【御朱印男子 番外編】紫雲山葛井寺阿弥陀二十五菩薩堂特別拝観

御朱印男子番外編
紫雲山葛井寺阿弥陀二十五菩薩堂特別拝観

久々の『御朱印男子』である(笑)。

ほぼ1年のご無沙汰だが、参拝自体をさぼっていたわけではない。地道に近郷の寺社を訪れ、朱印をいただいていたが、アップするのをさぼっていたのだ。これは、心に余裕がない顕れと、小生は深く反省している。こんな態度では、神仏のご加護も受けられない。だから、色々と物事が悪い方へと回っていく。この1年の小生の日々がそれを物語っている。

今回訪れた「葛井寺(ふじいでら)」は、昨年に詣でて御朱印もいただいている。だからもう詣でる必要はないということは絶対なく、何度でもお参りして仏縁をより固く結んでいきたい。黄金週間も余すところ2日のみとなったこどもの日、「西国三十三所草創1300年」記念事業の一環として行われている「阿弥陀二十五菩薩堂特別拝観」へ行ってきた。

葛井寺のあれこれに関しての講釈と御朱印は、こちらをご覧いただきたい。

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近鉄南大阪線藤井寺駅の駅前商店街を数分歩けば、こちらの「四脚門」という西門が左手に現れる。参拝客の多くはこの門をくぐって境内へ進む。葛井寺に現存する最古の建物であり、国の重要文化財。

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こちらが本堂。雲一つない五月晴れ。本堂内には御朱印を求める長蛇の列ができていたが、「もうもらってるもんねぇ~、フフーン」と優越感にひたる小生…。こんな考えでは、到底ご加護をいただけない…。

こちらがこの度、特別拝観の「阿弥陀二十五菩薩堂」。桁行4.5間、梁行4.25間、入母屋造の本瓦葺で、江戸初期の建立とされているが、正確な完成時期は不明。堂は東向きに建てられており、諸尊の立ち並ぶ西方浄土からの来迎を現出したかのようになっている。建立当時、その様を見た参拝者は、「西方浄土」から阿弥陀如来二十五菩薩とともにお迎えに来てくれたことをありがたく感じたことだろう。

「写真、なんぼでも撮ってくださいよ」とのことだったので、数枚を撮らせてもらった。

阿弥陀如来立像を中心に、観音・勢至 をはじめ二十五菩薩像が安置されている。三尊は蓮の台座に立ち、阿弥陀如来は来迎印を結び、頭からは光明が放射線状に伸びている。二十五菩薩は、楽器を奏でていたり、舞っていたり、華籠や香炉を捧げ持っていたりして、阿弥陀如来の来迎を盛り上げているかのようである。

この特別拝観は、春の特別拝観が4月21日~5月6日、5月29~31日。秋は11月28日~12月2日の予定。「西国三十三所草創1300年特別サイト」で、各札所の特別拝観日程並びに拝観概要一覧を見ることができる。一応、葛井寺は「非公開寺宝」とあるだけなので、「それは来てのお楽しみ」という解釈でいいのかな? ま、これだけの古刹のこと、「非公開寺宝」はいくらでもあるだろうから、秋もまた来ようと思う。ちなみに今回の特別拝観料は300円。

こちらは、境内の南側に建つ「楼門」。三間一戸、入母屋造本瓦葺の威容であるが、朱が剥げてきているのが味わい深いと言うか、残念と言うか…。

【御詠歌】
参るより頼みをかくる葛井寺
花のうてなに紫の雲

「紫の雲」とあるのは山号の紫雲山にちなむ。花山法皇が参拝した折、本尊の眉間から光が射して、聖武天皇の御寄附による石燈籠から紫雲がたなびいたとの伝えによるものだろう。上の句は、その花山法皇が詠まれたもので、即座に本尊の十一面千手千眼観音菩薩が、下の句を継がれたという。その様がこの御詠歌として現在にも伝えられている。

そんな伝えもあってか。ここは府下有数の藤の名所であもある。その歴史は千年を超す。もう半月早く来たら、満開の藤の花を堪能できたのに…。と言いながら、小生、あまり花鳥風月を愛で親しむという風流人でもないので、さほど残念には思わない(笑)。

さて、この楼門を出て右手へ数十秒で「式内社辛國神社」に到着。清浄な心地になれる、大好きなお宮さんである。こちらの講釈と御朱印は『【御朱印男子 8】式内社 辛國神社』をご参照願いたし。

こういう場所を「パワースポット」と言うんだろうなと実感する、心地よい境内。

朝11時半に家を出て、二カ所の参拝を済ませて昼飯も食って、郵便局へ不在の荷物をピックアップに行き、コーヒー飲んで晩飯の買い物して、帰宅したら午後3時前である。近鉄南大阪線沿線の恩恵である。こんなに近場に、気軽に出かけることができる由緒ある神社仏閣がズラリと揃っている。せっかくのお導きである、出かけない手はない。
ありがたや、ありがたや…。

(平成30年こどもの日 参詣)



 


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