【上方芸能な日々 文楽】「国言詢音頭」

人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場35周年記念 夏休み文楽特別公演
サマーレイトショー「国言詢音頭」

水狂言役者の髪の艶めいて  斎藤由美

夏芝居に付き物の「水狂言」。本水を使った涼感あふれる舞台で、ちょっと涼んで帰ってもらいましょ、という小屋側のはからい。昔はそれで涼しく感じたんだろうが、今の時代は本水使うくらいでは一向に涼しくならない。いっそのこと、空調の設定温度を香港並みに18度くらいにまで下げていただくと、嬉しいのだが(笑)。

午後6時30分開演の第3部 【サマーレイトショー】 は、例年、入りが芳しくない。今回も、最初はよくなかったようだが、公演期間後半になって、どんどん客足が伸びたようだ。小生が見物した日も、ほぼ85%席が埋まっており、こんだけ入りゃ、合格点だ。とは言え、忠臣蔵と違って、床直下の浄瑠璃がたっぷり聴ける良いお席をすんなり買うことができたのだけどね(笑)。

国言詢音頭』は多分、初めて見物したな。前回(平成20年)、前々回(平成12年)は、小生は香港暮らしだし、その前となると昭和59年だ。小生、大学2回生。間違いなく、遊び呆けていた(笑)。ってわけで、期待感いっぱいで文楽劇場へ。本水を使ったシーンもあるっていうことで、さらに期待も高まる。

国言詢音頭(くにことばくどきおんど)

■初演:天明8年(1788)5月 大坂竹本染太夫座
■作者:不詳

*上中下の構成で「伝法」「東堀」「堂島」「将棊島」「北の新地」という場割り。正本は出版されず
*再演の文政7年(1824)以来、上演されたのは「北ばま」(大川)と「大十人」(五人伐)のみだったが、「五人伐」は演奏を試みる素人の需要があったためか、稽古本は出版された。
*大正7年(1918)6月、御霊文楽座公演以降、上演途絶える。
■復活公演:昭和53年(1978)8月 国立劇場小劇場
*文楽劇場では59年9月公演

実際の大量斬殺事件が元ネタで、一番最初に舞台にかけられたのは、事件から4年後、大坂豊竹此吉座で菅専助他作による『置土産今織上布』で、『心中天網島』の筋に組み込まれたという。近松門左衛門が、実際の事件をアッと言う間に脚本化したのに比べれば、4年とはまた悠長なというところだが、もうこの時代になると、人形浄瑠璃にはヒット作が目白押しで、そんなに急がんでもええがな、というところか。あるいは、近松没後、そこまでの才能ある脚本家がいなかったということか。

大川の段

睦、清志郎

今、朝井リョウの『何様』を読んでいるのだが、ここに登場する八柴初右衛門もまた「何様」の一人であろう。商都・大坂の人間からすれば、たかだか薩摩の下級武士なれど、ちょいとばかり見栄えがよいがため、ちょいとばかりいい思いもさせてもらっていた。がために、いつしか「思い込み」が先走りしてしまい、後の斬殺事件を起こしてしまう。この段では、その発端となる出来事が演じられるが、当の初右衛門氏は、無邪気と言うか鈍感と言うか、「まさかね」って、何様ぶりを発揮して構えていたところ、「臭い物見知らず」だの「なんぼ金遣うても、あんな野暮な客に惚れる者はない」だの自分への悪口三昧が飛び交う現場を実際に目にして、復讐の鬼へ化す…。そこを睦が耳当たり良く聴かせる。

五人伐の段

 織、藤蔵

いや~、「これをやられたら、怖いな~」とい場面。そこを「近い将来のゴールデンコンビ」が巧みに。

薩摩への帰国前夜、世話になった面々を集め宴席を設けた初右衛門。そこへ、「惚れていたのに陰で悪口三昧」言われていた、曾根崎で一番モテていた遊女、桜風呂の菊野と、菊野にぞっこんの仁三郎も招かれていた。客には薩摩名産の上布を手土産に配るが、菊野と仁三郎には文箱が。開けてびっくり、中には初右衛門が菊野に寄せた恋文一通。これは菊野から仁三郎への恋文(初右衛門の悪口が並ぶ!)を中居に託したものを、中居がうっかり落としてしまったもので、運悪く、拾ったのは初右衛門の若党だった、という目も当てられぬ次第で…。ま、大体、芝居っちゅもんはこうなりますわな(笑)。

しかしこの場面には、「ひぇ~!」って思ったね。そうなるやろなとわかってはいても(笑)。

 千歳、富助 胡弓 清允

実質の切場は、その展開からして「斬り場」でもある。凄惨な殺戮シーンの数々を、千歳が「これでもか!」の語りで聴かせる。夏芝居の殺戮シーンと言えば、「伊勢音頭」が相場だが、この作品も「伊勢音頭」に匹敵する凄まじさ。「恨み骨髄」「怨念」の濃度で言えば、こっちの方が濃いかもってくらい。

文箱の中身に慄然とする菊野と仁三郎だが、初右衛門は「他愛無いこと」と場を去る。ほっとした二人は、一杯飲んで、仁三郎は二階で寝てしまう…。そこへ仁三郎の許嫁、おすみ登場。祝言を遂げさせてほしいと懇願するおすみに、菊野は「命にかけてご祝言、きっとおすゝめ申しませう」と、おすみを自分のかわりに二階へと…。

菊野が下で寝ているところへ、初右衛門登場で、ここから血の惨劇が展開する…。このシーンを千歳が、時に不敵な笑みを浮かべながら、たっぷりと語る。なるほど、後半になって客足が伸びたのもうなづける。これは「客を呼べる」場面だ。もう少し、上演回数が増えてもいいんじゃないかな?

菊野はむごたらしい殺され方をするのだが、仁三郎は命拾いするという、この結末は何なんだろう? と思うも、そこは少しでも、「救い」のある場面があってもいいのかなとも思う。凄まじい殺戮劇だけに。

そして、最後。館の外にでた初右衛門。打って変わって、三味線は軽快で粋なリズムを奏でる。「お?この旋律、どっかで耳にしたことあるぞ!」と思うも、思い出せない。あの曲はいいね。本水の雨の中を、謡『三井寺』を口ずさみながら去って行く、初右衛門。なんか、カッコいいな。玉男はんも粋に遣っていて、こいつは名場面だ。本水の雨がさらに効果的だった。

ちょうど映画1本観るくらいの上演時間。頃合いの良い長さだけに、あと1時間、いや、30分でいいから、開演時刻をずらせば、もっとお客が来ただろうに、もったいないなぁ、ホンマ。そこが「国立」のお仕事の融通の利かないとこなんやろなぁ…。ええやん、時間外手当出したれや、シフト組んで(笑)。

(令和元年8月3日 日本橋国立文楽劇場)



 


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