【上方芸能な日々 素浄瑠璃】第25回 文楽素浄瑠璃の会

アイキャッチ画像:殺人的な酷暑が続いたが、ここのところは少しだけ落ち着いたか。呑気に写真撮っているが、すでに館内では…(顛末は本文をお読みくださいw) (筆者撮影)>


毎夏恒例の「文楽素浄瑠璃の会」。数えて25回だそう。記念に何か特別なことをしてくれるかといえば、そんな気の利いたことを国立さんがするわけもなく、淡々と「素浄瑠璃の会」を開催したというハナシであった(笑)。敢えて言えば、4月公演から切語りに昇格した3人、呂太夫、錣太夫、千歳太夫が出演し、レギュラーだった咲さんが後進に道を譲った形になったということか。まあ、その流れでいいだろう。ただ、咲さんには今後も「ここは咲さんしかあかんねん!」という演目には登場していただきたいと思う。そういう場は必ずあるはずだ。

素浄瑠璃
第25回 文楽素浄瑠璃の会

生憎、外せない予定が入っており、当初はあきらめていた今回。念のため、前夜に予定の時間を確認したら、昼飯抜きでなんとか間に合いそうではないか。確認するもんだねぇ。で、慌てて座席確保。相変わらず「ツキに見放された人生」を歩んでいるんだが、たま~~に、こういうこともあって「まだ大丈夫やな」と安心するのである(笑)。

ところが、今度は開演時刻を30分勘違いしてしまう…。劇場前に着いて「なんか人少ないなぁ」と思っていたら、あちゃー!開演から5分ほど過ぎてしまっているやんか!てなわけで、最初の演目「逆井村」には7,8分遅れて着席。座席が前の方だったので案内のお嬢には「次の演目で席移動します」と、後方の空席で鑑賞。千歳さん、ごめんな…。

碁太平記白石噺 逆井村の段

千歳 富助

碁太平記白石噺』はわりとよくかかる演目だが、もっぱら「浅草雷門」と「新吉原揚屋」のみで、その前後の話が番付の《これまであらすじ》や《この後のあらすじ》だけではよくわからん。で、今回、《これまでのあらすじ》にあたる「逆井村」が、大阪では実に56年ぶりに上演された。恐らく客席にそんな昔のこと覚えてる人なんていないだろうし、芸人側でも記憶にある人なんてほとんどいないんじゃないだろうか。

上述の理由で、開始からしばらくしてからの着席となったのは、誠に無念ではあったが、座るなり床本を開いて「で、今どこやってるん?」と探す。わりとまだ進んでなくてよかった(笑)。おのぶちゃんが、吉原の超売れっ子太夫となった姉のおきの(宮城野)を探して旅に出て、そして姉と巡り合い仇討ちを誓い合い…というストーリーは、この「逆井村」さらに前段の「田植」があってこその展開。改めて「通し上演、半通し上演」の大切さを痛感。と思ってたら、9月の東京でやるではないか!こういうのって、必ず東京なんよな…。

千歳、富助のコンビはこの「まだ見ぬ強豪→プロレスか!w」をしっかりと聴かせてくれた。とりわけ後半のめまぐるしい展開をダイナミックにやっていて、人形浄瑠璃としての舞台を観たい!と期待を持たせてくれるものだった。ぜひとも大阪でも半通しを!

前夜にとった割には、なかなかええ席だった。客席は約7割の入り。連日2万を超す陽性確認の出る中ながら、健闘したんではないだろうか

奥州安達原 袖萩祭文の段

呂 清介

奥州安達原』もまた、9月の東京では通しでやるんやね。まあ国立劇場建て替え前の大奉仕ではあるけども、大阪はほんとに…。ねぇ。

「袖萩祭文」は何度も見物しているが、この日のように「袖萩祭文」として単独の形では初めてかもしれない。人形浄瑠璃の場合「環の宮明御殿の段」として上演され、その中に<敷妙上使><矢の根><袖萩祭文><貞任物語>の4パートを含む形でこれまで見物してきた。ということで、袖萩と娘の零落ぶりと、袖萩の父である平傔仗直方の身の上に迫る危機、父子を巡る人々の関係などを順を追って観たから筋がわかったが、こうして単独でそれも素浄瑠璃としてやった場合、観客にどれほど伝わるんだろうと、しょうもないこと心配していたわけだが、ここは親切なパンフにしっかり説明されているし、呂さんと清介さんに身を任せておけばいいか(笑)。あまり身を任せすぎるのもどうかと思うが…。

やはりそれでも、人形の舞台を何度も見物しているのは「強み」であって、零落した袖萩と、そんな境遇でもしっかりと厳しく育てられたお君が舞台に透けて見えるのだ。もちろん、そうさせる語りと演奏をした呂さん、清介さんの力量あってのことだが。こういうのも、素浄瑠璃を聴く面白さであるなと、改めて感じ入るものであった。

源平布引滝 九郎助住家の段

錣 藤蔵

文楽の本公演では組むことのない二人だが、「素浄瑠璃の会」は常連。それだけに毎回、十分に練り上げられたものを聴かせてくれる。今回の「九郎助住家」も同様で、実盛、九郎助夫婦、瀬尾十郎、葵御前、太郎吉、さらには一瞬生き返る小まんに至るまで、人物造形が実に行き届いていて、人形の舞台が目に見えてくるものだった。小生的にはこの段は、太郎吉の母を慕う慟哭、瀬尾の「モドリ」、実盛と太郎吉のやりとりなどが好きな段であって、そこが聴きどころ。藤蔵の変幻自在の三味線も生きて、それらをたっぷりと堪能させてくれた。「切語り」となった錣さんの風格を感じさせる、とてもいい浄瑠璃であった。

♪♪♪

「滑り込みセーフ」で行くことができた今回。当たり前だが「LIVEに勝るものはなし」だな。ほんと、行けてよかったわ。

間髪入れず、来週は「上方歌舞伎会」。くれぐれも「開演時間」を間違えないようにしたい(笑)

(令和4年8月20日 日本橋国立文楽劇場)


あやつられ文楽鑑賞』 三浦 しをん (著) (双葉文庫) 
¥660 (Amazon.com)

「この本は、文楽観劇のド素人であった私が、いかにしてこのとんでもない芸能にはまっていったかの記録である」と著者がかたる、小説『仏果を得ず』とあわせて読みたい文楽エッセイ。文楽の真髄に迫るべく、資料を読み、落語を聞き、技芸員に突撃インタビューを敢行する。直木賞作家が人形浄瑠璃・文楽の魅力に迫る!

↑随分前の本だけど、未読の方はぜひとも!「そうそう!」と我が意を得たりな箇所がいっぱいあるはずです!


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