というわけで、『ひらかな盛衰記』の四段目を第三部で見物するのだが、その前に『団子売』を見物せねばならない(笑)。別に観たくもないんだが…。「ほな、ロビーか隣のたこ焼き屋ででも時間つぶししなさい!」とお叱りを受けそうなんで、行儀よく見物することにした(笑)。
人形浄瑠璃文楽
令和3年錦秋公演 第三部
最近二等席を見直した。浄瑠璃が遠くなるのは仕方ないが、舞台全体をほぼ真正面から観ることができるので、床直下では観えないものも見えてくる。と、偉そうに言うが、実際は財布のひもを締めているだけの情けないハナシである(笑)。
団子売
お臼 三輪
杵造 希
津國 南都 聖 文字栄 / 清友 團吾 寛太郎 錦吾 清方
人形は、杵造に玉勢、お臼を簑紫郎。五挺六枚、ズラッと並んだ床の面々。それだけに重ね重ね、ここでやるべきだったのか、唐突すぎるのではないか?相応しい場を用意できなかったのかと、残念に思う。
ひらかな盛衰記
「辻法印」「神崎揚屋」は昭和63年(1988)11月公演以来、33年ぶりの上演だとのこと。第二部の「大津宿屋」「笹引」も26年ぶりってことで、いかに「松右衛門内」「逆櫓」だけが上演されてきたがよくわかる。これは考え物だな。26年ぶりだの33年ぶりだのと言うなら、三部に分けてでも、「ほぼ通し」でやるべきじゃないのかな…。
辻法印の段
藤 團七 ツレ 清允
藤太夫ほどチャリ場に似合わない人はいないと思っていたが、面白く聴かせてくれた。間の取り方とかリズム感、テンポなどがピタッとはまった好例だったと思う。玉佳の法印も、ほとんど当たり役と言っていいほどで、こういうキャラを楽し気に生き生きと遣うから、観ている方も楽しい。
神崎揚屋の段
千歳 富助 ツレ 寛太郎
満を持しての千歳太夫。実質、切場。長丁場を一人で語り通せるのは、この人くらいしかいないってのも、寂しい。それゆえに、切語りへの早急な昇進が待たれるところだが…。
その期待に千歳太夫が応えられたかというと、必ずしもそうはいかなかった。そこがナマの舞台の怖い所であり面白い所でもあり…。長丁場なのはわかっていたが、それ以上に長ーーーーく感じたのはなんででしょうな??メーンキャラの梅ヶ枝は勘十郎さん、もうほんと、申し分なし。この人形の「申し分なさ」を上手く引き立たせられなかったような感じがしたが…。「浄瑠璃次第で梅ヶ枝はもっと映えるんじゃなかろうか?」なんてことを思いながら、小生、途中でダレてしまい、たまらず瞬間的に白河夜船状態(笑)。ふっと目が覚めたら「あら、まだそんなクドキやってるわけねw」という感じで、床にも手摺にも申し訳ないんだが、もっと抑揚があれば…と感じた次第。もっとも、「それはお前の見物の仕方が未熟なんや!」と言われたら、「すんません、勉強しなおします」とシュンとなるしかない(笑)。
ただ、以前「素浄瑠璃の会」で聴いた千歳太夫の「神崎揚屋」はとてもよかったのだ。その際に「やっぱりここは人形も一緒に観たいところ」と感想を記したが、はあああ、人形が付くと、印象が変わるもんやな…。難しいもんですな…。
☆彡
ということで、今年の文楽見物はこれにて終了。次は正月公演となる。二部制復活への淡い期待を抱いていたが、やっぱり三部制でいく模様。次回も名作揃いだが、「ちょいとばかり、おいしいとこをつまみ食い」って感じで、「三本立て」の映画みたいな感じが続く。COVID-19感染状況を横目で見ながら、舞台公演、LIVEはまだまだ完全復活の日までは遠いようだ…。
(令和3年11月14日 日本橋国立文楽劇場)
←御賢明なる皆様なら、とっくの昔にお読みになったでしょう。アタシは、も一度よ~く読んで、もう少しまともな見物人になりたいと思います(笑)。
『浄瑠璃素人講釈〈上〉』杉山其日庵 (岩波文庫) ¥958~
杉山其日庵(1864‐1935)は在野の国家主義者で、人形浄瑠璃愛好家としても有名。本書は竹本摂津大掾・三世竹本大隅太夫・名庭絃阿弥から聞いた話を元に、義太夫芸の「風」(様式)の追究を通じて浄瑠璃に古典芸術としての地位を確立させようとした書。上巻には「傾城冥途飛脚」から「近江源氏先陣館」まで解説50本を収める。(Amazon.com)
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。