【香港陥落21周年-2】響かなかった「一党独裁の終結」というスローガン

by “香港01”

7.1遊行 参加者に響かなかった
「一党独裁の終結」というスローガン

「香港が中国に持って行かれて」から21周年 を迎えた7月1日、超党派の民主派団体民間人権陣線=民陣主催の、恒例の「7.1遊行(デモ)」が開催された。参加者数は主催者発表で約5万人、警察推計でピーク時に約9,800人、香港大學民意研究計劃の推計では、2万6000~3万3000人だった。民陣は「3000人で申請していたにもかかわらず、昨年より1万人減ったとは言え5万人が参加した!」と発表。一方の警察の推計数は、03年の統計開始以来、初めて1万人を割り、過去16年で最低となった。

↓7.1デモの参加者数(2003年~)*クリックで拡大 (蘋果日報)

多様化する要求の参加者に響かなかった
「一党独裁の終結」

デモのスローガンは結束一黨專政、拒絶香港淪陥=一党独裁の終結、香港陥落の拒絶だったが、例により、様々な要求が叫ばれた。

デモ当日、『蘋果日報』がデモ参加者に行ったアンケートの結果でも、「参加の理由」は多様だ。

  • 香港の自由、人権の後退に不満を感じたから — 63.1%
  • 早期の民主化と政治改革の実現を要求したいから — 13.7%
  • 一党独裁の終結を求めるから — 10.5%
  • 林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官に不満だから — 7.6%
  • 出発地点をめぐる警察の圧力に不満を感じたから — 5.1%

メディア界では民主派の唯一の理解者である同紙のアンケートだから、そこは差し引いておいたほうがいいが、その結果でさえ「一党独裁の終結」は1割にとどまっている。

このうち、自由や人権への不満・不安、選挙制度を含む民主化、行政長官への不満なんてのは、返還以降ずっとくすぶっている問題なので、参加理由と言っても「いつものことやん」ってところだが、思ったより割合が低かった「一党独裁の終結」と「出発点をめぐるあれやこれや」というのは、今回の特徴と言えるので、触れておくとしよう。

「結束一黨專政」は、言うまでもなく中国共産党の独裁政治の終結を求めるスローガンである。先の天安門追悼行事で、若い世代を中心に拒絶された「建設民主中国」とほぼ同等の意味合いを持つこともまた、説明するまでもない。結局のところ、「結束一黨專政」についても「中国のことなどどうでもいいだろう」という実に単純明快な理由から、参加者の心に響かず、市民のデモへの参加を促すメッセージにはなりえなかったということだ。

英字紙『South China Morning Post』は、香港大學民意研究計劃で参加者数の調査にあたった、香港大学社会科学部の葉兆輝(ポール・イップ)教授が「一党独裁政治の終結というテーマは、多様な要求を持つデモ参加者たちに訴えるものではないようだ」と語ったと伝えている。ま、現場で参加者の観察をし、コメントなども取った人ならではの発言だな。小生は現場にいたわけでなく、刻々と入ってくるニュースや動画をチェックしていただけだが、そんな海外の人間でさえ、同教授の発言と同様の感想を抱いたんだから。しかし、民陣としては、これをスローガンにせざるをえない事情もあった。それについては、以前に記した【六四29周年】六四30年を前にして香港は… で記した通りである。まあ、好きにやって下さい(笑)。

能弁な「學運女神」の発言は一聴の価値あり

さらに同紙は、本土・自決派政党「香港眾志(Demosistō)」の周庭(アグネス・チョイ)のコメントも紹介している。林鄭行政長官が、返還記念日直前に駆け込み的に新たな住宅政策を発表したことに「 新しい住宅政策を導入しようと努力した 」と、一定の評価を下している一方で、「中心的な問題は、土地の分配と、政府と不動産開発者との『良好な関係』だ」とも述べ、政府とデベロッパーの不透明な関係に言及している。また、「政府は、香港の抱える問題の焦点を『民生問題』『住宅問題』『経済問題』に絞っているが、私はこれが全体像だとは思わない」と言い、「多くの香港人も基本的人権を尊重し、若者たちは香港で民主主義のために戦っている」とし、香港市民の要求は、目先の経済政策ではなく、人権と民主にあると語り、政府の目くらまし的政策を批判した。

デモで演説する周庭 by “South China Morning Post”

周庭と言えば、雨傘の際には活動の中核的存在だった「學民思潮」のスポークスマンとして活躍し、日本のメディアにも「学運の女神」として度々登場した、まだ22歳の日本オタクの普通の女の子である。従来の汎民主派のベテランたちや、情緒で報道する『蘋果日報』よりも、よっぽどしっかりした発言をするのには、いつも感心させられる。そんな彼女は、次の立法会補選に立候補を届け出るも、資格を取り消されている。

資金集めに見る汎民主派の衰退と本土自決派の台頭

こうした民主派のデモに付き物なのが、民主派政党や団体の募金活動である。「ほ~、民主派はここでお金を集めて恵まれない人や、日本の豪雨被災地へ義捐金を送ってくれるのか!」なんて、思ってませんか? まさかね(笑)。民主化デモは、資金難に喘ぐ民主派の活動資金集めの貴重な機会なのである。ネット新聞『香港01』では、そんな民主派各団体の「売上報告」を報じていて興味深い。

2018年7.1デモ 主要政党、政治団体への募金額
7月1日集計「香港01」調べ *太字は「本土自決派」団体
香港眾志 本土自決派 HK$530,000
社民連 汎民主派 HK$460,000
小麗民主教室 本土自決派 HK$276,000
公民党 汎民主派 HK$223,000
人民力量 汎民主派 HK$180,000
民主党 汎民主派 HK$120,000
工党 汎民主派 HK$85,000
新同盟 汎民主派 HK$47,000
民主動力 汎民主派 HK$38,000
民協 汎民主派 未集計
民間人権陣線 主催者 HK$203,000

汎民主派勢ぞろいには笑う。そんな中で 自決派(香港のことは香港人で決める!) の香港眾志がダントツの53万ドル(HK$1≒JPY16)を集めたのは痛快だ。先述の周庭のほか、2016年の立法会選挙で史上最年少にして最多得票数で当選したものの、「議員宣言に不備アリ」で資格剥奪ばかりでなく牢屋送りにされていた羅冠聰(ネイサン・ロー)、さらには雨傘で世界に名を轟かせた黃之鋒(ジョシュア・ウオン)と、「タレント」揃いということもあるが、結局は、彼らの主張が今の香港市民に、もっとも受け入れやすいものだという証でもあるのだろう。

デモの出発地点をめぐる民陣 vs 警察の応酬

さて、横道にそれたが、もうひとつ触れおきたいのが、「デモ出発点をめぐる」主催者側と警察の応酬である。

この地図は、『South China Morning Post』に掲載された、デモのルートである。ビクトリア公園を出発したデモ隊は、香港島サイド最大の商業集積地・銅鑼灣(Causeway Bay)、灣仔(Wan Chi)を通り、金鐘(Admiralty)の香港特区政府総署までを進んだのだが、この出発点、当初、民陣側は買い物客で押し合いへし合い状態の銅鑼灣そごう脇の東角道(East Point Road)で申請していた。

あんなところに何千人、何万人と集まって、もし将棋倒しでも起きたら、民陣はどう責任を取るつもりなんだろうと見ていたら、これには事情があったようだ。

従来、デモの出発点はビクトリア公園のサッカーコート全6面だったのを、昨年から香港各界慶典委員会が返還記念イベントで使用。よって警察は公園内の芝生を指定してきた。しかし民陣は「芝生地は雨が降ると足場が悪くなるし、多くの市民は沿道から参加するため」東角道を主張。警察も一歩も譲らず、出発点は従来通りビクトリア公園でと指定。もし従わない場合は「法例違反となる」とコメントするなど、両者の応酬が激化してゆく。結局、民陣側が警察の指示に従い、出発点はビクトリア公園に落ち着いた。

この一連のやりとりを、「『警察の横暴だ!』と、抗議したい」からデモに参加した人が5.1%いたというのは、なんとも『蘋果日報』的な集計結果ではある。きっと「なんとなく来てみた」って人が大半だったと思うが、そんな結果を載せたら『蘋果日報』の存在価値がなくなるわな(笑)。それこそ「民主を情緒で語る」メディアの名折れになるってもんだ。図星だろ!?

ビクトリア公園をスタートしたデモ隊は、スタート当初は結束一黨專政、拒絶香港淪陥の横断幕ではなく、警察への不満を掲げた。警察は沿道からの参加者が増えて混乱するのを警戒し、そごう前に鉄柵を二重に設置して厳戒態勢。参加者数を抑え込みたいという政府の思惑がちらつく行動である。実にわかりやすい人たちだ。

物々しい沿道警備体制。以前はこんな光景は見られなかったが…

一方で、香港各界慶典委員会による記念イベント開催のため、早くから押さえられていたサッカーコートは、その間、どんな状況だったかと言うと…

by “香港01”

ってな有様である(笑)。もっとも、親中派の行事に集まるのは高齢者が多いという事もあって、午前中がにぎわいのピークだったのかもしれない。実際その時間帯には、獅子舞などによる盛大なイベントも開かれ、林鄭行政長官も式典に参加している。

開催意義にあいまいさを増す7.1デモ

結局のところ、7月1日のデモの開催意義が年々あいまいになってしまっているのだろう。民陣が取りまとめ役となって最初の7月1日のデモは、2003年だった。丁度、SARS禍の終息宣言が出されて直後のことだった。また、「国家安全条例」、いわゆる「基本法23条」の立法化への反発が最高潮にあった時期でもあった。主催者発表で50万人が道路を埋め尽くした。結果、立法化は先送りとなり、詰め腹を切らされた保安局長の劉淑儀(レジーナ・イップ)は辞任し、翌年には行政長官だった董建華も「健康上の理由」から、その座を退いた。たしかにあの時は「人民の勝利」だった。それはやっぱり、「国家安全条例」の立法化という、香港市民を脅かす事態への反発があってのことだ。「一党独裁の終結」というスローガンに、それは感じられなかった。「六四」同様、「大陸へのおせっかいよりも、まずは自分たちのことを!」ってハナシだ。

以前は盛んに言われていた「全面普通選挙の実施」も、雨傘活動の失敗により、ほぼ完全に進路を絶たれてしまった。もうそれを口にする人も、ほとんどいなくなってしまった。そう言う意味では、「人民の勝利」を目指した雨傘も、最終的には「中共の大勝利」に終わってしまったのだった。

もっとも、現状では様々な不平不満が渦巻く香港社会にあって、その鬱憤を晴らす場としては、この7.1デモの存在価値はある。だが、それ以外の何でもない。
50万人が繰り出したあの日から、すでに15年が経過した。香港社会もすっかり変わった。人の心も変わるのだ。
そんなことをつらつらと考えていた、21年目の7月1日だった。50年不変のリミットまで、あと29年…。

人気の解放軍基地オープンデー

などと、わかったような顔して色々講釈垂れているが、まだ現地に住んでいたら、小生は「もはやデモに見るものなし」と、こっちのイベントへ行っていただろうというのが、恒例の解放軍オープンデー。若き日に、解放軍基地へ侵入を試みたほど「解放軍マニア」な小生であるから、このイベントには一度はお伺いしたい! 整理券争奪戦も凄まじいらしいが。
「民主化だ!」だの「一党独裁がどーしたこーした」と、小難しい顔して炎天下を歩かされるより、こっちの方がよっぽど楽しいと思うのだがね…。

こんなことをやってみたいのだ、解放軍基地で! by “香港01”


 


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