【「六四」25周年 2】

「六四」25周年 2

かなり日が空いてしまい、香港はすでに「六四」の季節は過ぎ去り、その間にまあ色んな事があって何を取り上げていいのやら、ネタは豊富なんだけど、とりあえずは六四の「2」をやってしまわないことには…。ねぇ。

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香港住みのきっかけは「六四」

今年も6月4日、香港島のビクトリア・パークで、天安門事件の犠牲者を悼む「六四燭光集會」が「毋忘六四、戰鬥到底(6月4日を忘れるな。徹底的に戦おう)」のスローガンのもと開催された。事件から25年。今なお、中共政府による事件の再評価、活動家人士や犠牲者の名誉回復などは行われていない。おそらく、共産党の専制政治が続く限り、中国共産党はその非を認めることはないだろう…。

小生の香港住まいのきっかけが「六四=天安門事件」。「香港おたく」が高じてと思ってる人が多いけど、決してそうじゃないよ!

六四事件そのものは当時、日本国内でも盛んに報道されていた。あれだけ中国当局が厳しい報道管制を敷いていたにもかかわらず。一方で、香港、台湾など本土以外での抗議活動もさかんに報道されていた。特に香港のそれらは、胸を揺さぶる熱いものだった。

「こりゃ、香港を見て来ないと!」

と思い立って、その年の夏休み、同僚を誘って香港へ出かけた。

しかしもう香港の街からは「六四」の熱気を感じることはできなかった。いや、なにをどこでどう観察したらいいか、その術を知らなかっただけなのだろう。

以来、どうしても香港から「六四」と中華人民共和国というものを観察したいという想いが断ち切れず、あれこれときっかけを模索している内に、95年に香港での最初の職場に出会い、香港生活が始まる。

そんな流れだから、初めて参加した「六四デモ」や「追悼集会」は、感激したものだった。ただ、当時の香港は、返還前の「中だるみ」状態と言っていいのかもしれないが、デモも集会もさほど盛り上がっていた印象は無い。

異様な雰囲気に包まれた返還直前の「六四」

1997年の「六四」は、香港の祖国復帰まで1ヶ月を切っていた。「もしかしたら、返還後は『六四』活動はできないんじゃないか?」という憶測も飛び交い、デモは悲壮感が充満し、追悼集会は世界中のメディアが押し寄せ、どちらも異様な雰囲気の中で行われた。小生も「これで最後?」な空気に圧倒され、地元紙の記者や、どこの国の記者さんかは知らないけど、色んな人たちと集会現場で記念撮影したもんだ。(当時、小生は実に上手い手口でメディアの取材ゾーンに入り込んでいたのだ<笑)

それから17年。今年も返還以前と変わらず、デモも集会も普通に開催されている。

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18万人だか9万人(警察発表)だか知らないが…

盛り上がりつつも変容する「六四」

そして、その盛り上がりは今や、小生が初めてデモと追悼集会に参加した95年を遥かに上回る。主催者発表18万人以上ってのは、かなり盛っている数字だが、「数万人」が集ったことには間違いない。しかし盛り上がる一方で、いつの頃からか、このデモや集会が様変わりしていったのも、実際に現場で感じていた。

当初は、まっすぐに天安門事件への抗議、「平反六四」を訴える場だったが、返還後は、そこに明らかに香港政府への批判や香港の選挙制度への不満など、「自分たちの問題」が盛り込まれるようになってきた。「中国民主化活動」に加えて「香港自分自身の民主化活動」が盛り込まれるようになった。返還以降明らかに「あれ?」と思うような場面が増えたというか、加わった。

主催する「支連会」として、それでもOKなんだろうけど、天安門広場で命を落とした「烈士」に哀悼の意をささげる塔の前で、「全面普選(すべての選挙権を全有権者に!)」の声が上がったときには、「おいおい、こんなんエエんか?」と声に出してしまったほどだが…。まあ、OKなんだろうな、香港的にはそれで…。

データ上は風化していないが…

さて、よく「風化」とか言われるが、実際はどうなのか? データを見てみよう。
香港大學民意研究計劃 (The Public Opinion Programme, The University of Hong Kong)の調査結果による。

■調査期間:5月17~22日、調査人数:1005人
Q:天安門事件の再評価(平反六四)について
・「支持」56.1%(前年=63%、08年以降で最低)
・「不支持」20%(前年=16%)
Q:中国政府の処理について
・「間違っている」64%(前年=68%)
・「正しかった」12%(前年=10%)
Q:当時の北京の学生らのやり方について
・「正しかった」48%(前年=54%)
・「間違っていた」17%(前年=15%)
Q:事件当時に較べて、中国の人権状況は如何な状況か
・「改善している」56%
・「悪化している」19%
Q:支連会は解散してもいいか
・「解散すればいいよ」18%(前年=16%)
・「解散しちゃいけない」44%(前年=48%)
*支連会支持率:50.1%(前年比▼2.7ポイント)

調査をした香港大學民意研究計劃によると、18歳~29歳の若い世代では、当時の中国政府の事件の処理方法について「間違っていた」との回答が81%、北京の学生のやり方が「正しかった」との回答が71%、さらに「平反六四」を77%が支持しており、若い世代の六四事件への関心の高さが目立っているとしている。

たしかに、10年くらい前から正面壇上に上がるメンバーに学生が目立ち始めていた。最初は、わけわからん前衛芝居みたいな寸劇を披露し、集会参加者の多くが「ありゃなんじゃいな?」というかなりシラケた空気が漂っていたが、最近は活動の先頭に立つ学生が急増している。

以前にも書いたが「風化」を危惧する支連会が、徹底したオルグ活動を行い、いつの間にか各大学に「六四」を討議する学生組織が出来上がっていた結果かもしれないし、中高生、或いは小学生という早い段階で、教協(日教組的反政府的職員組合)に属する教員ががんばって教育した結果かもしれない。

いずれにしろ、実体験世代よりも事件当時には生まれてなかった「90后」世代が、活動の中心を担いつつあるのは間違いない。この世代が、ほんとうに「平反六四」を叫び続けるかどうか…。支連会の大方のメンバーのように、事あれば、「打倒日本軍国主義!」と拳を突き上げ、反日デモの先頭に立つこともあるのだろうか…。わからん…。

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以前の「六四」は、おっちゃん、おばちゃんの集いだったわけだが、今や!

支連会と一線画す「本土派」が独自で追悼集会

【「六四」25周年 1】で書いたように、今年目立って報道されるようになった、親中派系団体による「六四活動」。追悼集会が行われた6月4日も、会場のビクトリアパークの一角に「反支連会団体」の「愛港之聲」が陣取り、盛んに支連会を攻撃。

一方で、天安門事件犠牲者の追悼集会ながら、支連会と行動を共にせず独自集会を「熱血公民」なる「反共団体」が主催。この「熱血公民」は、最近注目されている「本土派」と呼ばれる一派である。本土派は、徹底した反共主義と排外主義を貫く派閥で、激進民主派という民主派の武闘派からの派生である。

会場の尖沙咀(Tsim Sha Tsui)の文化中心前に主催者発表で7000人(警察発表3060人)を集めた。こうした「本土派」独自の動きは、親中派組織の動きとともに、6月4日という特別な日が、決して支連会だけのものではなくなったということを、今年は強く感じた。

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「本土派」とは、徹底的な「反共団体」「排他主義団体」である

親中派団体はともかく、天安門事件の再評価(平反六四)を否定はしないながらも、支連会とは別行動をとる一派が出現している要因は、支連会の開催する「追悼集会」の中身そのものにある。先にも書いたように、いつのころから集会は純然たる追悼の場ではなくなり、「香港自身の問題」に声を上げる場になっているからだ。一方で「本土派」は、「中国の民主化などどうでもよい、何よりも香港の民主化を」と主張する。いずれにしろ、支連会がこれまで主張してきた「建設民主中国」は、時代に即さない主張となりつつある。

「追悼集会はもはや特定勢力が政治目的に利用する場と化した」とは、「愛港之聲」の主張だが、それを全面的に否定できないところに、案外、「六四事件の記憶の風化」を垣間見ることができるのかもしれない。

支連会が25年間、音頭を取ってきた「平反六四」の声は、もしかしたら「香港自身の民主化活動」という大きなうねりに飲み込まれようとしているのかもしれない。すなわち「風化」は内部から始まっているのだ。



 


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