【上方芸能な日々 文楽】平成30年4月公演<第二部>

人形浄瑠璃文楽
平成三十年四月公演 五代目吉田玉助襲名披露

華やかで、勇壮で、美しかった第一部。満員の客席も熱気ムンムンで、よい雰囲気が出来上がっていた。ああなると、舞台と客席、芸人と見物衆がスィングして、双方ともに気分よく芝居を楽しめるってもんよ。

さて、第二部。『彦山権現誓助剣』という、あまり上演されてこなかった芝居が、半通し。これもまた話題になっていいはずなんだが、ここらが宣伝下手なところで、さほどの盛り上がりもなく、客席も6割強の入り。初日の舞台としては、非常に寂しい。

最初に結論を述べると、「とてもおもろい舞台だった」ということだ。これを観ない人は損してるね。と声を大にして言いたくなるような内容。『廿四孝』と引けをとらぬ芝居だったのでは、と感じる。

彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)

記憶をたどると、3年前の正月公演で、この演目の「杉坂墓所の段」「毛谷村の段」が上演されており、小生も見物している。そして「なかなか面白いものだった」と記していることから、堪能したんだろう。

◆初演:天明6年(1786)閏10月、大坂竹本座
◆作者:梅野下風、近松保蔵合作
*全十一段。今公演は六段目「須磨浦」から九段目「毛谷村」を上演

「須磨浦の段」
*三輪、睦、小住、咲寿、清友
睦は、2月に急逝した豊竹始太夫の代演。
いやぁ…。始太夫…。訃報に接した時は「は?この前、元気にやってたがな…。ホンマかいな、なんでや…」と。別れの日にしたためたであろう、咲寿くんのブログを胸が詰まる思いで読んだ…。きっと咲寿は胸いっぱいの思いで、この初日の床を勤めたこだろう。始太夫は長い間、掛け合い専科のようなポジションだったが、このところは、一人で勤める幕もボチボチあって、「これからがいよいよ勝負やな」なんて、期待していたのに。体格が良く、押し出しも良く、声も良く。この太夫として恵まれた天賦の能力を生かし切れていないのが、歯がゆく感じた時期が長かったが、ちょっとずつ抜け出して行けそうやなと思っていたのに…。ホント、人の寿命なんてわからんもんだ。

ちょっと毛色の違う仇討ものってところか、この物語。
幼子の弥三松と若党の友平と旅の空にあるお菊さんという人は、父の敵、京極内匠にあっけなく殺害されてしまう。そこはもう、友平が駕籠を呼びに行くという時点で、臭ってくるわけで、「ああ、殺されるんやろな」と。弥三松を葛籠に隠すというとこまでは、ナイスアイデアやったんやけどねぇ…。
三輪はんと清友師匠で床を引っ張るわけだが、それぞれに特性を生かした語りだった。とは言え、まとまりが良すぎるのか、はたまた、本読みが足らないのか、三輪はん以外は印象が薄かった、悪いことはないんねんけどなぁ、なんやろなぁ、あの感覚は…。ただ、この段を観られたことにより、後半の毛谷村が俄然面白くなったのは間違いない。

「瓢箪棚の段」
見せ場は、瓢箪棚での立ち回り。男をしのぐ武術の腕前を持つ、須磨浦で非業の死を遂げたお菊の姉・お園と、京極内匠の立ち回りは、人形ならではの面白さ。内匠を遣う玉志が、瓢箪棚から地面に飛び降りる瞬間は、「おお~!」とびっくりすると同時に、「怪我しなはんなや!」と心配もしたり。あんなことするねんなぁ、文楽は。
*中:希、寛太郎
「うめだ文楽」では、毎度毎度、希をヒーヒー言わせている「太夫泣かせ」の寛太郎。こりゃ名コンビだ。希は今回はヒーヒー言ってなかった、得意なのかな、こういう地口の多い場面が。とすれば、これは彼の新たな一面の発見か、それともたまたまのことなのか?こういうのは、公演期間中にもう1回聴いてみんことには、わからんねぇ…。
*奥:津駒、藤蔵 ツレ・清公
相変わらず情熱的な三味線が魅力の藤蔵。津駒はんは随分助けられたという印象。で、気が付いたら第一部でもあったけどここも「藤蔵の三味線に心を動かされるための段」ってことになっていた。ま、ええか、それでも。
舞台上手に設えられた池で、何事が始まったのかと注目していたら、

ハテいぶかしや。池水激しく立ち登れば

ということらしい。見ていても、あまり激しさは感じなかったけど(笑)。で、内匠は自分が明智光秀の子であると、光秀の亡霊に知らされるという、えらい展開に…。このへんの「突拍子もない」展開が、いかにも文楽で、小生は結構好きですヨ(笑)。そして見せ場の瓢箪棚の立ち回りへ。しかしお園さん、鎖鎌うまいこと使うね、さすが「女武道」!

「杉坂墓所の段」
*口:亘、錦吾
御簾内から。あの位置から語るのって難しいのかなぁ…。でもいっぺん、あの小部屋へ入ってみたい…。などと思っているうちに、お次の番へ。
*奥:靖、錦糸
やっぱり靖はいい。もうこのキャリアの連中においては、ずいぶん先を走っている感じ。嶋さんは稽古は厳しいそうだが、その分、いい弟子がたくさん育っている。靖はその先頭を突っ走る。
毛谷村六助と、微塵弾正なる母親思いの浪人に扮した京極内匠という対照的な二人を、きちんと語り分けて人物像を浮き彫りにしようとする努力が感じられて、こういうのを聴かされると、もっともっと応援したくなるのである。
第一部でも突っ込んだが、ここでも「弾正」を名乗る人物の登場である(笑)。小生などは、「弾正」と聞くと『仮面の忍者赤影』で、根来忍者と悪だくみした「夕里弾正」を思い出さずにはおれない世代(笑)。

「毛谷村六助住家の段」
*中:睦、喜一朗改め勝平
もう一人の襲名、野澤喜一朗が今公演より勝平を名乗る。喜左衛門師匠の前名を襲名したことから、いずれは喜左衛門となる日が来るのだろうか。日頃の研鑚が認められた証でもある。ますますの精進あるのみ。「背負った名前の大きさに身の引き締まる思いで、初日の三味線弾いてます!」という意志が、表情からも伝わった。
*奥:千歳、富助
千歳はん、出だしから中盤まで絶好調。惚れ惚れして聴いていたんだが、あかんがな、後半。ズタズタである。風邪ひきの太夫か?と聞きたくなるような塩梅で、前半とは全くの別人。

見ず知らずのわろうたちが、イヤ親にならうと母ぢやのと、押し入れ女房の手引きした、あの子も滅多に油断はならぬ。

このあたりは、まだまだ余裕綽々。聴いている方も安心して物語世界を堪能していたんだが、一気にエンディングへ向けて面白さが加速すりあたり、お園のクドキあたりから「おいおい、今公演もやっぱりそうなるか~、アカン、アカン」と残念に思う。何なんですかねぇ、これって…。もう1回行くけど、その時には!って、あまり期待は抱かないでおこうかな…。

人形は、それぞれが持ち味を十分に生かし、きちんと見せていた。玉男=六助、玉志=内匠、お園=和生が印象深い。

大阪での半通し上演は、昭和57年7月の朝日座以来だとのこと。それだけに、次はいつになるかわからんから、公演中にもう1回観て、しっかり脳裏に焼き付けておこうと思う。こんなオモロイ演目、なんでたったそれきりしか上演しないのか?不思議な話である。

(平成30年4月7日 日本橋国立文楽劇場)



 


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