【六四20周年⑥】燭光悼念集會雑感*旧ブログ

6月4日に香港・ビクトリアパークで行われた「六四20周年 燭光悼念集會」について

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会場前方入り口(地下鉄天后駅側から会場後方へ向かう参加者の列。
開始時刻を30分遅らせてもこの流れは途絶えず(筆者撮影)

いや~、びっくりしたなぁ、もぉ。

主催者発表で15万人、連中曰く「公園の周りには入りきれない人たちが5万人。20万人が集っている!」と。

まあね、公園の周りの5万は余計な一言だとしても、15万人か。よくもまあ集まったもんだ。もうこんなにも人がいると計測不可能ですよ。
警察は6万2千800人と発表しましたが、その数字って多分、MTR(地下鉄)の最寄2駅(銅鑼湾、天后)の降者数にバス利用者や徒歩での来場者を概算で割り出した数字だと思いますので、実態に近い数字なんだろうけど、昨日ばかりは見渡す限り人、人、人…。10万以上はいるだろうなと、思いましたね。

壇上で支連会主席の司徒華氏が「今日の参加者数、15万人!」と叫んだときの地響きのような「うぉ~~~~!」っていう歓声、凄かったなぁ。

小生が1995年からほぼ毎回見てきた中で、一番多いと思っていたのは返還を間近に控えた1997年の集会。
このときは主催者発表で5万5千人。で、警察は発表していないので、ってことは警察発表するまでもなく5万5千人だったんでしょう。
あの異様な熱気、それは「来年からは開催できないかもしれない」という悲壮感からくるものだったのかもしれません。
海外メディアの数も凄い数でしたし、あちこちで記念撮影する人たちも多数見かけました。
まさに「返還前最後の」という枕詞をつけるにふさわしい集会でした。

それ以降も7万人(99年)、8万2千人(04年)などがありますが半分くらいが実態とみて間違いないでしょう。

99年は「六四10周年」、04年は前年の7月1日の50万人デモから続く「香港人のための民主化活動」の流れを汲んで、それぞれ意図的に人数を発表した雰囲気が強いです、いや間違いなくそうでしょうね。

六四事件翌年の90年の追悼集会には、やはり15万人が参加しています。ってことは今年はそれと同じ数、それくらい市民の意識は高まっている? それほど香港人を怒らせるような悪事を中共が働いた?
じゃないですよね。

15万参加の背景としては、

1)20周年の記念
2)曾蔭権行政長官の発言に対する怒り
3)香港大学学生会代表の発言への怒り
4)前日に起きたマカオでのウアルカイシ強制退去
5)教協による動員活動

が考えられます。
これはあくまで憶測ですがね、
やっぱり1番多い参加動機は「20周年記念」だからでしょうね。
とにかく「カメラ小僧」が多かった!(って人のこと言えないんですが)
20周年記念の六四集会を写して、WEBのアルバムで公開したり自分のブログで公開したりするんでしょうね、きっと(ってこれまた人のこといえない)。
それをして、「若者の参加が目立った」なんて『蘋果日報』なんか賞賛してますが、ちょっとね…。

まあ、「小僧」だけではなく、写真を撮るためだけがもくてきだろ、みたいな人は相当数いました。こういう節目の場だけにそれはそういう目的の人がいっぱいいるのも仕方ないでしょう。

2)、3)については現在における「六四」がらみと言いますか。
行政長官発言は以前にも紹介しましたが、「本土の急速な経済成長のきっかけとして「虐殺」がある」的な中央見解を踏襲するとみなされても仕方ない発言を議会でやっちゃった、さらにそれが「香港の総意」みたいなことをさらっと言っちゃった。そこで「お前、何様だ? お前の意見が香港を代表するとでも思ってるのか?」っていう攻撃が始まった、という展開。

港大の一件は、学生会会長・陳一諤君の発言。天安門事件フォーラムで、武力弾圧の批判なく「やり方に問題があっただけだ」。聴衆は、武力弾圧やむを得ずと受け止め、多くの学生の反発に遭い、陳君は会長を解任される。陳君は発言撤回せず、という顛末。

支連会・司徒華代表はスピーチで「これだけ多くの皆さんが参加したことについて、行政長官と陳君には感謝しけりゃなりませんな」と語って、参加者はやんやの大喝采。
ちょっぴり危ないなぁと思いました。たしかに二人の発言には問題があるかもしれないけど、結果として「つるし上げ」になってしまっている。「異見」を許さない、聞く耳持たないこの展開が、民主化運動である「六四」で起きているのは、ちょっとなぁ…。

そしてこの2)、3)、とりわけ2)の理由で参加した人は相当数いたと思われます。「行政長官やめろ!」Tシャツを着た人をいっぱい見かけました。もちろんこの発言に憤りを感じたんでしょうけど、昨今の不景気をだれかのせいにしたい、いまの自分の経済的不遇を誰かのせいにしたい、という思いをちらつかせながらの行政長官糾弾。六四で憂さを晴らそうというわけです。

4)のウアルカイシのマカオ入境拒否・強制送還事件はグッドタイミング。ただ、これだけで大動員にはつながらないので、小要因というとこか。

5)の教協。日本で言うところの日教組。最大規模の民主団体であり反日団体であり愛国者集団。
この日、制服姿の中高生が目立っていましたが、これも『蘋果日報』的には「若者参加が~」ってことになるわけですが、さあ、彼ら彼女らが本当に自発的に参加したかどうかは甚だ怪しい。
ってのはですね、04年春にシナ全土で吹き荒れた反日旋風で、香港においても民主派あげての反日デモがあったのですが、一番熱心だったのがこの教協。で、教協では小中高生を大動員して、子供たちに「打倒日本軍国主義」とコールさせながらデモ行進させたんですよね。それを目の当たりに見ていますもんで、此度の制服姿の子供たちも、そうじゃないかなぁなんて邪推してしまうんです。
反対に左翼系の学校では六四に行った事が教師に知れると、ネチネチと言われるそうですが、「それでも六四には行くべきだと友達と決めました」という集団も少なからずあり。えらいね、教科書には載っていていないし教師に質問しても教えてくれない環境にあるというのにね。

ま、15万動員の背景はこんなとこですかね。

もちろん、1990年から1回も欠かさずに参加し、心の底から事件の再評価や、中共の虐殺行為の責任追及を訴え続けている人たちが大半だとは思うのですが。

なぜか15万人の中で、そういう人たちよりも「お祭り騒ぎ」的な参加者が目立っていたような気もしました。
「20周年」という節目だからしょうがないかな、それも。

あ、そうだ!
これはもうどうすることもできない流れなんだと思いましたが、大陸観光客がけっこういましたね。
すごいクセのある方言なんでしょうねきっと、そんなシナ語を何度も何度も耳にしました。
連中は写真もいっぱい写してたし、ビデオも撮影しているし、そんなビジュアルを土産に持って帰って

「おらたち、六四行ってきたずら」
「なんだべ?六四って」
「おめぇー、知んねぇのか? 民主的じゃねぇなぁ」
「なんだべ、民主って?」
「15万人集まって、ローソク持って、『平反六四』って叫ぶことだべ」
「ぎょへぇ、15万人も集まるのか、その民主ってやつに?」
「そうだべさ。それもタダで見れるんだぁ。みんなで歌さ歌って、楽しかっただぁ」

って会話が繰り広げられるんでしょうか…。
この人たちが「平反六四」ってあちこちで言ったがために反動分子としてしょっぴかれないことを祈るばかりです。

とにもかくにも、2009年6月4日夜、香港はビクトリアパークに10数万人が集まり「平反六四」を叫んだことは紛れもない事実。

参加の動機はどうであれ、香港では「六四」と名の付く集会で、まだまだこれだけの人数が集まるということを、中共はどう感じたでしょうか?
震撼したか、それとも勝手にやらせとけと思ったか…。
多分、後者でしょうね…。

今日はここまで。疲れる…
なんで他国の「民主」のためにこんなに時間を割かなきゃならないんだ?


3件のコメント

  1. ピンバック: 【六四29周年】六四30年を前にして香港は… – どがちゃがHONG KONG、OSAKA

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