【睇戲】『憂いを帯びた人々』(港題=憂憂愁愁的走了)

香港インディペンデント映画祭
『憂いを帯びた人々』(港題=憂憂愁愁的走了)

無題東京、名古屋に続き、大阪でも『香港インディペンデント映画祭』が6月3日にスタートした。香港は5月末から7月1日にかけて、1年中でもっとも熱い「政治の季節」を迎える。天安門事件が起きた6月4日、いわゆる「六四」を前に、まず、6月4日の目前の日曜日に「六四」抗議デモが行われ、6月4日には追悼集会、そして7月1日が祖国回帰記念日=返還記念日と、「デモと怒号」の日々となる。そのタイミングに、2014年の「雨傘行動」の記録片ともいえる『亂世備忘』など、インディペンデント作品だからこそ、そこまでのことができたという9作品が、上映される。香港映画マニアでなくとも、観ておいて絶対損はしない作品ばかりである。

まず最初に観たのは、今や香港映画になくてはならない存在となった余文樂(ショーン・ユー)の初主演作品『憂いを帯びた人々(憂憂愁愁的走了)』。『一念無明』で素晴らしい演技を見せたショーンの若き日の作品。公開から16年の歳月を経て、ようやく日本での上映となった。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

305cd195c5314b01c12ca58d18d87089港題 『憂憂愁愁的走了』
英題 『Leaving in Sorrow』

邦題 『憂いを帯びた人々』
公開年 2001年
製作地 香港
言語 広東語、標準中国語、英語
評価 ★★★☆(★5つで満点 ☆は0.5点)
導演(監督):崔允信(ビンセント・チュイ)
編劇(脚本):葉念琛(パトリック・コン)

主演(主要キャスト):余文樂(ショーン・ユー)、何華超(トニー・ホー)、何韻明(アイビー・ホー)、郭慧(クリスタル・クォッ)、登勤(ダンカン・チョウ)、吳鎮宇(フランシス・ン)、彭浩翔(パン・ホーチョン)、黄智亨(ヘンリー・ウォン)

香港返還にともなう、香港人の心境や香港社会の変化を描く。

作品が公開された2001年は返還から4年が経過した年。まだSARS以前のことで、今のように香港中に大陸観光客があふれかえるという状況でもなく、返還直後のアジア金融危機からようやく香港も回復基調にあったころ。作品では、そのアジア金融危機にも触れられている。

監督の崔允信(ビンセント・チュイ)は、香港インディペンデント映画界をリードする「影意志」の設立者である。『愁いを帯びた人々』は、崔監督の長編デビュー作となる。

この映画はラース・フォン・トリアーの「ドグマ95」における「純潔の誓い」に呼応して、全編ロケーション撮影、手持ちカメラ、照明なし、などのルールに従って制作された香港初のドグマ映画という位置づけになっている。その影響だろうか、ビデオ撮りのような画面もあってそれが却って臨場感を生んでいたように見えた。

映画の舞台は香港、北京、深圳、サンフランシスコを転変とし、主人公も夫婦関係が冷え切ったことを契機に、信仰から一旦身を引こうとする牧師、週刊誌の若手記者、その先輩で過去の傷が癒えないままでいる女性編集者と複数。さらには、教会へ通う性的マイノリティーの若者、顕在化する高齢化社会、教会の存続を揺るがす商業ビル建設=不動産バブルの萌芽期など、1997年=返還の年以降の不安定な空気が支配する香港、それまでに目に目ていなかった問題などがよく描かれている。また、田舎臭さといかがわしさが混然としていた深圳も懐かしい。その後、深圳は急速にいかがわしさオンリーになっていったのだから。

合間合間に流れるテレビのニュース画面は、当時の話題のニュース映像。
たとえば「返還前最後の天安門抗議デモ」なんかは、小生も「まさかとは思うが、本当にこれが最後とすれば、きちんと記録しておかねば」と、デモの出発点となった中環(Central)から灣仔(Wanchai)の新華社香港支社(現在はホテル)までずっとカメラ片手にデモを追っかけていた。結局、返還から20年経過した今年もデモは開催されたが、あの時に感じた「危機感」はまったく薄れ、民主活動そのものが多様化したために、民主派も分裂を繰り返し、各派が多様な主張をするようになって久しい。結果、六四デモも「天安門事件への抗議、真相究明、追悼」という本来のあるべき姿を失いつつある。

なんでそうなってしまったんかな~?と、映画を観ながらつらつらと改めて考えていた。要するに、「香港のこと、香港人のこと、何より自分のことで精一杯」な今の香港が、「香港の民主化のためにはまず中国の民主化を!」という、天安門活動の重点テーマの一つとの甚だしい乖離があるからってのも一つやろうし、それが最大の理由かもねえ、と。昨年の立法会選挙で、多数ではないが香港独立を訴える「港獨派」や、香港第一主義を掲げる「本土派」などが一定数の票を得て議員を立法会に送り込んだ背景も、ここにあるわけで…。あの頃もデモは多かったけど、まだなんか香港全体に「余裕」があったと思う。結局、ここまで余裕を失った最大の要因は、必要以上の中共の香港への介入なのは確かなんだけど、いや~、それだけではあるまい…。などなど考えているうちに、映画はエンドロールを迎えていた…。

いや、映画がつまんなかったってハナシじゃなく、それだけのことをグルグルと考えさせてくれた良作だったってことよ。

さて、作品には色んな人が出演している。余文樂(ショーン・ユー)はもちろんのこと、ショーン演じる青年記者が思いを寄せる女性編集者を郭慧(クリスタル・クォッ)が演じる。何華超(トニー・ホー)演じる牧師と冷えた関係になってしまうその妻を演じた何韻明(アイビー・ホー)は今や超級プロデューサーである。これまた今や香港映画の超売れっ子監督の彭浩翔(パン・ホーチョン)も出演。さらには監督の一人として『全力スマッシュ』を大ヒットさせた黄智亨(ヘンリー・ウォン=ただし、どこにどんな役で出てたか未確認w)も。とにかく16年前の映画だけに皆めっちゃ若いし、16年後にこのメンバーの中からこんなにも多くの大物が生まれているんだから、なんだかんだ言って香港映画の底力を感じた。今、このメンバーで映画作ったら、インディペンデントじゃなく、売れ線の「商業映画」が出来上がってしまうのだから…。

(平成29年6月5日 シネヌーヴォ)



   


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