【Go! Go! HAWKS 2016-1】「ホークス2年連続日本一記念電車」【鉄おた】

Go! Go! HAWKS 2016
ホークス2年連続日本一記念電車、阪堺線を往く

今年も「Go! Go! HAWKS」と題したブログをアップする季節に…。って、まだ少し早いか(笑)。

まだこのネタをアップしていないにもかかわらず、掲題の電車が走ったその日の夜には、拙ブログは大変なアクセス数になってしまっていて、何もご期待に応えらえず申し訳ない次第。けっこう意地悪な性格なんで、「もう何も触れずに放置しとこかな~」なんて思ってもみたが…。

2015年のパリーグをぶっちぎりの成績で制覇し、CS、日本シリーズも圧倒的な強さで勝ち、見事二年連続日本一の座に輝いた我がホークス。遅ればせながら、これを祝すと同時に今季もまた強いホークスであることを祈って、恒例により阪堺電車阪堺線の恵美須町~浜寺駅前を、緑の電車で往復した。

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南海ホークス時代からのご熱心なる信者様ご一行を乗せ、走る電車緑の電車。南海ファンが乗り込むにふさわしい、いい緑色に輝いている。使用車両は昨年と同じく、モ162。営業旅客用に走行する電車としては、国内現役最古参の昭和3年製造。

折しも、台湾や香港にまで及ぶ最強寒波の襲撃で、この日の大阪は日中の気温も2度と、悲しくなるような冷え込みで、当然ながら暖房設備のない車両だけに、どうなることかと心配したが、車内は熱気にあふれ、非常によいひと時を楽しむことができた。

お招きしたゲストは、昭和36年南海入団、以来ホークス一筋の鈴木孝雄氏。南海時代からのホークスファンにはバッテリーコーチ、二軍監督としてお馴染み。「もう喜寿を迎えました」とのことだが、体形もそんなに変わってられないような気がした。

昔々の話になってしまうが、ファン感謝デーなどのサイン会で、小生はどういう巡りあわせか、毎回必ず鈴木コーチからサインをもらっていた。「また、鈴木のおっさんかえ!」と思ったものだ。恐らく歴代ホークス関係者のサインで、我家にあるのは鈴木コーチがダントツであるのは間違いない。

鈴木コーチからは車内で、南海ホークスにまつわるエピソードをいっぱい聞かせてもらった。

野村克也という選手の「運の強さ」、サッチーの出現によって崩壊してゆくチーム、久保寺雄二への思いなどなど…。とりわけ、久保寺への思いというのは、ひとしおで、小生も胸がいっぱいになってしまう。
「久保寺が生きていたら、あと2年ほどで南海のチームを変えるとか、チームのひとつの進むべき道筋を作って行く選手になっていたのは間違いない。それを思うと…」

もはやこの電車企画のレギューラーである(笑)河埜選手も、「いつも定岡さんと二人で久保寺を見て『我々の地位も、あと2,3年であいつに持って行かれるかも』って言ってたんです。それくらい、周りにいい刺激を与えてくれる選手でした」と言う。

また、こちらもレギュラー参加の皆川投手夫人も「久保寺さんは、『あれ?この人、南海の選手なん?』って思うほど、従来の野球選手のイメージを覆すような人でしたよ。細かい気遣いができる人だったし、優しいし」とおっしゃる。

ホークスファンの末席を汚すだけの小生のような人間でさえ当時、「久保寺がいずれ南海を変えてくれる」と思っていたものだ。それだけに急逝の知らせを聞いた時の目の前真っ暗具合は、もうねえ…。

その皆川夫人からは、「先日、久々に名球会の催しに行ってきました」と報告。東京ドームで、投手・王貞治、打者・長嶋茂雄の対戦があった、あの試合である。「時の流れを痛感した」そうな。「王さんや長嶋さん、ノムさん…。みんな本当におじいさんになってしもたな~って思いましたよ」。皆川投手が御存命であれば、きっとマウンド上でダンディな投球を披露されていたことだろう…。

沿線にいわゆる「撮り鉄」のカメラがずらっと並ぶ。「我々も有名になったもんや」ということではなく、今月いっぱいで営業終了となる阪堺電車住吉公園駅にちなみ「ありがとう住吉公園駅」のヘッドマークを付けた電車を撮影しようという人たちが大半である。このヘッドーマークと南海ホークスの応援旗をつけて走る最古参の電車、これは画になる。鉄おたでなくても写真を撮っておきたい組み合わせではないか。

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上の写真は、浜寺駅前停留所でのものだが、ここから歩いて数十秒のところに南海本線「浜寺公園」の駅がある。明治40年に建設された同駅の駅舎は、南海本線高架工事にともない、ひとまずその歴史に幕を下ろす。日本最古の民営鉄道会社らしく、南海には文化価値・歴史価値の極めて高い駅舎が数多くあるが、浜寺公園駅はその最たるものだろう。設計者は、東京駅と同じく辰野金吾。2028年予定の高架化完成後に新駅のエントランス部などとして活用されるとのこと。ここはどんな形でこの駅舎が甦るのか、南海のセンスと手腕に期待したい。

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南海らしい非常に風格のある駅舎である。この会社の歴史の重みを感じさせてくれる。

DSCN0230古風な浜寺公園駅の駅前には、古風な食堂。「寿し」の色褪せ方、タイルの具合や窓枠のくたびれ度を見るに、もしかしたらまだ浜寺に海水浴場があった昭和30年ごろには、すでに開業していた老舗なのかも? いい感じに枯れた店であるが、はたして現在も営業してるのか? 浜寺の人、教えて!

寒さに耐えられず、さっさと車内に戻る。
もちろん南海ホークス一色の車内。実に快適な居住空間である(笑)。

DSCN0217DSCN0218DSCN0232DSCN0239.JPGsyounen「少年ホークスの会」の入会記念グッズ。今からすれば、あまりセンスの良くないショルダーバッグだが、これが欲しさに入会する子も少なくなかったわけだから、いかに南海沿線のお子さんたちのセンスが…(以下省略-笑)。

それにしても、世の中には物持ちの良い人がおるもんである。一応小生もこの会員だったわけだが、こういう記念品はどこに失せてしまったのか、見当がつかない。「少年ホークスの会」は中学生までだから、とするとだ、この持ち主も多分同年代と思われるから、40年近い昔の話である。この状態で持っているというのが、すごいわな、マジで。

応援団が今回もトランペットで特別参加。『南海ホークスの歌』はじめ、南海時代の各選手応援歌、「近鉄電車で早よ帰れ」コール、食い倒れコールなどなど、大いに南海ホークスを楽しんでいるうちに、電車は再び恵美須町に戻って、解散となった。

ゲストの鈴木コーチも、ずいぶんとご機嫌だった。「この電車のことは聞いてはいましたが、実際に参加して、今も南海時代からのファンのみなさんが、楽しんでられるのには感激してます」と。そういえば、「この続きはまたの機会に」みたいなネタもあったと記憶してます。次回、続編のご披露お待ちしております(笑)!

(平成28年1月28日 阪堺電気軌道恵美須町~浜寺駅前往復)



 


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