【私家版『二流文楽論』 その3】*旧ブログ

 前日の何某の逆上というか激怒というか私怨のぶちまけというか、およそ行政の長とは思えぬ発言で、今回の「私家版『二流文楽論』」も少し、いやかなり筋立てが難しい成り行きになってしまった…。本来は私情はできる限り排除して、一連の補助金問題をときに斜に構えつつ、オダサクの本家『二流文楽論』の考察を交えながら観察してみようという目的だったが、かかる事態に及び、やはり看過することもできず、何某に対する批判で大半を埋めてしまったのは、よろしくなかった。

 と、思うに、いや待てよ、これは何某サイドによる大掛かりな「仕掛け」ではないか? すなわち、もとから予算計上する気などサラサラなかった補助金を一応、25%カットで落ち着くと見せかけて、土壇場でひっくり返すというストリーが最初からあったのではないか? などと勘繰ってみたりもする。そこまで懐疑の目を向けさせてしまうほど、何某の文楽に対する言動は偏執的なのである。

 

 さて、一夜明けて、昨日の騒動の原因が見えてきた。各紙、報道しているように名指しで批判された住大夫師匠はじめ技芸員サイドは、

文楽太夫の人間国宝、竹本住大夫さん(87)は「市長が会いたいという話はまったく聞いていない。私は一貫して会いたいと言い続けてきたのに」と驚く。30代の技芸員も「若手の間で、橋下市長といつ話し合えるんだろうと話題になっていた。なぜこんな状況になったのか」と悔しさをにじませる。

一方で、補助金問題の文楽サイドの対応窓口である文楽協会は、

ごく一部の技芸員に、「市長が指定してきた日時は7月。6月中に予算が決まるのに7月に会うのは意味がわからない」「公開の場での面談など橋下市長に利用されて恥をかかされるだけ」などと説明し、市長との面談を断った。

という経緯である。(青字、いずれも6月30日付『産経新聞夕刊(大阪版)』の1面トップ記事より)

また、こういう話も協会から出ている。

一方、文楽協会は一連の橋下市長による批判について、「これまで積み重ねてきた議論を、市長が5月のヒアリングの際にひっくり返した」と反論。26日に市側から面会の要請を受けたが、予算案について十分な説明がないままの面会では責任を持った対応はできないため、返答を保留したという。(6月30日付『産経新聞朝刊(大阪版)』30面)

「市長がひっくり返した」という反論が気になる。ならば、市長側はそれを明確にしなければならない。ひっくり返したとは言わないだろうが。また協会側もそれを具体的に説明する必要があるだろう。少なくとも技芸員には。

ここで問題点その1。報道側が最初に「市長無謬が大原則」の立場で、発言内容の検証なしでニュースを発信してしまっていること。「橋下がまたセンセーショナルな発言をした!」という、読者・視聴者・ネット閲覧者が飛びつくネタにしてしまっていること。ある意味、印象操作に近い。結果として、何某までもが「人間国宝に面会を拒否された」と誤解。(この発言自体も検証が必要だが)問題点その2。文楽協会の窓口対応のまずさ。「6月中に予算が決まるのに7月に会うのは意味がわからない」はわかるとして、「公開の場での面談など橋下市長に利用されて恥をかかされるだけ」はダメだ。その恥を被るのも窓口である文楽協会の役目である。何のための協会なのか。この話が「ごく一部の技芸員」にしか伝わっていないのもダメだ。何某が嫌っている「意志疎通のなさ」「責任所在の不明瞭さ」がここに集約されている。同様に、報じられている何某の発言すべてを鵜呑みにするなら、何某サイドでも意志伝達の不備があったと言える。協会の面会お断りの経緯や理由がきちんと何某に伝わっていないと言わざるを得ない。この点も批判対象とされるべきである。問題点その3。何にしろ、文楽を支えるメーンの存在である技芸員にはほとんど何も知らされていない。技芸員が我々同様に事の成り行きを報道でしか知りえないというのはおかしい。これも協会の伝達力に問題があるからなのだが。

 

 これらの問題点をクリアしないことには、前には進まない。どうするか。答えは簡単。住師匠はじめ技芸員数名と何某を含む市サイドで実際に膝を突き合わせてミーティングすればよいのだ。どちらも「会って話したい」という気持ちを持っているのだから早急に実現可能だろう。何の障壁もないはずだ。この際、協会はオブザーバー出席で発言権なしでよいだろう。今回の件で、交渉力、事務力、伝達力全てにおいて役に立っていないことが明瞭になったわけだから。

 会ってすぐさま、「シャンシャン」とはいかないだろうし、双方、そんなことを期待してもいないだろう。まずは、双方が素のままで話をする、数字の話は無用、思いのままにフリートークでいいではないか。噛み合わなくても当然。それでも会わないよりはすっといい。これがスタートラインである。さあ、すぐに会う段取りしろ、そしてまずは双方の不信感の塊を少しでも解く一歩にしろ、と言いたい。

 また、これは簡単な話でないことは承知だが、やはり協会運営に技芸員が加わることが必要だと感じる。最初は協会と技芸員との連絡係でもいい。でないと、いつまでたっても「市長vs天下り」という対立構図の中で文楽が翻弄され続けてしまう。これこそが、何某が期待する文楽界の構造改革の第一歩ではないかと思うが。それはやっぱり難しい?

<第3章 終わり>


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