【上方芸能な日々 歌舞伎】七月大歌舞伎/夜の部

歌舞伎
松竹創業120周年
七月大歌舞伎 夜の部


最初に慶事。
上方歌舞伎界の至宝の一人で、今年の七月大歌舞伎も昼夜にわたって大活躍の片岡仁左衛門が、小生が見物した翌日に、人間国宝に認定されるとの報せ。これは嬉しい。他に芸事では、文楽から豊竹嶋大夫、京舞の井上八千代と、上方から3人が認定される運びとなったのは、まことに喜ばしい限り。

さあ、そんな嬉しいニュースが翌日に出てくるとはつゆ知らず、台風11号接近中で不穏な雲行きの中、ミナミは松竹座へ七月大歌舞伎夜の部『通し狂言 絵本合法衢』の見物に出掛けた。台風来るやら来ないやらながら、ほぼ満員のお客さん。好きですな、どちらさんも。

shochikuza_0703poster朝が苦手なので(笑)、というわけでもないが、珍しい演目『通し狂言 絵本合法衢』がかかるので、そりゃどっち見るかとなりゃ、迷わず夜の部でしょう。もちろん、昼の部も『鈴ヶ森』、『ぢいさんばあさん』とこっちはこっちでいいのが並ぶのだけど、その珍しさからいくと…。ねぇ。文楽並みの御観劇料なら、どっちも行けるけど、松竹さんはええ商売しはるから、そうもいきませぬ(笑)。

加えて、個人的な見解でいくと、仁左衛門の魅力を堪能しようと思えば、こっちかな。

「松竹はええ商売しはる」とか皮肉を言いながら、この日は二等席(二階)から。予算的に「ちょっと待ってぇなぁ」という金額だけど、やっぱりちゃんと見たいし、でも一等席はとてもとてもな金額やし、だからと言っていつもの三等席だと結局、大向こうさんたちの「ナントカ屋!」が気になってしまうから…。これに番付1700円。ちょっと癪に障るので、弁当は買わず(笑)。

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通し狂言
絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ) 立場の太平次(たてばのたへいじ)

■初演:文化7年(1810)5月、江戸市村座
■作者:四世鶴屋南北
■補綴・演出:奈河彰輔
■監修:片岡仁左衛門
*江戸時代の年代記『摂陽奇観』の中に、明暦2年(1656)、加賀前田家一門の前田大学之助が高橋清左衛門を殺害、後に弟の作左衛門によって討たれた記載あり。大坂天王寺の合邦辻閻魔堂で起きた本件を素材にしている。「天王寺の合邦辻」と言えば、玉手御前、俊徳丸を題材にした『摂州合邦辻』が思い出されるが、まったく関連性は無し。


見どころは、もちろん仁左衛門さま。
実際の事件の前田大学之助をモデルにした「左枝大学之助」と、無頼漢の太平次という、作品の要となる「悪人二人」を演じる。どちらの悪人を見ても、仁左衛門ファンならずとも、「悪」に引き込まれてしまうこと請け合いだ。風貌からして「悪の権化」のような大学之助、一方の太平次は、次から次と悪事を繰り返すのに、ちょっとした茶目っけすら感じてしまう…。この作品は、「仇討モノ」であると同時に「かっこいい悪人モノ」でもあるのだ。

番付の「出演俳優聞き書き」でも仁左衛門は、「悪人の役が好きなんです(笑)。二枚目よりも悪人の方が演じていて面白いし、気持ちが良い」と言うから、まさに仁左衛門の本領発揮の二役だろう。
「多賀家陣屋」で、高橋瀬左衛門(歌六)を殺害し、赤い舌を見せて(たと見えた)、してやったりの表情が印象深い。

四条河原の非人連中の頭(かしら)、うんざりお松に時蔵。江戸の役者ながら、上方の舞台が良く似合う。高橋弥十郎の妻・皐月との二役だが、「妙覚寺裏手」で、井戸端で太平次に絞殺されて、井戸に放り込まれた直後に弥十郎(歌六)と現れ、田代屋与兵衛(錦之助)、お亀(孝太郎)、太平次の4人で繰り広げる「だんまり」の場面は、固唾をのんで舞台を見つめてしまうスリリングさにあふれている。なかなか値打ちのある場面。歌六も瀬左衛門、弥十郎兄弟を二役で演じる。

大団円となる「閻魔堂」では、弥十郎・皐月夫婦が見事に兄の瀬左衛門、末弟の田代屋与兵衛(高橋孫三郎、幼少時に田代屋へ養子に)の敵を討つ。散々、登場人物が殺されまくったこの芝居も本懐を遂げるという晴れやかな気分で幕が引かれる。そして幕が引かれる前にちょっとしたサービスもあるので、こちらは見てのお楽しみってことに。

上述の通り、何人も人が殺される南北らしい作風。上方の義太夫狂言ではなく、基本的に江戸詞で進行して行くので、難解さは無く、だれでも楽しめる。若干、登場人物の多さと相関に戸惑うかもしれないが、番付の解説を頼りに見物すれば問題無し。27日まで。たくさんの人に見てもらって、仁左衛門さまの良さを知ってほしい、歌舞伎の面白さを知ってほしいなあ。

今年の夏芝居、せっかく大阪での公演だと言うのに、義太夫ものが一つもないのは寂しすぎる。上方の芝居が無いのだ。大阪でっせ! わかりやすい演目で、より多くの人に歌舞伎に接してもらうというのは、悪いことではないが、やはり「上方歌舞伎」の発展、芸の継承という意味でも、昼夜どちらかに義太夫狂言が1本は欲しかった、というのが偽らざる心境。

(平成27年7月16日 大阪松竹座)


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