【香港!HONG KONG! Feb.2020】つかの間の里帰り(2)

アイキャッチ画像:香港仔漁港。右が香港島、左が鴨脷洲(Ap Lei Chau)。1週間くらいの滞在なら、この日は日長一日、ここで手釣りでもしてのんびり過ごしたかったんだが…。(筆者撮影)>

実は今回の「里帰り」、当然ながら職場には内緒だ。これだけ世の中が新型コロナウィルスへの感染に神経質になった今、「ちょっと香港へ」なんて言ったところで、「やめといて」って言われるのがオチだ。いまのところ、海外渡航自粛の通達は無いが、今回のケース、通達があったとしても行かざるを得ないから、行きますねんけどね(笑)。

そして、同居の父にも内緒だ。当日朝、5時前に下に降りたら、すでにおとっつぁんは朝飯食っててワロタ(笑)。こっちは急いでるもんだから(実は余裕だったりしてww)、「あさっての朝帰るから」の一言を残して、さっさと出発。「香港へちょっと」って言ったら、どうせ「こんな時期にどーのこーの」言われて、極めて不愉快な旅立ちとなったろうから、これでよし。この親子、あまり仲が良くないんで(笑)。

城巴(City Bus)が摩理臣山道(Morrison Hill Road)を走っているのを見ると、奉公先への通勤を思い出す…

さて、2日目。早くも最終日である。まずは朝飯。計画では「7時半起床、7時45分に灣仔(Wan Chai)のうらぶれた茶餐廳(ちゃーちゃんてん=大衆食堂&喫茶店のような)を探し当てて、朝飯食らう」としていたのだが、目覚めたら9時半だった(笑)。仕方なく近場の、昨日ダメダメな菠羅油を食わされた「新嘉美茶餐廳」へ。迷わず「早餐A(モーニングAセット)」を注文。

こいつは驚きだ。小生が暮らし始めた90年代半ばなら、この組み合わせで18ドル(当時レートで200円程度)だった。それが今や、倍の36ドル(現在のレートで約580円)だ。この店にしても、あの頃は、もうちょいマシなパンがついていたはずだ。スープマカロニなんて、こんな丼鉢いっぱいでなくてよいのだ。小ぶりのスープ皿でまったくOKなのに…。な~んか狂いが生じてるよな、今の香港…。もっとも、香港人はスープマカロニではなく、出前一丁にポークチョップをトッピングしたものを食している。俺には朝からそれは無理だ。いや、昼でも夜でも嫌だ(笑)。

宿に戻って、さっさと出すもの出して(笑)、チェックアウト。しばし、鵝頸橋街市(Bowrington Road Market=鵝頸橋公設市場)を中心に広がる商店街をブラブラしてみたが、奉公の帰りに食材調達していた八百屋、果物屋は健在だったが、たまに肉を買っていた肉屋がなくなっている。結構、老舗だったと思うのだが、ちょいと寂しいね…。

さっきの朝飯より、魚の方が安いやん!どや、ちゅーねん!
イカと並んでいたエイリアンの息子みたいなw、ヌルっとしてそうな魚に興味が湧く…

葉付きのこの蜜柑、「沙糖桔」は日本の冬蜜柑のSサイズより、さらに一回り小さいから、なんぼでも食える。横のプチトマトと比べても、そのサイズ感がわかってもらえるはず。蜜柑好きの小生は一口でいける(笑)。在住中、小生は冬場はこの沙糖桔を常備していたね。その名の通り、めっちゃ甘い!でも、甘いだけでなく、どこかに昔風の蜜柑の酸味があり、蜜柑のいいところをすべて凝縮したって感じの風味だ。冬場に香港に行ったら、ぜひ買ってホテルで食ってみて!

鵝頸橋橋下(ガード下)からバスに乗って向かったのは…。

我が第二の故郷、香港仔(Aberdeen)の田灣(Tin Wan)!

「帰って来たでぇ~!」って気分になるのは、生まれ育った大阪の田辺以上かもしれない。それくらい、この村が気に入っている。もし、何かの事情で香港に復帰することになれば(まず、ないけどw)、何の迷いもなくここに住む。いずれ死んだらこの村が見える沖合に散骨してもらいたい。いや、絶対それだけはお願いしておきたい!って思うほど好きな土地である。

細部を見れば、マイナーチェンジはしているけど、見た目はここに引っ越してきた1996年6月とほとんど変わりがない。

たまに晩飯を買っていた叉焼屋も健在。ま、特別に「旨い!」ってわけでもないけど、近所に一軒、こういう店があると何か重宝するというもんだ。ほかにも色んな店があるから、基本的には何不自由なく暮らせる。10分弱歩けば、港島南區(Island South=香港島南部)最大の街、香港仔に行けるし。ただ、将来的には、ここにもMTR(地下鉄)が開通して、街の様相はがらっと一変してしまうんだろうけど…。

田灣から5分ほど歩けば、香港最大の水揚げ高を誇る、香港仔の漁港に出る。ごくごく一部の在住邦人(小生含む)が言うところの「ガンダムビル」、実態は公営の団地もそびえたつ、実に懐かしい風景。端午節には、ここで龍舟(ドラゴンボート)の大会も行われる。

こんな香港仔だが、ここにも忌まわしいデモの傷痕がある。

香港仔中心(Aberdeen Centre)の吉野家は、ガラスを割られないように装備して営業中。吉野家はかなり昔から香港にフランチャイズ進出しているが、そのフランチャイズ営業権を持っている企業集団に親中派がいるとかいないとかで、破壊活動(連中は「装修」と美化する)の標的となり、打ち壊し、火付で散々な目に遭っていた。その防衛策として、こうなったという次第。

そう言えば、ここには96年まで伊勢丹があったよな…と、遠くを見つめる目をする小生(笑)。

香港仔海濱公園(Aberdeen Promenade)と街をつなぐ地下道への標識も、標的に。黄色い傘は2014年のいわゆる「雨傘行動」の象徴。そして黒い傘は昨年来、いまだに続く暴力示威集団による「民主化活動」という名の暴力破壊活動の象徴。とにかく連中は、罪に問われる行為をする際には、寄ってたかって黒い傘で隠してしまう。非常にたちの悪い集団である。ま、この標識は「雨傘行動からトンネルを抜けると反送中行動だった」とでも言いたかったのか?

こういうのばかり探していても、不愉快な思いをするだけなので、しばらくしてバスで銅鑼灣(Causeway Bay)に戻って、昼飯とした。

向かったのは「文輝墨魚丸大王」。小生の大好物「紫菜墨魚丸河(海苔載せイカ団子ホー)」とくれば、香港人がまず思い浮かぶのがこの店であろう。この日は昼飯として食ったが、飲み会の帰りなんぞにもこいつはイケる。辣椒油を蓮華に適量載せて、ホーや団子につけながら、最終的には汁に混ぜてってやり方が、小生の流儀…。ってか、大体みんなそうやっている(笑)。

段々、海苔の量が減っているように思う…。昔はもっとどっさり入ってたよな?大体、海苔はどこ?って感じやん、これ!

朝のA餐と合わせて、かなり満腹気分でMTRに乗って、九龍は佐敦(Jordan)へ。

MTRの馬鞍山線(Ma On Shan Line)が大圍(Tai Wai)から啓徳(Kai Tak)まで延伸、翌週開通するってことで、この広告がMTRの各駅に掲出されていた。尖沙咀(Tsim Sha Tsui)~屯門(Tuen Mun)間の西鉄線と、紅磡(Hung Hom)経由で直通するから、「屯馬線」というのだろうけど、よりによって「とんま線」とはね(笑)。そうなるとクロスハーバーして金鐘(Admiralty)まで通じることになる沙中線への直通車とで、列車本数めっちゃ増えないか?

開業は、大圍から啓徳。啓徳以南はまだもうちょっとかかるかな?

佐敦に着いて、いきなりえらい行列やな~、と先頭へ行ってみたら、なんと、マスクをタダで配っているではないか!多分、箱入50枚とかをバラして3枚セットくらいに小分けしたものを「無料配布」してるんやろうけど、暴利をむさぼる薬局が多い中、こういうことをする店は、珍しい。意気に感じるね。小生も並びたいところだったが、お友達との約束の時間も迫ってたので、「みんな頑張って並んでくれ」と立ち去る…。

佐敦と言えば、このいかにもフォトジェニックな「角の丸いビル」。壁面の模様もなんだか、意味ありげ。このビルの上の方で、音楽スタジオを経営する人がいて、そこを訪問した際、フロアをひとつ間違えてエレベーターを降りたのだけど、いや~、びっくりしたなぁ。淡い紅色の蛍光灯が怪しげな「私娼窟」フロアだったのだから…。すれ違うお姉さんたちが、みんな目で「呼ぶ」んだわな、これが。小生、あいにく仕事でスタジオへ来たもんだから、同じく「目」で「それはまた、日を改めて」って返しておいたけど(笑)。

お向かいさんも「角の丸いビル」。このアングルの写真、インスタで結構見かけるね。それにしても、本土の工場が休みだと、香港の空も青いね。でも、その煙のおかげで香港は潤っているという面もあるから、そこは複雑なところやね…。

その後、お友達と無事に巡り合い、小生、ちょっとした探し物があったので、それを求めて深水埗(Sham Shui Po)のITパーツなんぞを売る店舗ひしめくビルへ。探し物はあったけど、この値段じゃ深水埗へ来た意味がない。これなら普通に近所のビックカメラなんぞで買った方が、ポイントも付くからええわ。深水埗もいつの間にか日本の家電量販店化してしまってるな…。そんなわけで写真なし(笑)。

夕刻に尖沙咀(Tsim Sha Tsui)に戻り、なんやら『ミシュランガイド』ご推奨とかの「翠亨邨(Tsui Hang Village Restaurant)」なる広東料理の店で、晩飯。ちょっと早かったからかもしれないが、小一時間ほど、客は小生たちだけだった(笑)。いやはや深刻ですな。帰るころには、そこそこ客がいたが…。多分ここも、普段なら予約なしで行くと、相当な待ち時間を耐え忍ばなければならないはず。それがまあ…。ちなみに、味は上々。ああ、料理の写真、忘れた(笑)。

「また逢う日まで、再見!」と、お友達と別れ、天星小輪(Star Ferry)で中環(Central)へ。その前に、もう一度、香港島の夜景を見たくてTST(尖沙咀=Tsim Sha Tsui)のプロムナードへ。

振り返れば、まだ9時だと言うのに、観光客が消えて閑散とした彌敦道(Nathan Road)。SARSの時でも、もっと人がいたように思うけど…。繰り返すが、これはマジ、深刻な事態ですよ~。

リニューアルした星光大道(Avenue of Stars)もこれまた閑散としている。本来なら、このモニュメントと記念撮影しようという大陸人でごった返しているはずなのに、あらあら、ってところだ。

この先は、しばし夜景をお楽しみください。iPhoneで撮った画像を、Photoshopで頑張って、なんとかそれらしくしてみてけど…。レンズに光が反射してUFO飛んでるみたいやし(笑)。

上の2点は、天星小輪(Star Ferry)の船上から。天星小輪は下層席からの眺めがいい。特に夜はそう思う。なぜか物悲しくなってしまう…。この物悲しさは、何なのだろうと思う。そして、わずか10分にも満たない船旅なのに、物凄く得した気分にしてくれる。物悲しいのに…。

中環の観覧車もすっかり定着したな。右端のビルは人民解放軍香港本部。ぐるぐる回してるのはいいが、ここも大陸人来なけりゃ、商売あがったりだわな。たまに酔狂な香港人カップルが、愛をささやき合うかもしれないけど、なにせ連中はデモで忙しいからね(笑)。

そしてまた、一両に一人いるかいないかの客を乗せて走る機場快綫(Airport Express)で空港へ。夜ということを差し引いても、ホンマ、客おらん。そう言えば、ピーチのチェックインカウンターで、日本人担当者さんに聞かれた。「在住の方ですか?」って。「いえいえ、IDのチェンジの関係で」と小生。聞けば、このところ日本人客は、まずいないのだと言う。そんな塩梅で、ピーチは後日、関空~香港便を大幅に減便。このままいくと、多分、暫時運休ってことになるんではないかな。そんな雲行きだな。

空港に着いたのは11時前。で、フライトは1時25分。時間有り余ってるけど、交通機関がなくなるから仕方ない。タクシー飛ばすなんて馬鹿々々しいしね。空港内も飲食店で開いてるのは、スタバくらいで、最後に出前一丁に叉焼載せでも食いたいところだったが(笑)。

そんなわけで、小生、またしばらく大阪へ出稼ぎに行く(笑)。今度は4月~6月の間に、1963年生まれの身分証所持者は、新タイプの身分証に作りかえねばならないので、戻って来るつもりだが、新型コロナの状況は果たしてそのころには好転しているだろうか…。

ってわけで、つかの間の里帰り、「つかの間」と言いながら、長文、駄文にお付き合い、ありがとさんでした!

(令和2年2月9日)

<おまけ>気分が滅入りがちな今日この頃。BEYONDでも聴こうではないか!




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