<六四34周年の日、銅鑼灣(Causeway Bay)にはその面構えから「劍齒虎(サーベルタイガー)」と呼ばれている装甲車が配備されたが、何をするわけでもなく、一つの抑止力の役目を担っていた>
六四、すなわち1989年の天安門事件から34年が経過した。COVID-19の感染拡大と国安法の施行により、毎年、ビクトリア公園で行われていた追悼集会が開かれなくなって4年目となった。六四活動をリードしてきた香港市民支援愛國民主活動聯合會=支連会も一昨年、解散を余儀なくされた。
そんな状況だが、やはり何が起きるかわからないとあって、厳戒態勢の下、香港は今年も6月4日を迎えた。ざっと現地メディアから1日を見てみた。
六四34周年前夜の香港
銅鑼灣(Causeway Bay)のビクトリア公園、そごう近辺には天安門事件の犠牲者を悼んで、花や白紙(スローガンなどを書くと、国安法違反)を携えた市民が続々と現れ、中には「六四を忘れるな!」と叫ぶ者も。4人が逮捕され、さらに4人が調査のため警察署に連行された。また扇動関連の罪となる可能性があると、警告を受けた者もいた。
午後6時ごろ、支連会の元ボランティア、關振邦氏と「天安門母親運動」のメンバー、劉嘉儀女史は、ビクトリア公園の噴水の前で、「堅守良知與追求自由的人」、「哀悼六四死難者向『天安門母親』致敬」、「禁食89643.4秒(1989年6月4日34周年の意味)」などと書かれたA4のチラシをかざした。二人は24時間絶食する予定だと言う。劉によると、ハンガーストライキは徒歩で移動しながら実施され、この日の朝は8時45分、夜は6時4分に噴水に戻る予定だったと言う。花束を持った劉は、6本の白いバラと4本の赤いバラは、天安門の母親たちへの支持を意味すると言う。
警察は扇動罪に違反する可能性があるとして、2人に口頭で警告した。その間、2人はリュックから赤い絶縁テープを取り出し、口を封じるように張り付けた。警察は2人をパトカーに連行したが、2人は抵抗もせず、声も出さなかった。
また、白い服を着た男女が警察に連行された。男性はショルダーバッグに白い菊の花束を入れていた。連行の際、2人は落ち着いた表情をしており、職質後、警察は2人をパトカーに乗せた。
そごう横の東角道(East Point Road)で、六四追悼の路上パフォーマンスを行っていた芸術家の陳式森(通称・三木)も警察に連行された。連行の際、三木は「6月4日を忘れるな!香港人よ恐れるな、香港人よ彼らを恐れるな!」と興奮して叫んだ。数10人の警察官に取り囲まれ、パトカーに乗り込むと、警察官は扇動をやめるように警告した。
一方、かつては追悼集会で毎年、数万人の参加者が集ったビクトリア公園のサッカーコートは、昨年まではCOVID-19の感染拡大防止のため、6月4日は封鎖されていたが、今年は祖国回帰26周年を記念し、本土各地の名産を集めた「慶回歸家鄉市集嘉年華」が開催されており、多くの市民でにぎわっている。
会場には対テロ特殊部隊を含む100人を超える警察官が巡回にあたり、付近には「劍齒虎(サーベルタイガー)」と呼ばれている装甲車や多数の警察車両も配備された。
警察では6月4日は、銅鑼灣を中心に、5000~6000人の警官を配備して警備にあたると言う。
香港、それぞれの追悼、と言うよりはパフォーマンス
そして今年も6月4日がやって来た。日曜日ということもあり、人出も増える。上述の通り、警察は厳戒態勢で警備にあたった。
2020年、COVID-19の感染拡大防止の一環として、初めてビクトリア公園での六四追悼集会を禁止した。しかし、依然として多くの市民が、ビクトリア公園に入り、ろうそくに火を灯して追悼した。昨年、警察は「公安条例」に則り、進入禁止エリアをビクトリア公園の外まで拡張した。香港は今年「正常な状態」に戻り、防疫措置は撤回され、ビクトリア公園では「慶回歸家郷市集嘉年華」が開催された。2019年までは日暮れとともに追悼のろうそくの灯が揺れていたビクトリア公園だが、今年は「郷市集嘉年華」の照明が灯り、多くの来場者で賑わった。趣は全く変わった。
民主派政党「社會民主連線=社民連」のメンバーで、「阿牛(牛くん)」こと曾健成は、午後、花を持って夫人と二人で「黒い服を着て」ビクトリア公園を歩いていたところを、巡回中の警官に呼び止められた。阿牛は警察官の求めに応じてマスクを外し、リュックサックを開けた。二人は身分証の確認後、解放された。阿牛はメディアの取材に「教会に行った後、妻とビクトリア公園を通って、車に向かう途中で呼び止められた」と語った。しかし、民主派の武闘派人士でもあり、何度も警察のお世話になっている「札付き」の彼が、6月4日に黒服で花を持ってビクトリア公園にいるということは、いくら「通りすがり」と言ったところで、警察に呼び止められるのはわかりきった話。わざとらしいことするなよ、ってところだ。ホント、毎度毎度、世話の焼けるおっさんである。
同じ「社民連」のメンバーでは、主席の陳寶瑩(チャン・ポウイン)も午後7時ごろ、そごうの外で黄色い花と「支持天安門母親」と書かれた電子ロウソクを掲げていたところを、警察に身柄を拘束され、連行された。連行される際に「悼念六四無罪=天安門事件の追悼は無罪だ」と大声で叫んだ。陳寶瑩はあの「長毛」こと梁國雄の妻。長毛が国安法により、獄中の身であるため、代わりにパフォーマンスに来たということかな。長毛なら、もっと派手にやっただろうな(笑)。なお、陳は特に担保なく午後9時15分、連行先の灣仔(Wan Chai)警察から釈放されている。
「長毛」と来れば、忘れてはならないのが「女長毛」こと雷玉蓮(ルイ・ヨクリン)。長毛が組織する社会活動組織「四五行動」のメンバーでもあり、民主派デモや衝突の現場には必ず居る名物の一人。今年の六四は旺角(Mong Kok)に現れ、南無阿弥陀仏とプリントされたグレーのTシャツを着て、念仏を唱えた。特に問題行動は起こさなかったが、警察は念のため、彼女の周囲を封鎖線で取り囲んで、鞄の中身を調べた上で立ち去るように説得した。まあ、銅鑼灣~ビクトリア公園周辺に現れて「さあ、連れて行け!」と警察を挑発する連中よりはましか。
午後5時ごろには、おなじみの「王婆婆」こと王鳳瑤が、黒い服を着て、黄色の傘(雨傘行動の象徴)と赤い花を持って、かつての大丸前に現れたため、即刻、警察官に連行された。警察は警備を強化するため、記利佐治街(Great George Street)の車道を封鎖していたが、わざわざ、その封鎖線の前でアピールを始めるという、挑発的態度の王婆婆。2019年の暴力破壊行動では逮捕、拘留歴のある人士だが、先の阿牛同様に、この日にこの格好で警察が警備している前に現れるとどうなるか…。わざと捕まえられに来ているんだろう。
日本のアニメで香港でも大人気の『SPY×FAMILY』。中でも人気のキャラクターが「アーニャ」。このアーニャを黒い服に防塵マスクという、2019年の暴力破壊行動を彷彿とさせるいでたちに「変身」させたイラスト入りの黒いTシャツを着て「香港加油」と書かれたソックスを履いた女性が、封鎖線を突破しようとして、警察に拘束された。アーニャのイラストには日本語で「献花を禁止している」との文字も。やはりこやつも、わざと捕まりに来たクチだな。
国安法施行後に解散した労組系の民主派政党「香港職工會聯盟=職工盟」の副主席だった鄧建華(レオ・タン)は、1989年6月4日付『文匯報』の1面をプリントした黒いTシャツで現れたため、即連行され警察車両に乗せられた。天安門事件当時は、左派紙の『文匯報』でさえ、中国政府を厳しく批判していた。
香港記者協会の前主席、麥燕庭(マク・イェンティン)も連行された。翌日、香港商台のラジオ番組『在晴朗的一天出發』で、前日の模様を振り返った。結局は、記者協会という政府や警察とは何かと対立してきた一派の、前主席という人間が、黒い服を着て、封鎖線界隈をうろつくという不審行動が理由で連行されたということになるわけで、やっぱり「お前も捕まりに来たんかえ?」というクチになるだろう。
それよりも興味深かったのは、彼女が連行された北角(North Point)警察での様子。他にも連行された市民が多数いたようだが、共通点は「みんな黒い服を着ているということ」。その中で白い服を着た女性は、他人が着ていた黒い服がきれいだったので「それ、どこで買ったの?」と聞いているところを、二人そろって連行されたと言う。また、子供の誕生日を祝うために、家族4人で外出していたところ、全員黒い服を着ていたため、連行されたという家族連れもいたというから、警察がいかに「黒い服」に過剰反応しているかがわかる。これは2019年の暴力破壊行動で、乱港分子どもが黒い服を着て行動していたから。ちなみに、小生は、2月に里帰りした時、黒いスウェットを着ていたが、連行されなかった(笑)。まあ、6月4日という日ならではなんだろうけど、警察の過剰反応もここまで来ると笑ってしまうし、同時にそんな日に黒い服でウロウロするなと。
元・支連会メンバーは…
毎年、ビクトリア公園で追悼集会を開催してきた支連会も今はもう、存在しない。元幹部の多くは今も収監されている。支連会の副主席だった蔡耀昌(リチャード・チョイ)は、この日の夕刻、香港大学を訪れ、以前、「國殤之柱」があった場所で追悼しようとしたところ、MTR香港大学駅で私服警官に学内への立ち入りを阻止された。その後、旺角(Mong Kok)へ向かい、かつて「六四紀念館」があった場所で、うそくに火を灯し、民主化運動の歌を歌った。
蔡は2020年に無許可の六四集会を開催したため、実刑判決を受け、昨年8月に刑期満了で出所し、今回が釈放後初めての6月4日となった。
蔡は、香港の六四の状況が、本土の状況とますます似てきていると嘆く。以前はビクトリア公園がろうそくの海で照らされていたが、今年は「郷市集嘉年華」だけが開催され、権力者は香港人の「集體回憶=集団の記憶」を消し去りたいのだろうと危惧する。しかし「過去30年以上にわたって支連会が行ってきた活動は、6月4日の記憶を香港人の心に根付かせ、決して消すことはできないと信じている」と語る。この純情一途さこそが、良くも悪くも支連会。一途であったがため、時代の波を読み切れなかったのも事実である。蔡は香港での六四集会の開催は、当分不可能だと考えており、「香港人は合法的かつ安全に、慎重に行動すべきだ」と、『明報』の取材に答えた。
上述の通り、支連会の幹部など多くは現在も獄中の身だが、それぞれがそれぞれの方法で6月4日を追悼した。
元常務委員の徐漢光は、電子ロウソクを手にして、そごう付近に現れたが、速攻で警察官に身柄を拘束され、パトカーに連行された。
元主席の鄒幸彤(トニー・チョウ)は、獄中で34時間絶食を行ったと、Facebookで支援者たちで運営する「小彤群抽會」が伝えた。
特に大きな混乱や衝突はなく、まあまあ平穏に6月4日は終わった。警察は約6000人の警官を配備した甲斐があったのかどうかはわからんが、片っ端から黒い服を着た市民の身分証チェックや所持品検査を行い、場合によっては警察車両に連行、さらには所轄署での取り調べなどを行ったのは、実に珍妙ではあった。2019年の暴乱以降、警察はよほど「黒い服」には神経を尖らせているようだ。一方で、ワサワサと沸いてくる「注意人物」が一様に警察を刺激する文言の入った服や、持ち物を持って現れるのも、昨年と同様でこれもまた珍妙な光景であった。もうねぇ、わざと捕まりに来たでしょとしか思えんわな、こういう連中に関しては。
5月最終日曜の六四抗議デモ、6月4日の追悼集会が実施できない今、「自分がやれる範囲内」で抗議や追悼の意を表する、こういう形での六四がこの先も続くのだろう。さあ、返還26周年となる7月1日はどうなりますやら…。
さて、天安門事件当時、北京の天安門広場で群衆を扇動していた王丹にセクハラ疑惑が浮上した。今、台湾で吹き荒れる「台湾版#Me Too」風波に便乗した動きだとは思うが、日本では、ほとんど報道されていないようなので、次稿でさらっと触れておこうと思う。ってことで、次も六四です(笑)。
『北京の台所、東京の台所 ――中国の母から学んだ知恵と暮らし』 ウー・ウェン (ちくま文庫)
文化大革命の記憶、医食同源の知恵、日中の食のあれこれ……。料理研究家ウー・ウェン 人生と料理のひみつ。
←料理本ではあるけど、文革や天安門事件も語られている。この季節だからこそ、読んでおきたい一冊。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。