【上方芸能な日々 文楽】平成28年新春公演 巻二

人形浄瑠璃文楽
平成二十八年初春公演 第二部  国性爺合戦

嶋さんの引退公演がクローズアップされた新春公演だが、第2部も見逃せない演目だった。

『国性爺合戦』は、文楽、歌舞伎ともに人気演目の一つだが、やはりこれは「虎狩り」によるところが大きいか?
ちなみに、ここでの「虎狩り」は正真正銘、「虎をとっ捕まえる」こと だが、ホークスに勝つことを「鷹狩」とするのは大きな間違い。なんでやって? それくらい自分で調べなはれ(笑)。

1月9日2部

国性爺合戦(こくせんやかっせん)

■初演:正徳5年(1715)11月、大坂竹本座
*17ヶ月に及ぶ超ロングラン大ヒット興行
■作者:近松門左衛門

時は17世紀。シナでは明朝崩壊、東北の異民族満州族による清朝が成立し、漢族を支配する時代を迎える。「反清復明」、すなわち明朝再興を目指して、明の遺臣らが果敢にも清王朝へ戦いを挑む。

中でも、鄭芝龍、鄭成功親子の活躍は有名。鄭成功すなわち「国爺」は肥前国平戸生まれ。日明貿易商人だった鄭芝龍と日本人女性・田川松の間に生まれたのが鄭成功。

この作品は、近松が鄭成功を「和藤内(わとうない)=国爺」として主人公に設定して描いたもの。日本と唐土を舞台に物語が繰り広げられるという、当時としては、それはほとんどSF規模と言えるスケールの大きさが、17ヶ月に及ぶ大ヒットとなった要因の一つかもしれないが、やはりそこは人形浄瑠璃。敵方が妻を差し出すよう要求してきたり、立場が違う父娘が数年ぶりに対面とか、義だの情だのと、時代物、世話物の本筋を踏まえているからこそ、300年たった今なお人気演目となっているのは間違いない。

しかし「反清復明」って、一瞬、李連杰(ジェット・リー)の映画『黄飛鴻』シリーズを思い出すけど、同じ「反清復明」でも鄭成功のそれと清朝末期のそれとは、一連性はないとされている。

「大明御殿の段」
御簾内:亘大夫、小住大夫、咲寿大夫、清允、燕二郎、錦吾、清公

床は御簾内から奏で、人形は主遣いも黒頭巾被って遣うという典型的な「大序」。まさに大きな物語の発端というべき光景。御簾内で若手太夫3人が激しくしのぎを削っている様子が、それぞれの声になって表れており、とてもいい傾向だと感じた。

舞台は韃靼王の使者梅勒王が明国思宗烈皇帝を訪問する場面。お囃子も銅鑼が鳴り響き、いかにも中華なムード。こういうの、300年前の竹本座のお客のハートをぐっとつかんだんだろう。それと、右将軍李蹈天が自分の目ん玉抉り出したのもびっくりぽんや! びっくりぽんついでに言えば、韃靼からの貢物が紅珊瑚ってのがもうねえ…。まさかこの時代から小笠原近海で乱獲してたんちゃうやろね…。

「大明御殿奥殿の段」
松香大夫、清友
状況が目まぐるしく展開する段をベテラン松香、清友がきっちりと。嶋さん引退で松香はんの存在価値というのも非常に重要度が増してくる。こういうベテランが、ここぞという場面をきちんとやってくれると、自ずと芝居が盛り上がるし、お客もそれによって文楽を実感できる。それにしても李蹈天、目ん玉抉り出したんはこの時のためか…。恐るべし。

「芦部の段」
始大夫、團吾

まずは團吾さんの髪型に注目してしまう。スポーツ刈ですか? 寒いことないですか? などと…。

和漢女の手本紙、筆にも写し伝へけり

と言われるほどの柳哥君の奮闘が胸を打つ場面。韃靼国軍の追手から栴檀皇女を守り切り、皇女を小舟に載せて海へと逃し、命果てる柳哥君…。始大夫も奮闘していた。

御簾内ではメリヤス。この物語、けっこう随所でメリヤスが効果的に使われている。「メリヤス?生地のことですか?」。まあそういうもんです(笑)。伸縮自在の三味線。場つなぎ場面転換や立ち回りなんかでよく使われる伴奏ですな。文楽劇場のHPにメリヤスあれこれをその名も「メリヤス隊」の実演によって紹介しているので、ご参照を。(紹介ページはすでに消去されています)
http://www.ntj.jac.go.jp/topics/bunraku/27/4966.html

「平戸浜伝いより唐土船の段」
和藤内-芳穂大夫、小むつ-希大夫、老一官-文字栄大夫、一官妻-南都大夫、栴檀皇女-咲寿大夫、清志郎、清馗、寛太郎、清允

人形主遣いはここから顔出し。和藤内がここから登場。和藤内の人形は公演前半が玉志、後半が幸助。小生は幸助の和藤内が好み。芳穂の語りとのマッチングも良かったと思う。まあ、こういうのは見物人の好みによるところが大きいから、どっちがよくて悪いというハナシではない。

希の小むつがよく聴けた。「とらやあやあ」のちんぷんかんぷんなやり取りは楽しく、自分を置き去りにして親子三人とその娘(流れ着いた栴檀皇女)とで、あっちの国よろしくやろうってのかと嘆くさまもよく。

「千里が竹虎狩りの段」
口>小住大夫、錦吾
奥>三輪大夫、喜一朗 ツレ・龍爾

人気の段。虎の中身はだれ? 良く動き、よくお客を喜ばせていた。あんまり動きすぎて床まで出張ってきたため、三輪さんに張り扇でパチンとやられてたのもご愛敬。
そんな虎の動きをよく見せるためか、この段は手摺なし。足遣いの動き丸見えと同時に、人形の空中浮遊がただこどとでない(笑)。だからこそ、足遣い重要。

口は御簾内から。小住奮闘の印象。三輪・喜一朗は盤石でツレの龍爾もよくついていっていた。

韃靼一派の手下どもが、虎を手なづけた和藤内にあっさり降伏して、韃靼アタマからちょんまげにあっというまに変えてしまわれたうえ、コミカルな日本名になってしまうのが滑稽。そんなこんなで大盛り上がりの虎狩りの段。

「楼門の段」
咲甫大夫、清介

日本とシナにまたがる大スぺクタクルもこの段から、一気に人形浄瑠璃芝居の色が濃くなる。親子の情、忠義、国家の威信などなど、時代物、世話物入り混じって、これまでの展開とはまた違った面白さが楽しめる。

和藤内の父、老一官と唐土での前妻の間にできた子が、五常軍甘輝の妻。明国を韃靼から取り戻すには、甘輝の協力が必要と向かったのはいいが、獅子が城の警護厳しく入城を許されず。楼門上に現れた老一官の娘、錦祥女は手鏡越しに父子の対面。これが上のチラシの場面。大きな物語だけに、なんやかんやと登場人物多くその関係も複雑。今回も番付かHPに相関図がほしかった。あればもっと楽しく見物出来たろうに。残念。

「甘輝館の段」
千歳大夫、富助

千歳大夫、公演期間を通じて好調だった模様。前半に「おお、ええやん!」と思っても、後半に聴いたら「あの日の出来はなんだったんだ?」とがっかりすることも少なくないだけに、まずは安心の出来。が、そのためかちよっと平均点すぎたという印象も。難しいねえ…、ほんとに。

敵か味方か、敵が味方か味方が敵か、みたいな複雑に思いが交錯する場面。これは完全に時代物の本流。そこに垣間見える親子の情。いいね~、こういう展開。だからこそ、声つぶれてでも千歳大夫には平均以上を聴かせてもらいたかったところ。
それにしても老一官の妻のクドキは圧巻だなと思う。

「今ここで死なせては、日本の継母が三千里隔てたる、唐土の継子を憎んで見殺しに殺せしと、わが身の恥ばかりかはあまねく口々に日本人は邪慳なりと、国の名を引き出すはわが日の本の恥」

とか

「慈悲もつぱらの神国に生を受けたこの母が、娘殺すを見物し、そも生きてゐられうか」

「我を今絞め殺しかばねは異国にさらすとも、魂は日本に導き給へ」

とか。ひれ伏したい気分。

「紅流しより獅子が城の段」
文字久大夫、藤蔵

メリヤス隊忙しい段(笑)。立ち回り、舞台返しと話がめまぐるしく動いてゆく。

文字久はんと藤蔵って、果たしていいコンビかな?と思う。文字久はんは人の好さが語りに表れているし、藤蔵は太夫を引っ張っていくぞ、おー!みたいなすごい意気込みで弾くし。そんなハラハラ感がいつもするけど、まあ今回はうまく回っていたかなと思う。次はわからんよ、ドキドキするわ…。

和藤内が「国性爺鄭成功」となる段。で、前段で圧巻のクドキで「おおお!」っと思わせたおっかさん、自ら命を絶って錦祥女とともにあの世へ…。ほんとこのおっかさんには恐れ入る。この人がここまで印象に残ったのは、太夫の力以上に人形の勘壽の力が大きいと感じる。適役だった。甘輝の玉男、錦祥女の勘十郎よりも記憶に残る遣いようだった。

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IMG_2581近松門左衛門がメーンのNHK木曜時代劇『ちかえもん』もなかなかおもしろい

もう1回観ておくと、さらに展開が理解できて面白く観ることができたと思うのだが、な~んかワーワーと忙しくしているうちに公演も終わり、結局2回観ただけだった。大作で、今度はいつ観られるのかわからないだけに、勿体ないことしたなと…。

さて、4月は『妹背山婦女庭訓』の通しである。これは最低でも3回は観ておきたいな…。住さんも織さん(源大夫)も、嶋さんもいない妹背山…。まさしく新時代の妹背山。どうなることか、ちゃんと見届けたいものである。

(平成28年宵戎、1月23日 日本橋国立文楽劇場)


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