【上方芸能な日々 文楽】吉田幸助改め五代目吉田玉助襲名披露

例年、文楽四月公演の初日は、文楽劇場前の桜は満開かそろそろ散り始めているか、という状態なのだが、今年は3月末から4月上旬にかけて、一気に気温が上昇し、あっという間に満開を迎え、4月公演初日の前日には結構強い雨風となったこともあって、ほとんど散ってしまった。打って変わって、この日は季節は舞い戻り、冷え冷えとする一日となったが、Tシャッツ1枚の中学生や、半ズボンの小学生のお客もいたりして、おじちゃんは見ているだけで震えがきたよ(笑)。

花は散っても、めでたい襲名披露公演はこの日が初日。やはり襲名披露は初日に拝見するのがよろしい。気分の高揚具合が違ってくる。人形遣いの家、三代続く名跡の復活、追贈、襲名というのもドラマがあって、しみじみとする。しかしまあ、最近の文楽は、松竹による歌舞伎の「襲名ビジネス」にならったのか、昨春、今年の新春、そして今回と襲名ラッシュである。ま、この後は当面、襲名しそうな人は見当たらんな…(笑)。

文楽も色んなこと考えはるもんで、今回は玉助襲名披露狂言である『本朝廿四孝』に描かれる武田信玄vs上杉謙信の対立にちなみ、カプコンとタイアップして「戦国BASARA」の武将たちが1階ロビーに登場。カッコいい玉助のポーズをあしらった大きなパネルも用意されており、一緒に写真を撮る人たち続出。以前にも申したが、小生はいたって自撮りが下手くそなんで、ご遠慮した(笑)。

二階へ上がると、新・玉助がお出迎え…、ってことではなく、メディアの取材やご贔屓への挨拶などで、夫人でイラストレーターの中西らつ子ともども、すでに汗だく。でも、二人とも表情が晴れやかで、こういうのを見かけると「やっぱり襲名披露公演は初日に来な、アカンわな」と思う。

さて、幸助くんではなく玉助くんは、忘れもしないが、小生が初めて人物取材し、新聞紙面に記事が掲載された相手である。それは、平成の御代になって間もないころだった。

そもそも、営業の丁稚だった小生が何故、彼の取材をすることになったかと言うと、簡単に言うと「代役」だったのだ。1年後輩の女衆(おなごし)が、お取引先の招きで天神祭船渡御の「文楽船」に乗船した、その折に、三番叟を遣っていたのが若き日の玉助だった。お取引先さんから後日、「あの若い人形遣いさん、将来を嘱望されてる一人なんで、御紙でぜひ取り上げたって」と女衆に依頼が来た。編集の番頭さんに頼むも、「営業で原稿用意してくれるんなら載せるで」とつれない。そこで「Leslie兄さん、文楽好きでしょ、取材お願いします!」と相成ったのである。

「幸助なぁ…。顔は番付の芸人紹介に出てるからわかるし、たしか玉幸師匠とこのぼんぼんやったなぁ…。ただ、まだ足遣いやから芸がどうのこうのの話にはならんでぇ」と確か言った覚えがあるが、内心では「これ、けっこう楽しい取材やん」とほくそ笑んだのも確かだ(笑)。
かくして取材当日。広報担当のAさんから言われたのは、「あんまりええように書くと、色々やっかみもあって、彼が苦労するから、そこはバランスよくね」。

今や貫録十分、威風堂々の玉助だが、当時はまだまだひょろっとした、しゅっとしたあんちゃんだった。玉幸師匠のこと、朝日座の思い出話、余暇は何してるのとか、聞いたと思う。

父であり師匠である玉幸師匠には「よう怒られてます。しょっちゅうゴツンとやられてます」と笑う。舞台に稽古に忙しい日々だが「バイクが好きなんで、休みにはツーリングに出かけてます」というのが印象に残っている。よって、今でも彼が舞台に出てくると、バイクにまたがっている姿を想像してしまうのだ(笑)。

ま、こんな取材や記事のことなんざぁ、彼はすっかり忘れていると思うけど…。

さて、口上。
超満員の客席、しばし拍手鳴り止まず。これだけでも玉助くんは大感激したことだと思う。
ご承知の通り、文楽では襲名する本人は言葉は発しないで、ひたすら平伏。
前列には中央に玉助。下手に進行役で蓑二郎。順に玉男、和生、玉助、蓑助、勘十郎。後列には先代玉男門下。下手から、玉翔、玉佳、玉輝、玉也、玉志、玉勢、玉誉が並ぶ。

勘十郎はんが口上で述べていたが、「彼は足が長くて、足遣いでずっとしゃがんでいるのは相当苦労したと思う」、ああ、やっぱりそうだったか。上述の取材の際に、多分、それも聞いたのだろう、勘十郎はんのこの言葉に大いに納得したものだ。

三業の幹部、一門がずらっと並ぶ豪華な口上もあれば、正月公演の織太夫襲名のように、本人と師匠の二人だけというスタイルもある。この辺は、本人がある程度リクエストするのか、劇場側が勝手に企画するのかは知らないが、今回はこの形がよかったと思う。

玉幸師匠、喜んではるやろなぁ…。怖い顔して。笑顔ってのが想像つかん人やったもんなぁ(笑)。

芸談あれこれは、また後日ということで。

(平成30年4月7日 日本橋国立文楽劇場)



 


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