梅幸、六世尾上菊五郎らで、大正11年(1922)5月、市村座で演じたものが評判を呼び、今日まで公演を重ねている


夏らしく怪談モノで。「怪談」と言いながら、その実はタイトルの「真景」が「神経」を掛けているということからわかるように、人間の心理をわかりやすく「幽霊」というものに具現化して物語にしたものだから、幽霊への恐怖よりも人間の心の怖さが良く伝わる作品となっている…、という点が「怖がり」の身としては救われる。子供のころ、母親に「幽霊なんてのは、心にやましいことのある人にしか見えへんの!」って言われた、まさにそれ。で、心にやましいことのかった小学生のアタシが「幽霊を見た」わけじゃないが、とても恐ろしい怪奇現象に襲われたことなんかは、内緒の話。怖いからね…。

富本節の師匠、豊志賀と内弟子の新吉。「富本節」ってのは、三味線音楽の一種で清元の前身のようなものらしい。顔に不気味な腫れものができて床に臥せっている豊志賀を親身になって看病する内弟子の新吉だが…。

豊志賀の時蔵が疑心暗鬼の塊へと化してゆく豊志賀を好演。献身的な子弟愛だったものが、次第に重苦しい師匠からの愛になってゆく深みにあえぐ新吉を菊之助。映画でも同じ役をやったと言うだけあって、当たり役の一つなんだろうか、すんなりと役が響いてきた。その「すんなり具合」は、この日観た役者の中でもトップクラスだったと感じる。

最後はゾクッとしながらも、「落語的オチ」を感じる。「怪談モノ」だから「ぎゃ~!」「こわ~!」って云うんじゃなく、それこそまさに「真景=神経」とはよく言ったもんだという作品。意外にも「上級者向け」の演目かも。

 

女伊達

■文化6年(1809)4月、江戸中村座における、二世瀬川菊之丞三十七回忌追善で初演の五変化の舞踊『邯鄲園菊蝶』の夏の景が元。昭和33年(1958)に復活

とにかく絢爛豪華。宝塚の総踊り的な雰囲気。舞台も明るくって、やはり入門編として幕見で観ると歌舞伎が好きになっちゃうこと請け合い。

女伊達こと木崎のお秀が孝太郎、男伊達こと淀川の千蔵を時蔵の二男・萬太郎、同じく中之島鳴平が橋之助の長男・国生と役者の顔触れも豪華絢爛。さらに小生のお気に入り、松太朗も「若い衆」役でちょこっとネ。にしても孝太郎は綺麗だね~。お父上のニザさまも元気に上方の舞台に立って、めでたしめでたしって感じの『女伊達』でやんした。

「追い出し」と位置付けされるだけに、小難しいストーリーや人間模様を読み解く必要なく、ただひたすら「わ~、すげぇ~」と感心したり感激したりするだけだから、気楽に歌舞伎を楽しめる。そんな感じで今公演、非常に狂言建てが見事で、満足度も高い七月大歌舞伎夜の部でござんした。

一番お安い、一番てっぺんの方の席で、ちょっと見物しづらさもあったけど、ここらへんの席での楽しみはなんと言っても「大向こう」からの掛け声。「山城屋!」「松嶋屋!」「成駒屋!」などなど、アタシにすりゃ、「え?この人成駒屋だった? え~っと、誰それの息子だから…、あ、そうかそうか」みたいに一々系図を頭に描いたりしているうちに場面が3つくらい先に進んでいる(笑)。いつかはあんな風に声掛けたいな…。ヘタレだから一生無理かもな…。横で誰かアドバイスしてほしいな…。

(平成26年7月20日 道頓堀大阪松竹座)


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