素浄瑠璃
国立文楽劇場開場35周年記念
第22回 文楽素浄瑠璃の会
この時期、恒例の「文楽素浄瑠璃の会」も回を重ねて22回目。若いころ、すなわち「聴いて頭に情景を浮かべる」面白さに気づいていなかったころは、全く興味の湧かなかった「素浄瑠璃」だが、このところは毎年欠かさず聴きに来ている。もちろん、歌舞伎、文楽で何度も舞台を観てきたからこそ、浮かぶ情景と言うのもあるが、今回の3本目『ひらかな盛衰記』の「神崎揚屋の段」のように、舞台で観たけど記憶がないものでも(笑)、自然と「こんな感じかな?」と思い浮かべることができるようになる。これはまさに「年季」というもんだな。小生のようなボンクラでさえ、できるのだから、世のお賢い方々には、簡単なお話だろうから、ぜひとも、素浄瑠璃を聴きに来ていただきたいなと思う。
さて、超満員というほどでもないが、それなりに満員の文楽劇場。お座席運がいいのか悪いのかわからんが、最前列のほぼど真ん中という「苦しい」お席となってしまう。何が苦しいかって、太夫三味線を目前にして、居眠りでけへんがな(笑)。それと、常に舞台を見上げていなければならいので、首がしんどいのだ。でも、人間国宝なりたての咲さんの至極の浄瑠璃を、こんな間近で聴けるのだから、幸せと言うもんだ。
一谷嫩軍記 (いちのたにふたばぐんき)
熊谷陣屋の段
豊竹 呂太夫 鶴澤 清介
この段は、翌週にこの場で開かれる「上方歌舞伎会」でも上演されるので、いっそうしっかり聴いておきたいところ。
もう、文楽でも歌舞伎でも何度も観てきているので、床本も見ずに、ひたすら呂さんと清介はんの奏でる世界に身を委ねておれば、それでよい。
熊谷直実については、当代の玉男はんの襲名の舞台が印象深いし、過去に遡れば、先代の玉男師匠の直実がやはり印象深い。何と言っても、敦盛の「首実検」のシーンで、直実妻の相模、敦盛母の藤の局、首を斬った直実の三人三様の「首」への思いが交錯する名場面で、文楽や歌舞伎なら「高札」がその交錯する三人の気持ちを象徴するかのように巧みに使われるが、素浄瑠璃ではもちろん「高札」は使えないので、そこをいかに「聴かせる」かが、聴きどころと思う。
呂さんは、そこを一気呵成に聴かせるわけでなく、それまでにいくつもの伏線を丁寧に積み上げて、クライマックスを作っていったように聴けた。ここで一気にギアチェンジする太夫もいるだろうから、他の人も聴いてみたい。ただ、この段を語れる太夫は、そんなにいないけど…。
義経千本桜
河連法眼館の段
豊竹 咲太夫 鶴澤 燕三 ツレ 鶴澤 燕二郎
6月22日に見物した「文楽若手会」で、三段目(椎の木、小金吾討死、すしや)が上演されたが、この「河連法眼館」は四段目段切りで、文楽ではケレンが見られて面白い段。また、狐忠信のセリフに「狐言葉」が混じり、ここも面白く聴ける。
そういう場面は、咲さんに尽きる。と言うか、咲さんだからこそ、安心して聴けるという段。聴く前から楽しみにしていたが、期待にそぐわぬ内容で「よ!人間国宝!」ってところだ。「狐言葉」なんぞは、わざとらしくなく、さりとてしっかりと人間の言葉との違いとを両立させる面白さ、巧みさ。加えて、燕三はんの三味線の軽妙な響きが、この段の「位置づけ」を感じさせる。段切りならでは、というものを感じさせてくれた。
言うまでもなく、落語『猫の忠信』『初音の鼓』の元ネタで、それほどによく知られた段ということでもある。
にしても、ツレ弾きの燕二郎がちょうど小生の真正面に坐していて、視線が合うと赤面してしまいそうなんで(笑)、燕二郎の手元に視線を合わせていたんだが、今更ながら、「よう手の回る子」というのは、彼のようなことを言うのだなと、三味線はズブの素人ながら、そう感じる手元であった。
ひらかな盛衰記 (ひらがなせいすいき)
神崎揚屋の段
竹本 千歳太夫 豊澤 富助 ツレ 野澤 勝平
今回も、各演目の解説をそれぞれの上演前に、大阪市大大学院の久堀センセがレクチャーしてくれはる。大体は、パンフに書いていることだが(笑)、二つ三つは書いてない小ネタも挟みはるから、聞き逃せない。ほとんどは帰るまでに忘れてしまうのだが(笑)。
「神崎揚屋」は四段目に当たる。三段目の「松右衛門内」「逆櫓」はちょいちょい舞台を観るが、「神崎揚屋」は、なかなか上演されない段で、文楽劇場でここが上演されるのは、昭和63年(1988)の11月文楽公演以来のことらしく、非常に珍しい機会に遭遇したというわけだ。紐解けば、その折には、越路師匠と清治師匠の超級コンビにツレ弾きが八介という懐かしさ。恐らく見物していたはずだが、記憶にない、恥ずかしながら…(笑)。ちなみに、この時は大序からの通し上演。今や「忠臣蔵」さえ3公演に分けて上演する時代。「ひらかな盛衰記」の通しなど、今後一切観ることが叶わないだろうな…。
今回は、越路師匠直系の千歳はんが語り、いつものように富助師匠とコンビを組む。
さすがに慣れたコンビ。そして四段目段切り。飽きさせることなく、ビシバシと聴かせてくれた。その昔、竹本大和掾の当たり役だったことで「大和風」と呼ばれる曲風とのことだが、小生にはさっぱりわからん(笑)。何年、文楽に通てんねん!というところだ(笑)。優美で音楽的で美声、ということだから、まあ千歳はん向きというとこかな。しかし、この前の「国言詢音頭」とは、まるで別人ですな。
梶原源太景季とそのイイ人、遊女梅ヶ枝の物語だが、長丁場だけに、やっぱりここは人形も一緒に観たいところ。幸いにも、短縮版ながらYou Tubeに上述の31年前の公演の映像があるので、気になる人は探してみてちょ。そりゃもう、蓑助師匠の梅ヶ枝の色艶といったらもう、絶世のもんよ。「動く」玉五郎師匠もご健在。
☆彡
今回の演目は、『平家物語』『太平記』『源平盛衰記』などの「軍記物」に因んだチョイスで、こういう狂言建てが本公演でも観たいものだ。なんというか、「一本スジの通った」というか、そういうのを。
(令和元年8月17日 日本橋国立文楽劇場)
<アイキャッチ写真:「素浄瑠璃の会」「上方歌舞伎会」と二週続けて忙しいのよ(笑)(筆者撮影)>
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。