<大型の看板がきらめいていたころの旺角・西洋菜街 (2017年2月)>
実質、2日間の現地滞在にもかかわらず、延々と続く香港里帰りネタです。まだしばらく続くので、ご辛抱くださいませ(笑)。
香港文化博物館で堪能したのか、急にお腹が減ってきた。お友達さんから「晩飯のリクエストは如何に?」と聞かれ、前回、気に入った火鍋の「海底撈」をリクエスト。さっそく予約アプリで見てもらったところ、すでに満席。まあねえ、3年前はCOVID-19の感染拡大が始まったころで、日本では例のクルーズ船の集団感染、大陸本土では武漢の全面封鎖という時期で、観光客はほとんどゼロになっていたし、市民も外食を控え始めたという塩梅だったから、すんなり入店できた次第。あれから3年経過して、日本よりも遥かに厳しい感染予防対策を講じていた香港は、一気に規制を緩和したことで、飲食店も活気を取り戻し、なかなか予約なしでは難しい状況。やっと「普通の香港」に戻ったという感じ。
その前に、旺角(Mong Konk)をウロウロ。いやまあ、こんなに人が密集している光景は久々に見る。まあすごい。前述の通り、規制が一気に緩和されたことで、人出も一気に増えたという感じ。久々に「人出に酔う」というのを感じた。
「規制」と言えば、香港名物の道路中央まで突き出した大きな看板も、続々と姿を消している。2010年ごろから建築規制が厳しくなり、メンテナンスなどの経費を考えると、看板を維持できないという背景がまず大きい。
香港の看板と一口に言うが、きらびやかな看板の中でも、一層派手に見えるのが「霓虹燈招牌(ネオンサイン)」。この「霓虹燈招牌」を中心に大型看板について、「日本香港人協会」が以下のような考察をしている。
《ネオンサインの背景》
フランスで発明されたといわれるネオン電球は、英領の香港や上海の租界に伝わる。日中戦争や国共内戦により、上海から技術や資金とともに香港に逃げてきた多くのネオンライト職人の存在も、ネオンサインが50年代に香港で発展する理由の一つ。
では、香港にとっての大型看板や霓虹燈招牌とは、どういうものなのか。
(1)経済発展の象徴
香港経済は60〜80年代に急速に成長。同時に、霓虹燈招牌(ネオンサイン)の数も増え、80〜90年代に最も多くなる。背景には、経済発展に伴う市民の消費力向上で、いかに多くの人々に注目され、顧客となってもらうかを企業や店舗には重要課題。そこで、目を付けたのが霓虹燈招牌。香港の霓虹燈招牌を研究する学者Brain KwokとAnneke Coppoolseは、香港の霓虹燈招牌を大きく4つに分類する。
<娯楽施設>バー、ホテル/モーテル、雀荘、風俗店、ビリヤード場など
<商業施設>衣料品店、電気店、ショッピングセンターなど
<飲食店>茶餐廳、レストランなど
<その他>中医薬店、質屋など
中でも、娯楽施設の類は海外の繁華街と似ているが、ほかの3つは香港にだけ多く見られるという。→う~ん、そうでもないと思うけど…。
(2)香港の建築物の特徴
公営団地が大量に造成されるまで、旧式ビル=唐樓や総合用途建築物(商業、工業、住宅用途一体化の建物)が一般的な住居だった。これらの建物の特徴の一つは「下舗上居」(一階が店舗、二階以上が住居)というスタイル。購買施設と住宅が接近していたことで、様々な霓虹燈招牌が作られ、恒常的に客を引きつける役目を果たすことになる。このため、霓虹燈招牌は繁華街以外の地区でも多く見かけらる。
(3)創造力と自由
当初、霓虹燈招牌には特に建築制限がなく、大きさ、形状、高さ、色などすべてが自由で、各広告主は創造力と表現力を駆使した。暗黙のルールとして、「他者の霓虹燈招牌の前により大きく、完全に見えないほどに妨げるのはダメ!」いう説があるとのことだが(いやいや、そんなことないよな(笑))、基本的には自由自在で、より目立つものを作ろうという競争意識の産物が、道路中央まで突き出した巨大な霓虹燈招牌である。
さて、上述の通り、今、香港では大型看板や霓虹燈招牌は姿を消しつつある。もしかしたら、この半年くらいが「見納め」になるかもしれない。それくらいの勢いである。理由としては、次の3点を同協会では上げている。
(1)建築条例
上述したが、2010年より建築法等の改正により、大型看板や霓虹燈招牌の高さや大きさが制限されたため、多くの看板が撤去された。要するに、制限の範囲に収まっていなかったということだ。中には、地区のランドマークのような存在であったものも撤去された。惜しむ声も多いが、決まりごとは守っていただくしかない。これにより、2020年までに、すでに9割の霓虹燈招牌が撤去された。
(2)住宅と商業施設の分割
公営団地が90年代に多く作られ、住居形態も「下舗上居」から公営団地に変ってゆく。それまで「下舗上居」スタイルのビルの1階にあった店舗や飲食店が、大型商業施設の中に移り、「下舗上居」で霓虹燈招牌や大型看板で客を呼び込む需要が激減。
(3)オンラインショップの台頭
実店舗がオンラインショップへ転向するケースも増え、霓虹燈招牌による宣伝方法が時代に即さなくなった。また、霓虹燈招牌のメンテナンスや電気代など維持経費もかなり高く、オンラインショップに比重を置くようになった店舗には、霓虹燈招牌は重要ではなく、撤去も必然。
小生の見解を付け加えておくと、照明技術の進化により、昔ながらの「ネオン」よりも、箱形の看板の内部から照明で文字や図案を浮かばせる「行燈型」や、LEDでネオンよりも鮮明に文字や図案を見せるタイプも増え、新しく設置された看板で霓虹燈招牌にするケースは、ほとんどなくなっていたというのが実際のところ。恐らく、ネオンよりも製作費も電気代も相当安くつくのだろう。そこへ建築規制の強化である。
日本人の中には、とにかく「香港」と聞いただけで、一度も来たことないのに、「昔の香港はよかった」なんて、やけにノスタルジアに浸る人や、何か変われば「中国の弾圧だ!」と鼻の穴を膨らませる人が多く、この看板の一件にしても、「中国のせい!」と憤っている人をSNSなどで多数見かける。でもまあ、実際は違うよね(笑)。色々と香港の居住形態や商売のやり方が変化していく中で、大型の看板の必要性が無くなってきたきたことや、維持、メンテナンスの問題もあって、広告主側が「もう、いらんかな」と判断していることも大きい。極論すれば、大型看板に広告宣伝媒体として価値が無くなってきたということだ。
政府の建築規制についても、小生、在住中に歩道に落下した大型のネオンサインや、「今、まさに落ちようとしてます!」状態の大型ネオンサインを何度も目撃しており、やはりこまめなメンテや安全性の確認作業は不可欠だと思う。その責任が持てないなら、自主的にあるいは強制的に撤去するしかないだろう。一見、綺麗だが、よく見れば非常に危なっかしいものが多かったのだから。
さて晩飯。
その前に、小生が勝手に「似非蘭桂坊(ランカイフォン)ww」と呼んでいる尖沙咀(Tsim Sha Tsui)の諾士佛臺(Knutsford Terrace)で軽く乾杯。香港は屋内は全面禁煙だが、戸外はOK。外のテーブルに座して煙草を吸いながらビールをいただく。この日はこの時期にしては気温が高く、日中は20度を超えていたし、夕方になってもそんなに寒くない。大体、旧正月からしばらくは寒いんだが…。
ちょうど頃合いになったので、予約した火鍋屋へ。諾士佛臺のすぐそば、「君怡酒店(The Kimbery Hotel)」内の「御老鍋台式火鍋」。店名でお察しの通り、火鍋は火鍋でも、今宵は趣向を変えて「台湾式火鍋」。台湾式と言っても、別に何も変わったことはしないが、出汁がちょいと珍しい。塩味の白濁スープ。これは小生もお友達さんも初めて。
よっぽど腹が減ってたんかな?とにかく食った(笑)。牛肉、羊肉、野菜、きのこ類、魚団子に肉団子、豆腐に湯葉にお揚げさん…。つけダレは、火鍋屋なんで自分で好みの各種味付けに仕立てて、どばっとつけてね(笑)。で、この塩味のスープ、なかなかイケる。いや、相当イケる。極端に塩っぽくなく、あっさりした中に軽ぅ~~く塩の風味を漂わせている。店もきれいだし、担当の兄さんもてきぱきしていた。指先にまで入れ墨入ってたけど(笑)。グルメサイト「OpenRice」の評価も4.5ポイントでかなり高いことから、人気店なんだろう。決して店の回しもんやないですけど、ぜひ、一度お試しになってはどうでしょうか? ご予算ですか? さあ、そこはお友達さんにゴチになったんで(笑)。
この後、お口直しにちょいとさっぱりとして、忌まわしい女中部屋へと帰ったのであります。
ま、こんな感じで充実の一日を終えた。スマホ充電危機(笑)で一時はどうなるやらと思ったが、うまいこといきましたわ(笑)。
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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