【睇戲】『河』(台題=河流)

今回の「台湾巨匠傑作選2020」、まさに「待望の~」というのが『バナナパラダイス』の上映と、”ほぼ”引退の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督の「初期三部作」の上映だろう。もちろん4作とも観るのだが(笑)、この日はまず、蔡明亮三部作の一つ『』を観て、その勢いで『バナナパラダイス』を続けて観た。まあ、しんどいですよ(笑)。

 台題=河流

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

台題『河流』 英題『The River』 邦題 『河』
公開年 1997年 製作地 台湾
言語 標準中国語、台湾語

評価 ★★★★(★5つで満点 ☆は0.5点)

導演(監督):蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)
編劇(脚本):蔡明亮、楊碧瑩(ヤン・ピーイン)、蔡逸君(ツァイ・イーチュン)、王明台(ワン・ミンタイ)
監制(製作):徐立功(シュー・リーコン)

領銜主演(主演):李康生(リー・カンション)、苗天(ミャオ・ティエン)、陸弈靜(ルー・イーチン)
演員(出演):許鞍華(アン・ホイ)、陳湘琪(チェン・シャンチー)、陳昭榮(チェン・チャオロン)、 喜翔(シー・シャン) 、楊貴媚(ヤン・クイメイ)

【あらすじ】

台北。シャオカンは街で旧知の女友達と再会。映画スタッフの彼女に誘われ、撮影現場に訪れた彼は、河に浮かぶ死体役に抜擢されてしまう。彼女と一夜をすごした後、彼は首が曲がったままになる奇病にかかっていた…。

1997年と言えば、香港の祖国回帰の年である。まあ、小生は香港で愉快に暮らしていたんだが、台湾は戒厳令解除から10年を経過していた。「国策映画」の時代は既にはるか彼方となり、すっかり自由となった台湾からは、世界的な評価を受ける様々なジャンルの映画が生まれる時代となっていたが、蔡明亮監督の「初期三部作」はその中でも異彩を放っているのではないか?

それはさておき。

なんとも不思議な世界観だった。そしていわゆる「エロい映画」でもあった。

「息子=李康生(リー・カンション)、父親=苗天(ミャオ・ティエン)、母親=(ルー・イーチン)」という親子は、1作目の『青春神話』と同様。家族が住むアパートメントも多分、同じ部屋。間取りも同じで調度品も同じ。これ、スタッフか出演俳優のうちのだれかの住居なんだろうな…。蔡明亮監督のお住まいかもね。で、李康生は結局のところ、蔡明亮監督作品のすべてに出演。このラブラブぶり…、いや、お互いがその才能にぞっこんなのか…。陸弈靜も常連だし、苗天、陳昭榮(チェン・チャオロン)、陳湘琪(チェン・シャンチー)…、と、特定の俳優で監督作品を撮り続けたってのは、なかなか興味深い。特に、最初の『青春神話』ではまっさらな新人だった李生の俳優として、あるいは一人の男としての成長、円熟、老成を追うことができるのだから、こんな興味深いストーリーはないだろう。

さて、「不思議な世界観の『エロい映画』」はというと…。

李康生が演じた小康(シャオカン)が両親と暮らす家庭は、画に描いたような冷え切った家庭。その冷え具合は土砂降りの日に苗天が演じた父親の寝室が雨漏りで水浸しになるほどの…。キャンプ場で嵐に遭ったテントみたな状況に。それを妻も息子も知らずに夜が明けるってのはもうねぇ…。で、この冷え切った家庭に居場所の無いおとっつぁんは、ハッテン場で男漁り。そもそもそういう性向だったのか、冷え込んだ家庭に嫌気がさして、その方面に活路を見出したのか。そこはわからないけど。

フードコートのガラス越しに若いあんちゃんに熱視線を送るおとっつぁん。そしてこの後二人はハッテン場サウナで…💛

この若いしゅっとしたあんちゃんを演じたのが、蔡明亮作品常連の一人で『青春神話』『愛情萬歳』でもおなじみの陳昭榮。彼とおとっつぁんがハッテンサウナでエロいことしてる最中に、なぜか小康もこのハッテンサウナに。「ええ~!ばったり父子のご対面なったらどうすんるよーー!」と思いドキドキするシーン。結局、それはなかったけど、大浴場の湯船にはおとっつぁん、ほとんど背中合わせの洗面台の前には息子とういう、観る者にすりゃ、恐怖のニアミスシーン。ここは終盤の伏線。「おやまあ、息子も男色の気があるのかえ?」ってところだが、これ以降、そんな展開は終盤まで起きない。が、大きな意味ある数分間だ。

一方、陸弈靜が演じるおっかさんはおっかさんで、エッチビデオを不法ダビングして売る男と絶賛不倫中。ちなみに陸弈靜は今プログラムでは多くの作品に出演している。実は今回は「陸弈靜祭り」のような印象もあって、言い換えればそれほどに現代の台湾映画には欠かせない女優ということだろう。

息子の小康は街で偶然再会した女朋友に誘われるがままに、映画のロケ現場でアルバイト。昼休みに弁当食ってたら許鞍華(アン・ホイ)監督ご本人に「演技もやってみたら?」と誘われて…。やってみたのはいいが土佐衛門役で(笑)。何度もテイクを繰り返すうちにどぶ川(淡水河)の悪臭が体に染みつき、シャワーを浴びに行った部屋で、件の女朋友と激しくエッチ…。

念入りに体をゴシゴシした後は、女朋友と…。なんか楽しそうだな~、と思っていたら

しばらくして首に激痛が起きる原因不明の症状が小康を苦しめる。この演技が迫真の演技で「実は本当に首が痛いんでは?」と疑ってしまうほどで。と、遠い昔に何かで読んだのか、はたまた本人のインタビューを見聞きしたのか記憶はあやふやだが、これ、実際に李康生は首の激痛に苦しんだことがあったのだという。この映画と同じように、西洋医、中医はもちろん加持祈祷に至るまで、父親が色々と手を打ってくれたとか、なんとかかんとか…。バイクの後ろに乗ったおとっつぁんが首を支えてやるってシーンに始まり、加持祈祷にすがり、二人で台北から遠方の祈祷師のもとに向かい…。

この首の痛みってのは、何なのだろう…。すごく因果応報的なものを感じもするし、どぶ川で長時間、土佐衛門の役をやったからよからぬばい菌でも入ったんだろう?ってこともあるだろうし、この首の痛みが暗示するものをいまだに解明できないでいるという、このもどかしさ…。「へへへ、もっと苦しめ~!」って蔡明亮にいじめられている気分ですらある(笑)。しかし、事ここに至ってもなお、この家族は一つ屋根の下で断絶したままの日々である。小康が入院した際にも、取り急ぎ両親はそろって病院へ駆けつけるが、なぜか丸坊主になって廊下の長椅子に座る小康に気づかず、両親は通り過ぎてしまう…。で、これもわからんのだが、なぜ彼は丸坊主になったのか?鬱病になってしまい精神病院に?とか想像をめぐらすも、これまたよくわからん…。わかる人にはわかるのかな?そこらへん、めっちゃ鈍感なもんで(笑)。

母親は「なんでこんなことになったの!」と詰め寄るが、こっちからすれば「なんで坊主なの?」と詰め寄りたいシーン

さて、医学では万策尽き果てたか、父と子は地方へ祈祷師だか拝み屋かの元へ行く。せせこましいビジホで一つのベッドで寝起きする親子…。ある日、父が外出中に部屋に備え付けの電話帳で何やら調べる小康。向かった先はハッテン場。我々はすでに、そこに父親がいることを知っており、「ありゃ~、これはえらいことになるで~、俺、知ーらない!」という、得も言えぬ気分に陥ってしまう。そして…。

首の痛みにもめげず、「あは~ん、あは~ん」の末に逝かせてもらった小康だったが…。まさか相手がねぇ…

父と息子がとんだ修羅場を迎えていたころ、またもや土砂降りの台北の街。深夜、目覚めたら家中が水浸しになっていることに気づいたおっかっさん。思わず留守中の旦那の部屋に入ってみれば、びしゃびしゃである。勇敢なるおっかさんは、原因を突き止めるべく、ベランダ伝いに上のフロアの部屋に侵入。まあ、空き家だったんだが。小生、ここで「もしかしたらおっかさんは、足を滑らせて転落死するの?」なんて思ったが、おっかさんは漏水の原因を突き止め、再びベランダ伝いにわが家へ戻るという展開に、ホッとした次第。

結局、父親同様に息子もまた同志=ゲイだったのか?にしては、序盤に女朋友と激しいSEXをしていたしなぁ…。バイセクシャルなのか?台湾の論評なんぞにちらっと目を通すと、「同志片=ゲイムービー」としてとらえているものも少なくない。もちろん、その一面も持ってはいるが、それだけで片付けて評価するってのは、違うだろと。

全体的にエロくて陰鬱な作品である。しかし、ドキドキハラハラさせられることも多く、単なる「うっとおしい」作品ではない。要するに「一筋縄ではいかない」作品なのだ。一つ屋根の下で暮らしながらも、孤独、無関心な夫婦、親子。案外、わが家もそうなのかもしれない…。などと思わせる空気が胸苦しくさえあった。

果たして、この三人はこの後、どうなっていくのか…。そこに思いを至らせたとき、ラスト間近で小康がホテルのバルコニーから空を見上げる姿に、なぜか三人の溝が埋められていきそうな希望を感じた。時間は相当かかるかもしれないけど…。

【受賞】
第47回ベルリン国際映画祭
銀熊獎=審査員特別賞 『河』

【ノミネート】
第34屆金馬獎
最優秀作品賞、最優秀主演男優賞<苗天>、最優秀助演女優賞<陸弈靜>、最優秀音楽賞

(令和2年11月17日 シネ・ヌーヴォ)



 


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