【羽曳高を惜しむ会】今、羽曳野は伝説となる*旧ブログ

羽曳高(はびこう)こと、母校・大阪府立羽曳野高等学校は、3月4日に第38期生の卒業式を無事に執り行い、その歴史の幕を降ろしました…。
その夜、天王寺の都ホテルにおいて、卒業生、旧職員、関係者などおよそ230名が集い、

羽曳高を惜しむ会
~今、羽曳野は伝説となる~

が開催されました。

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羽曳野市駒ヶ谷大黒(おぐろ)。眼下に清流・石川を望み、背後に名峰・二上山を控え、見渡す限りのブドウ畑の中に我が母校はあります。
「駒ヶ谷(こま≒高麗?)」の名から連想できるように、河内飛鳥の古代には渡来人が多く住んだ地との説もあり、周辺には応神天皇陵を筆頭に、大小いくつもの古墳や遺跡があるいにしえに思いをはせることができる土地でもあります。

春、中庭に啼く鶯の声を聴き。夏、石川へ竹竿担いで川幅飛びの体育授業。秋、豊かな実りに囲まれ体育祭。冬、雪降り積もる中をひたすら走れ走れ…。そんな3年間。(体育ばっかりかw)

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校舎側からグラウンドを望む(2008年11月16日、学校を見学させてもらいました)
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ここでよく「4天」をして遊びました(同日撮影) *4天、大阪南部の男子ならたいていはご存知かと…。
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中庭。授業中にデートしてる奴もいて「おたくら、ななんですの!?」って思ったなぁ(同日撮影)

本来なら、にぎにぎしく創立40周年を迎えるはずの来年度を前に、羽曳野高校の名前が消滅してしまうのはなんとも残念な限りです。

大阪府の「府立高等学校特色づくり・再編整備計画」により、近隣の西浦高校との統合が決定されたのが平成19年のこと。校舎は羽曳野を継続利用となりましたが、名称は変更されるという知らせは、当時香港に居た小生にも伝わり、遠く異国の地で、無念の思いを抱いたものです。

小生は昭和54年入学の第9期生。まだ新設校の雰囲気が残っており、のびのびと、一方で非常にのんびりと3年間を過ごすことができたと思います。
この3年間に加え、大学3回生のときには、教育実習でもお世話になりました。こちらはわずか2週間でしたが、3年間の生徒としての学校生活と同じくらい印象深く、その3年間同様に温かいご指導を受けたことに、今でも感謝しています。が、教職の道には進まなかった、俺…(笑)。

惜しむ会には、なぜか7期生とか8期生の出席が非常に多くて、同級の9期生の顔を見なかったのが寂しかったけど、1年の時の担任(体育のDせんせ、と言えば同年代の方は顔が浮かぶでしょw)や、地学のMせんせ、体育のHせんせに再会でき、近況など報告できたのはとても嬉しかったね。

現校長は挨拶で「今日、卒業式を終え、校旗を教育委員会に返却いたしました」と。ああ、これで本当に母校はなくなってしまったんだと、早くも胸がキュンとしてしまう…。
前校長は、着任3年目に統合の宣言が下された時の思いを語る。これまた胸が痛む話…。

泣くなら校歌斉唱時にと思っていたけど、初っ端からウルウルしてしまう。どうも歳を重ねるごとに涙腺が弱くなってしまうね(笑)。

校歌を作曲した音楽の田中先生(僕らは存じません)のご子息で、歌のお兄さん・田中星児さん登場で、盛り上がる。

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歌のお兄さんの背景には学校生活のスライドが流れていて、自分の3年生の時のクラスの文化祭の写真があったり、「この写真、俺が撮ったんちゃうかな?」なんてもあったりして、懐かしい旧友の若き日のめっさあどけない顔に再会。星児さんのナマ歌が非常にマッチしてましたなぁ。

先生方や先輩方、後輩たちと懐かしい話は尽きず、あっと言う間に時間は過ぎて行くのが、なんとももったいなく、そして寂しい…。

ラストは校歌で締めくくり。
作詞は家庭科の中村すみゑ先生。雨の日に廊下で相撲してて、危ないからおやめなさい!って怒られましたっけ。
作曲は前述のとおり、田中星児さんのお父さん。
なんかもう、前奏聴いただけで涙がこみ上げてきて…。まともに歌えんかった。
大阪府立羽曳野高等学校としては、これが最後の校歌斉唱かと思うと、もう、こらえられへんかった。
7期生の先輩たちは肩組んで腹の底から歌ってたし、一方では嗚咽しながら歌ってる女性もいて、みんなが消えゆく母校への思いで胸いっぱいの校歌斉唱だった。

就学時そして教育実習、さらには3期下で弟も羽曳高にお世話になった。もちろん、夫婦そして親子でお世話になった人も多数おり、僕らが9期生だった羽曳高も最後には38期生を送り出す歴史を重ねることになっていた。卒業生の総数は1万6千人を超えるという。

いろんな思い出があります。
入試前に、両親と学校を見に来た日を思い出します。
両親は周辺の環境の良さにすっかり惚れこんでいましたが、小生は内心「こんな遠いとこまで毎日通うの?」と多少、うんざりしていましたが…。

1学年564人だった僕らの頃。当然、イヤな思い出もあるし、顔見るのもイヤな奴もいたことはいたけど、僕の中では卒業すればすべては「ノーサイド」。相手はどう思ってるかは知りませんけどね。
だからこの会にも来たわけです。

多分、この学校での3年間と教育実習の2週間が、その後の僕の進路に結構大きく影響を及ぼしたのではないかと思っています。
よき担任、よき友、よき刺激。そして教育実習に我慢して付き合ってくれたよき後輩と担当教諭。
結局、波長が合っていたんでしょうね、この学校とは。

もし、羽曳高の後続校となる懐風館高校のお役にたてることがあるなら、微力ながら、力添えさせてもらいたいとも思っています(きっとお声はかからないと思いますがw)。

羽曳野高校は西浦高校との統合で、4月以降は完全に大阪府立懐風館高等学校に生まれ変わります。
そして羽曳野高校の名前はこの地上からなくなりますが、僕にとって、新たな懐風館高校は、「羽曳高の風を懐かしむ場」であってくれればと思っています。

いい学校でしたよ、羽曳高は…


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COMMENT:
AUTHOR: habiko7
DATE: 03/17/2011 11:49:14
はじめまして、
一番盛り上がってた7期生の一人です。
きれいな写真ですね。
ひょっとして、
惜しむ会お開きになった後の7期生の集合写真写してもらった方ですか?
だとしたらですが、
データを戴きたいのですが、何か方法はあります?
よろしくお願いします。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 03/17/2011 16:17:31
To habiko7さん
コメントありがとうございます。
写真はソフトを駆使して、きれいに見えるように加工してます。
ちなみに集合写真を撮影した者ではありませんので、当日の写真はここにUPしたものくらいしかありませんので、ご了承ください。
それにしても7期生は盛り上がっていてうらやましかったです。
僕が1年の時の3年生の方たちですね。体育祭の応援合戦なんかの練習も熱い学年でした。いいな~と思いました。


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