【六四20周年③】支聯會「六四」20周年大遊行(あれこれと写真)*旧ブログ

5月31日日曜日。例年の慣例で、六四デモ(天安門事件抗議デモ)に行って参りました。
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まずは、おなじみ長毛がダブルでお出迎えしてくれました!
思い起こせば、95年5月20日から始まった小生の香港生活で最初のビッグイベントが、この六四デモでした。
足掛け15年、六四デモ、そして6月4日の追悼集会を見てきて、もっとも痛感しているのは、やはり香港人の六四活動の位置づけの変化です。これは一般的に言われてきた「記憶のかなたに…」のようなことじゃなく、純真な天安門抗議や中共批判から、返還後の香港特区政府批判、普通選挙導入などの香港自らの民主化要望に変遷して行ったことです。もちろん、20年の歳月は香港から六四の記憶を遠ざけているのは事実ですが、それ以上にこの時期の六四活動の軸がずれて、見ていて「そうじゃないだろう」みたいな方向に動いていった15年でもありました。
前エントリで
もはや多くの人は当時のことをあれこれ語ることもなく、聞くと「あ、そういえば、そうだったかも」程度の記憶。
と記し、いただいたコメントも
つまり時間を味方につけた中共の勝ち、ということでしょうかねえ
という具合でした。実際、そうでした。年々減少を続けるデモの参加者、それに反比例するかのように増える「法輪功」メンバーの参加。もはや昔日の六四デモとは別物であり、激しい雨の中ずぶ濡れになって「平反六四」を訴える主催の支連会代表・司徒華氏の老いた姿に痛々しささえ感じるほどでした。
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演説する司徒さん。ほんま、年取ったなぁ~、この人

ところがどうでしょう。
今年の参加者は支連会発表で8千人! 警察発表でも4千700人! 小生の目勘定でも3千人強! と、いずれも返還後最高の数となっています。まあ、8千人というのはいくらなんでも、と思いますがね。
返還を数日後に控えた97年のデモも見ましたが、このときに、当時の新華社前を埋め尽くした人数・7千人(支連会発表)と比べると、その半分程度が実際のところでしょう。小生の目勘定は7千人のデモ行進に圧倒された97年の経験が基準になっています。

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スタート前のビクトリアパークは、近年にない人出となっていました

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やっぱり人数が多いと盛り上がり方が全然違います

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何千人もデモをするといろんなパフォーマーが出現します。そして何千人もいるのに、全然知り合いを見かけません。あえて言うなら蘋果日報と明報のカメラマン、そして長毛!くらいでしょうか…

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マニア垂涎(笑)、長毛と棺桶おやじのツーショット!

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行政長官を批判する「女長毛」。素人カメラマンにもポーズをとってくれるようないい人だったりします(笑)

さて、人数がここまで増えたのは、やはり今年が天安門事件20周年という節目だからなんでしょうか? それもありますが、香港人は「薄れていた記憶」をちょっとだけ思い起こさせられたんじゃないでしょうか?
ま、それは国内の報道なんか見ていましても、「曾蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官の発言が波紋を呼び~」などと報じられていますので、ご存知かもしれませんが、余計なこと言っちゃったんですよね、蝶ネクタイのおっさんが。

5月14日の立法会議会で、曾行政長官が長毛・梁国雄議員(社会民主連線)の「平反六四=天安門事件再評価」の質疑で「長い年月の間に、中国は各方面で発展したし、香港も経済発展している状況で、香港市民も国家の発展を客観的に評価できるはず」と発言したことに、汎民主派は猛反発。
さらに「これって香港市民全体を代表する見方でしょう」と、まるで自分の意見は香港の総意みたいな火に油を注ぐ勘違い発言を続けてしまう。ああ、やっちゃったね、蝶ネクタイ…。

いや~、確かに確かに、あなたのおっしゃることにほとんど間違いはないと思う。ただ、香港人的に見ると、今日(6月1日)の『信報』の社説にもあったが、「89年以降、国勢は安定し、目覚しい経済発展を遂げている」という中央政府の見解と同じで、要するに「虐殺により、今日の経済発展がある」という考えにつながってしまう。
そりゃ、いくら「記憶が薄れていた」香港市民でも、「六四熱」が再燃しますよ。まして質問を投げかけたのがうるさい長毛だったわけだから。どうせ長毛のことだから、そういう見解を述べるだろうってことはお見通しだったはず。それにまんまと乗ってしまう行政長官。お粗末だな…。
例によって、民主派のオピニオンリーダーを気取る『蘋果日報』あたりが、曾長官叩きを繰り広げ、まるで自社イベント扱いの「六四」にリンクさせて、読者を煽ることこの上なし。
そんなこんなで、デモ参加者もかなりの人が曾長官批判を叫んでおりましたね。そういう意味では、「20周年に花を添えた」形になった曾長官は、参加者激増の一番の功労者と言っていいでしょう。

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問題の「国殤之柱

また、香港特区政府のスタンスとして見逃せないのは、六四事件のモニュメント「国殤之柱」製作者であるデンマークの彫刻家・Jens Galschiotの香港入境を「香港に入境するにふさわしくない」として拒否したということ。「高度な自治」を謳う返還後の香港ですが、その「高度」はあくまで中共が認識する「高度」であり、自由主義社会が認識する「高度」とは、高さが違うと言うことを改めて知ることができる入境拒否であります。
入境拒否の具体的理由は明らかにされていませんが、「国殤之柱」の作者であることや台座にある「六四屠殺」という文字がいけないのか、はたまた、支連会と密接な関係にあるからなのか、そんなところでしょう。特区政府のケツの穴の小ささを笑うしかない、ってとこですね。
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Jens Galschiotの息子が父親のかわりに挨拶

そして今回、天安門広場の学生活動のリーダー各の一人、熊焱氏がデモに参加したというのは、20周年にふさわしい出来事でしょうね。熊焱氏については「維基百科,自由的百科全書」(中文版wikipedia)をご参照。(焱は「森」の字の木がすべて火)

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スタート地点のステージに立って興奮気味な熊さん

天安門の学生の一人が、中共政権下の地・香港で公の場に姿を現すのに、実に20年の歳月を要したわけです。それも「中国人」としてではなく「米兵」としてですからね。だから「快挙」とまではいえないかも知れませんが。
彼は興奮気味に言ってましたよ、「92年に中国から逃げ出して以来、初めて中国の土を踏むことができた!」と。改めて「あ~、香港って“ちゅうごく”なんやな~」と。

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「ちゅうごく」の地で、初めて「合法的な」デモに参加してご満悦の熊さんと、年老いた司徒さん

でもねぇ、海外に亡命するなりして生き延びている連中はいいですよね。ある意味「名誉回復」を成し遂げているわけですから。一方で、現場で命を落としたり、いまだ国内で監視下におかれている学生や活動家の名誉回復ってのはいつ果たされるんでしょう? そこんところを支連会は訴え続けて、香港の六四活動は20周年を迎えるわけです。デモに参加した8千人だか4千700人だか3千人強だかの市民のうち、どれだけの人がその意義に賛同し、理解しての参加だったのかは、知りえませんが。
あ、そうそう。マーティン・リー暗殺計画、なんてネタもありますが、それはまたそのうちに。


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