【上方芸能な日々 文楽】踊るお猿に教えられ…

人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場35周年記念 楽公演

人に似てかなしき猿を回しけり 西島麦南

西島麦南(1895~1981)は、熊本出身の俳人。高校野球でおなじみの済々黌卒業生である。武者小路実篤の「新しき村」にも参画したことがあるが、後に上京。「雲母」一筋の俳人として活動した。師である飯田蛇笏の作風を受け継ぎ、格調ある作品を遺している。戦後は岩波書店に勤めて、「校正の神様」と言われた。校正の神様に拙ブログを校正してもらったら、さぞかし赤色に染まってしまうことだろう(笑)。

午後の部の二本目、俗に言う「堀川」を観たら、この句の言うところがジワリと胸に染みる。あのお猿二匹には、毎度泣かされる…。

祇園祭礼信仰記

■初演:宝暦7年(1757)12月、大阪豊竹座
・当初、『祇園祭礼信長記』だったが、織田信長の実名があることで問題視され、現在の外題に改められた。
■作者:中邑阿契、豊竹応律、黒蔵主、三津 飲子、浅田一鳥らの合作

小生自身としては、随分と御無沙汰な演目。前回は平成24年4月公演のこと。この時はなんだかバタバタしていて、結局、千秋楽に駆け込み、幕見で「帯屋」を見ただけだったので、「信仰記」は観られずじまい。ま、そういう時もある。それ以前となると、平成2年の正月だ。「金閣寺」は嶋さん、「爪先鼠」は十九さんでアトを千歳はん。人形も、先代・文昇、文雀、文吾、玉幸、一暢を中心に。やはり平成の30年は重いなぁ…。

金閣寺の段

織、藤蔵

詞章がなんだかエロいと言うか、生々しいの(笑)。足利義輝を滅ぼして、金閣寺に立てこもる松永大膳(人形・玉志)が、雪舟の孫娘で義輝の母、慶寿院(人形・亀次)に仕えている雪姫(人形・清十郎)に向かって「俺に抱かれて寝ろ~」てなことを連発するという…。いかにも悪そうな名前だな、こいつ(笑)。

でも、一部の季節外れの「冬狂言」とは打って変わって、舞台は満開の桜花爛漫で、季節感があってよろしい。織さんも藤蔵も、忠臣蔵の出番がないのがあまりにももったいないし、気の毒に思っていたけど、こういう華やかな舞台が用意されていたというわけで、これはこれでよかったんじゃないかな?

小生、囲碁はまったくわからんが、此下東吉(木下藤吉郎=秀吉 人形・玉助)と大膳の碁盤を挟んだ探り合いに、囲碁の用語が取り込まれていて、これがなかなか面白い。こういうのを街の囲碁クラブなんかでPRすれば、もう少しお客も来るだろうに、もったいない。そういう地道さが無いね、文楽劇場には。

で、この物語、元々は「祇園祭礼信長記」だったのを、信長の名前が入っているのはヤバいぜと、物議を醸し、今のタイトルになったわけで、そもそもは、信長が主人公であるべきなんだが、上述の「碁立て」や次の段での此下東吉の活躍を見ると、此下東吉(秀吉)の物語だな、これは。

さて、床の二人が壮大に聴かせてくれるこの段だが、三層の金閣寺がせり上がったり、下がったりと、舞台も非常にダイナミックである。しかし、その度に囃子場から聞こえる、防火サイレンのような大音声の正体は何なんだろう? いずれにしろ、ワクワク感のある床と舞台であった。

爪先鼠の段

千歳、富助 アト 芳穂、清志郎

先述のように、およそ30年前に小生が観たとき、ここのアトを語ったのが千歳太夫で、その人が今や実質上の切である。そしてまた30年後には、芳穂が切を語り、若い人がアトをやるのだろう。そうやって延々と受け継がれてゆくのだ。一口で「末永く見守る」と言うが、ホント、気の長い、そして忍耐の時間を乗り越えてゆくということなのだと、痛感する次第だ。

その千歳はん、数年前までは持ち場の後半には、ハスキーボイスになってしまい「あらまあ、残念な」という場面に高い頻度で出くわしたが、最近はそういうこともなく(実際には怪しいこともあるが…w)、最後まできっちり聴かせている。早くも大器との呼び声高い弟子を取った責任感、自覚なのか、あるいはようやく持てる力の出し方を心得たのか、そこはわからんけど、いずれにしろ、いい傾向。

ストーリー自体は、雪姫が雪舟の孫娘ということなので、お爺はんと同じようなことで、爪先で描いた鼠に助けられという展開。地面に散り積もった桜が、パーっと舞う様に、季節感を感じる。春の舞台はこうでなけりゃね。

聴きどころ見どころが多く、なかなか面白い舞台なんで、また近いうちに見せてちょーだい!

第一部の「忠臣蔵」は補助席も出るほどの大盛況だが、二部はちょいと寂しい。この日は金曜の午後ということもあってか、7割弱の入り。劇場側が忠臣蔵押しまくりの状況では、まあ、上出来でしょう。

近頃河原の達引 ちかごろかわらのたてひき

■初演:天明2年(1782)春、江戸外記座
■作者:為川宗輔、奈河七五三助 (ながわしめすけ) らの合作
・上中下三巻の世話物。今公演の「四条河原」「堀川猿廻し」は中巻

動物には叶いませんな…。テレビ番組なんぞは、動物か子供を出しておけば、それなりの視聴率が取れるという。江戸時代にそんな狙いがあったかは知らないが、とにかく当時は大ヒットしたそうな。ま、当時は動物、この話の場合は猿が出るからヒットしたってわけでなく、おしゅんのクドキ「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」でワ~っとなったんやろうけどね。

四条河原の段

靖、錦糸

お目当ての靖太夫。地味に展開する殺人シーンながら、こういうのも、きちんとこなせるようになったところに、将来への大きな期待が持てるというもんだ。

でも、この段ってあえて必要だったのかなぁ…。いつも思うんやけど。あれば、次の段でのおしゅんのクドキの意味が、さらに味わい深いのは確かではあるねんけど…。うーん、なんともそこは評価に迷うところ。なんか「埋め草」っぽい気もするんやけど…。なんて言うと、しっかり語った靖には悪いよな、ごめんな。

伝兵衛さんの殺人シーンには、上方唄「ぐち」が簾内から聴こえる。どうもその声は碩太夫のような気がするが…。

堀川猿廻しの段

前 津駒、宗助 ツレ 清公
後 呂、清介 ツレ 友之助

目の見えないおしゅんの母親が、三味線の稽古をおつるという近所(?)の娘に手ほどきする場面から始まる。曲は『鳥辺山』。なんか曲調も詞章も「この家、幸薄いよ~」と語っているようで、若い娘がやってるにもかかわらず、重い雰囲気。そんなムードを宗助と清公がうまく作り出していた。清公は、ツレ弾きで出る場面が多いが、こういうのが非常に上手くなってきたと感じる。おつるを遣った勘次郎の手も見事だった。

しばしこの世を仮蒲団、薄き親子の契りやと、枕に伝ふ露涙、夢の浮世と諦めて更けゆく…

これがよろしいなぁ…。この後の展開が聞き取れるし、詞章自体が素晴らしい。舞台の人形が作りだすのとは、また別の風景が頭に浮かんでくる。これが浄瑠璃のおもろいとこやなぁ、と思う。

おなじみの「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」は、呂さんで。確か前回観たときも、英太夫時代の呂さんと清介はんのコンビだった。もはや、この名文句でワ~と客席が沸き上がることもなく、どなたさんも淡々と聴いてらっしゃる。えらい時代でっせ、これはホンマ…。

で、なんでこんな切ないセリフを、身請けも決まっていたおしゅんに伝兵衛さんが言わさせたのか、って話だが…。

伝兵衛さん、人殺してしもたんやよな、四条河原で。「俺はやがて捕らわれの身となるので、おしゅんさんは、この身を弔ってくれ」と伝兵衛さん曰く。これに対してのおしゅんの言葉が、この名ゼリフ。で、せめて死出の門出を祝ってやろうという母と兄の気持ちから、猿廻しを生業とする兄が、二匹の猿に『曾根崎心中』を面白おかしく躍らせる場面へと展開してゆく。

で、まあ、猿は一々おかしいのだけど、それを遣う兄、傍で聴く母の気持ちを思うと、あまりにも切ない猿廻し芸なのである。よくぞまあ、こんな話をこしらえたもんやなと…。

しかし、毎回思うのやけど、猿は一体、だれが遣ってるねん? 今度から、猿の遣い手も名前出しておいて、番付に。あかんのか、それは?

◇◇◇

そんなこんなで、平成最後の文楽公演も終わった。第一部の「忠臣蔵」がさすがの超満員大入りの連続で、めでたく大入り袋も出た模様。ああ、よかったね、とはちょっと言えない複雑な思いの残った「春の忠臣蔵」。同じようなことを言うが、興行である以上に、「伝統文化の継承」が、国立文楽劇場における文楽公演の大命題。季節感を無視するかのような、「春の忠臣蔵」や「忠臣蔵の切り売り」からは「伝統文化の継承」など微塵も感じられない。「文楽劇場開場35周年記念」と謳う割には、なんとも情けない話ではないか。まさに「そりゃ聞こえませぬ文楽劇場さん」というところだ。

(平成31年4月26日 日本橋国立文楽劇場)



 


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