【御朱印男子 8】式内社 辛國神社

御朱印男子
式内社 辛國神社

【御朱印男子 7】で紹介した葛井寺とは目と鼻の先に、辛國神社と書いて「からくにじんじゃ」がある。藤井寺の市街地にありながら、荘厳と静寂を保つ心落ち着く社である。

大体、神社仏閣、とりわけ神社というのは、気持ちがすっとする場所にある。そこへ行けば、すっとすると言うか、そんな感じの場所。ほとんどの場合、神社があるからそうなったのではなく、元々そういう場所だったから信仰の場になったのだと思う。今はメディアが「パワースポット」なんて言っているけど、本来、「パワースポット」にわざわざお金をかけて遠くまで出かけるなんてナンセンスの極みで、ごくごく身近に存在して、いつも寄り添ってくれているようなお宮さんなりお寺なり、あるいはお地蔵さんや、もしかしたら児童公園の銀杏の木とか…、そいうものなんだと思う。

この「辛國神社」はまさにそういう場所。とても好きなお宮さんである。

【9】式内社辛國神社(しきないしゃ からくにじんじゃ)

社務所でいただいたパンフによると、

創建は雄略天皇の御代で今からおよそ1500年ほど昔。平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた

『日本書紀』に「雄略十三年(468)春三月、餌香長野邑(エガノナガノムラ)を物部目大連(モノノベメノオオムラジ)に賜う」とあるが、餌香長野邑は旧藤井寺町あたり(今の藤井寺駅北側?)と思われる。この地方を治めることになった物部氏が、その祖神、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祀ったのが当社の起こり、

祭祀を物部氏に仕えた辛國連(カラクニノムラジ)が務め、物部守屋大連が没した587年以降に辛國神社と称するようになった

ということらしい。

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きれいに清められた、清潔感あふれる境内に立派な社殿が映える。旧社殿(文政9年建造)跡に昭和62年(1987)9月に造営。春日造が非常に美しい。繰り返すが、居心地の良いお宮さんである。

葛井寺の山門を出て右に歩を進めれば、ほどなくこの参道が。この一の鳥居から二の鳥居までの石畳の参道は、うっそうと生い茂る木々に囲まれており、心も体も一気にリフレッシュできる。ちなみにこの参道は、大阪府の「大阪みどりの百選」に選ばれている。納得の選出である。

一の鳥居は木造の両部鳥居。立て看板には、「官社に列せられて1150年」「御社殿造営 祝三十周年」とある。
『三代実録』には

清和天皇貞観九年(867)二月二日二十六日河内国志紀郡辛國神社を官社に預かる

との記述がある。これにより今年を「官社に列せられて1150年」とみなしているのだろう。

二の鳥居は石造の明神鳥居である。この石造の鳥居は、長野神社より移設されたもの。柱に「長野神社」、「明治廿七年九月再建」の文字が見られる。

境内から見た二の鳥居

「長野神社」は明治末期の神社統廃合により、辛國神社の本殿に合祀されることになるが、そもそもは『延喜式神名帳』に「河内国志紀郡 長野神社」とある式内社であった。

御祭神
主殿に饒速日命(ニギハヤヒノミコト=物部氏の祖神)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト=藤原氏の祖神)、素盞鳴命(スサノオノミコト)の三神。

藤原氏と物部氏の祖神が合祀されている。これは室町時代に河内守護畠山基国が社領二百万石を寄進し、神域を整備した折に、春日大社から天児屋根命を勧請したことによる。その際に春日大明神と称するようになる。藤井寺駅前南側一帯を春日丘と呼ぶのは、その名残だろう。辛國神社に名前が戻るのは明治に入ってのこと。

また、素盞鳴命については、後に合祀された長野神社の御祭神が素盞鳴命だったためである。その長野神社の御祭神は本来は防疫神の牛頭天王(ゴズテンノウ)だったが、明治の神仏分離の際に牛頭天王が邪神とされたために同じ神格の素盞鳴命に変更された結果である。

相殿の御祭神は、品陀別命(ホンダワケノミコト=応神天皇)、一杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。ちなみに、このすぐ近くに応神天皇陵と誉田八幡宮があり、その関係も気になる。
末社の御祭神は、春日稲荷社に宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)、春日天満宮には菅原道真公。

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末社「春日天満宮」
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末社「春日稲荷社」

<墨書>
春日山
式内社 辛國神社
平成二十九年二月三日
<朱印>
上がり藤の紋
辛國神社の朱印

上がり藤の紋の由来については、今度行った時にでもまた質問してみるので、それまでお待ちを(笑)。

参道前の角には「仲哀天皇御陵」の道標が。確かに、この道を道なりに南へ行けば、仲哀天皇御陵に行き当たる。通っていた高校の近辺には、こんな歴史が数えきれないほどある。俺、高校時代に地歴部だったんだが、当時、一体何をしていたのやら…(笑)。御朱印男子を始めてみて、こんな話に毎回突き当たって、いや~歴史はおもしろいねぇと感心することしきりである。

<ところ>大阪府藤井寺市藤井寺 1-19-14 <あし>近鉄南大阪線藤井寺駅から徒歩7分

(平成29年2月3日、5月23日 参詣)