【睇戲】『浮城(うきしろ)』(港題=浮城)

『浮城(うきしろ)』
(港題=浮城)

『青鬼』が空前の大ヒットで、連日若人がつめかける「シネマート心斎橋」。その間隙をぬって、なんとも胸に沁みる香港映画が上映されている。「グルメとエステの旅」では、決してうかがい知ることのできない、そしてジャッキー・チェンのカンフーアクションや警察故事ものでは描かれる事のない、「本当の香港の物語」を知りたければ、この映画『浮城』をご覧になることを、強くお勧めする。『青鬼』に押し寄せている若人諸君にも、ぜひとも見てほしい。

2017541今ではほとんど見ることができない水上生活者=「蛋民(たんみん)」だが、小生が1996年に銅鑼灣から香港仔(Aberdeen)に越してきたころは、まだ多少は、香港仔の漁港が家船で埋め尽くされていた名残はあった。その後、急速に水上生活者は陸へと生活の場を移し(あるいは強制的に移動させられ)、今ではごくごくわずかしか残っていない。

香港在住中の小生は、香港最古の漁港・香港仔の西の端にある田灣(Tin Wan)という、漁村の風情を残した村に住んでいた。14年間で3か所のアパート住んだが、いずれにも以前は水の上で暮らしていた人が多く住んでいたのを思い出す。(写真は、2012年末の田灣。この老人は海の上で生活している人だ)

この作品は、香港そのものがまだまだ貧しく、さらに「蛋民」はもっと貧しかった1950年代から現代に至る、「蛋民に貰われた混血児」のサクセスストーリーである。これが実話に基づいているというのだから、もしかしたら小生が心安く付き合っていた元・蛋民の田灣村の人たちにも、同じような歴史があったのかもしれない。田灣村のAさんやBさん、Cさんたちの顔を思い浮かべて観ていたら、自然と涙目になってしまったのは、言うまでもない。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

FC Teaser Poster港題 浮城
邦題 『浮城』
制作年 2012年
制作地 香港
言語 広東語、蛋家語

評価 ★★★★☆(★5つで満点 ☆は0.5点)

導演(監督):厳浩(イム・ホー)

領銜主演(主演): 郭富城(アーロン・クォック)、楊采妮(チャーリー・ヤン)、鮑起靜(パウ・ヘイチン)
特別演出(特別出演):何超儀(ジョシー・ホー)、劉心悠(アニー・リウ)、鄭家星(カールソン・チェン)

香港映画界の重鎮の一人、厳浩監督による作品。言ってるうちに50歳になる元・アイドルの郭富城やベテランの域に差し掛かろうかという楊采妮、ATV(亜洲電視)専属の超ベテラン女優・鮑起靜をはじめ、何超儀、劉心悠らしっかりしたキャストが揃い、名前を見ればそれだけで、質の高い作品が期待できる。

さて、その出来上がりはどんなもんだったか。作品はまず、主人公の華泉が自分のアイデンティティについて悩む場面から始まる。「自分は何者なのか?」。

この映画の蛋民の生活の場は香港仔ではなく筲箕灣(Shau Kei Wan)だけど、ロケには香港仔が使われた場面も多いようで、自分が住んでいたアパートもチラ映りしていて、そこんところ、とっても胸キュン!

【甘口評】
▼できるだけ歴史に忠実に丁寧に各時代を撮っているのが、まず印象的。こういう仕事はこの人ならではのものかと。さらに「実話」に基づいた作品ということも手伝い、リアリティー感抜群の作品。とりわけ小生は、蛋民の生活というものを自分の住家の目前で見ていただけに、感情移入具合が半端ではなかった。
▼かつては「香港四大天王(香港アイドル四天王)」の一人でアイドル歌手として絶大な人気を誇った郭富城の演技が光る。ぐっと押さえながらも、発する言葉の一つ一つに感情が凄まじいまでにこもっていて、「アーロンがここまで大人の演技ができる俳優になっていたのか」というのを再確認した次第。
▼主人公・華泉(郭富城)の蛋民の母親役も見せてくれた。若き日の母を演じた何超儀、老いてからの母を演じた鮑起靜の「リレー」にまったく不自然さが無く、いかに二人がこの母親の心情をよく理解していたかがわかる。ベテランの鮑起靜が上手なのは言うまでもないが彼女の演技をより一層光らせたのは、何超儀が若き日の母親をしっかり演じたからだろう。
▼また、華泉が「彼は自分にとって『名伯楽』だ」と慕った、勤務先の「東印度公司」の英国人上司役の西洋人俳優、名前を失念したがこの人はTVB(無線電視)のドラマでおなじみの人。イヤ味なく役割をこなしていて、さすがの演技。

【辛口評】
あえて「辛口」にすることではないかもしれないけど…。大出世を遂げた華泉のビジネスパートナーとして現れる、劉心悠が演じる菲安。彼女との関係がいまひとつぼんやりとした描かれ方しかしていなかったと感じる。もっとも、全体のストーリーにとっては枝葉の部分ではあるんだろうけど…。イケてる女優だけに、少しばかり残念。ま、この辺の匙加減の上手さが、厳浩の心憎いところか。

ホームドラマ的な作品であるとともに、社会派作品でもある。いくつもの「香港が抱える問題」が提起されている。

1)英領時代は本当に今より良い時代だったのか?
いま、反中・嫌中意識が非常に高い香港。英領時代が懐かしいとばかりに、デモでは英領香港の旗を振る人が目立っているが、彼らは90年代前半にいよいよ返還までのカウントダウンが始まった頃に、ようやく英国が半ば強引に「民主」を根付かせようとした時代の「英領時代」しか見ていないのではないか? 第二次大戦終結からまだ日の浅かった50年代、高度成長期前夜の60年代の「英領香港」には、貧しい「植民地香港」の暮らしがあったのだ。

2)子供の売買
そんな時代、貧しさの極みあった人たちは、子供の売買という究極の選択を迫られていた。主人公・華泉は「買われてきた子」であり、その後、一家の暮らし向きが傾くと、彼の弟や妹はよその家に売られ、施設に預けられたのである。

3)主人公・華泉の出自
これも「英領」にまつわる話になるが、彼は英国艦船の残飯を集めの仕事をしていた母と英兵との間に生まれたのだが、父親たる英兵は実のところ誰なのかわからないし、わかったところで父親になってくれるわけでもない。こうした「悲話」は当時の香港、いたるところにあったのではないか? またその後のベトナム戦争時には、戦地に向かう米兵、戦地から引き上げる米兵との間に「父親のわからない子供」が多く生まれたという話もよく聞く。

4)アイデンティティ
「自分は何者なのか?」。華泉ならずとも、香港人に常につきまとう問題。「香港人」なのか「中国人」なのか。「中国の香港人」なのか「香港の中国人」なのか。英国パスポートを持っている自分は「英国人」なのか「英領香港人」なのか…。

ざっと思い当たるだけでもこれだけ出て来る。実はもっと深い問題や伝えたいことが、厳浩にはあったのかもしれない。
そんなわけで、公開中にもう一度観てみたいと強く思っている次第なり。

<おまけ>
・「四大天王」時代の郭富城(アーロン・クォック)=左とちかごろのアーロン
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電影<浮城>主題曲 by Carlson 鄭家星 =「浮城」主題歌 唄:(カールソン・チェン)*若き日の主人公を演じている

(平成26年7月9日 シネマート心斎橋)

<追記>
7月15日、再度鑑賞。上記の文章に数か所、記憶違いの部分があることに気づくも、それはそれとして改めずに放置しておきます。まあ、いくら「感動した!」と意気込んで文章を残しても、記憶なんてそんなもんなんやなあ~と、思った次第。それにしても、18:45上映開始という、会社勤めには最高の時間帯にもかかわらず、観客が十数名とは哀しい限り。香港映画でこういうジャンルは客を呼ばないなあ…。メディアの扱いもほとんど無いし。浜村淳がラジオで一言「さてみなさん、『浮城』は、ほんまにエエですよ」と言えば、全然違ったろうに。ほんまにエエ作品なのに、勿体ない。


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