【ノスタルジア南海ホークス4】*旧ブログ

やっぱり皆さん、南海ホークスがお好きなのね(笑)。
「ノスタルジア南海ホークス」をアップし始めてから急激にアクセス数が増えまして、あれよのうちにアクセス数累計が90万を突破しました!
とは言え、ここ「イザ!」のカウントはなんかいまひとつ信頼ができない気もしますし、アクセスが増えたところで何かくれるってわけでもないので、「ああそうなんや~」というとこですかね。

さてCSのインタビュー番組で往年の盗塁王でかつて南海ホークスを野村克也とともに支えた天才打者・広瀬叔巧選手を見かけたことで「1番、センター、広瀬」を軸にした理想的な南海ホークスを作り上げてみたらこうなった、というのを続けているんですが、前回までに打線、先発投手をリストアップして、今回は中継ぎ投手陣と抑え、おまけ的に敗戦処理投手陣をリストアップします。
毎回お断りしているように、打線は好き嫌いや印象をもとに組み、投手陣は一応、目に見える部分での数字をもとに選出したので、ご了承を。また、選出については、小生が初めて大阪球場で南海ホークスに出会った(はずの)1968年(昭和43年)から南海終焉の年となった1988年(昭和63年)までの21年間に在籍した選手に限定しています。
<中継ぎ>(中継ぎで20登板以上経験者
上田卓三-左 昭和43年、45年、46年、49年
佐々木宏一郎-右 昭和53年、54年
矢野実-右 昭和62年、63年

現在のような完全分業制が確立していなかったので、こういう区分が的確かどうかはわかりませんが、中継ぎとして実績を残しているのはこの3人ではないですかね。他にも「中継ぎ登板20試合以上」の投手はいますが、小生の印象としてストッパーにつなぐというよりも、出ては試合を壊す、という印象の方が強いので、中継ぎはこの3人に任せるとします。
上田卓三は昭和50年の「ファンブック」によれば、「ショートリリーフこそ我が命」なんて見出しがありまして、左打者対策の貴重なワンポイントとして重宝されていたのがわかります。確かによく投げていました。今のように中継ぎ投手陣が注目を浴びる時代でなく、先発陣の例えば江本や西岡あたりも中継ぎで出てくるような時代でしたから、目立たない存在でしたね。そういう時代だったので仕方ないですが…。
佐々木宏一郎は近鉄時代に南海は苦手にしており、完全試合もやられてます。南海に来てからもたまに「あ~、なるほど!」というベテランならでは好投もあり、貴重な存在でした。
矢野実は終盤期の南海にあって欠かせない存在でした。守備陣が台無しにしたような試合でも、腐らず投げていました(本心はわかりませんけどw)。

皆川、村上、西岡、江本あたりがブルペン入りしてれば、緊急登板もできるので、純然たる中継ぎ陣は3人で十分すぎるくらいです。
<抑え>(完了試合40登板以上経験者
杉浦忠-右*
佐藤道郎-右 昭和45年(新人王、最優秀防御率)、47年(最優秀勝率)、48年、49年(最優秀防御率、最多セーブ)、51年(最多セーブ)
江夏豊-左* *昭和52年(最多セーブ)
金城基泰-右 昭和54年(最優秀救援投手)、57年 *昭和55年(最優秀救援投手)
井上祐二-右 昭和63年

「完了試合」、要するに勝っても負けても試合を締めくくる登板を40試合以上こなした経験のある投手を選びました。杉浦忠、江夏豊はそのラインに至っていませんが、そこは「カオ」ということで。
それにしてもここは佐藤道郎に尽きるでしょう。このおっさん、小生にとっては「エースの中のエース」です。先発、中継ぎ、ストッパーなんでもOK。非常にタフな投手です。上記のタイトル歴を見れば一目だと思います。江夏がストッパーに転じた1977年(昭和52年)には先発に転じ、12勝10敗。完投7試合。セーブはついてませんが完了試合14、中継ぎ登板も4試合と、まさに八面六臂の活躍でした。まあ、この当時の「エース」と呼ばれる投手なら、これくらいの登板は当たり前で、阪急の山田やロッテの村田、クラウンライターの東尾あたりも似たような数字です。佐藤はまさに投手陣の柱で当時の写真を見ても、投手陣の中で一番貫禄のある風情をしています。人気者で、「子供の会」のサイン会でも長蛇の列でしたし、今宮戎の十日戎の宝恵駕籠にもよく載っていました。ただ、野村追放後、急速に輝きを失ってしまったのは残念です。ありゃ、何なんでしょうね…。

1735697この風格!ユニフォームから見て、昭和50年前後でしょう

金城基泰は松原(のちの福士)とのトレードで南海に来ましたが、昭和52年の開幕三戦目で先発、阪急打線を抑えての移籍後初勝利が鮮明な記憶として残っています。開幕戦を落としたものの、翌日のダブルヘッダーを敵地西宮で、珍しく4万以上の大入りの中で連勝、小生も気分良く観戦できたものです。江夏、佐藤が抜け、リリーフに転じてからも、低迷期の南海にあって、最優秀救援投手のタイトルを2年連続獲得するなど、実に頼もしい存在でした。
井上祐二は、終盤期の南海をよく支えてくれた功労者の一人だと思います。

<敗戦処理(笑)>
平沢隆好 竹口昭範 中条善伸
*負けが見えた試合を余計に泥沼化させてくれる方々(弱い時代に登板回数が多かった)

この3人は登板回数は非常に多いのですが、申し訳ないが、勝ちにつながる登板が少なかったように思います。ただ、慢性的な左投手不足の中で、先発の一角を担っていた平沢、中継ぎ登板回数が軽く20を超えるシーズンもあった竹口、中条は、よく投げてくれたとは思います。打撃陣で確実に頼れるのが門田だけという時代の不運もあって、成績としては気の毒な結果になってしまいっています。
でも、この理想のチームなら大丈夫(笑)。大量リードの場面で、悠々と投げることができるでしょう。ほんと、そんな場面でどんどん投げていただきたかった…。

さて、このシリーズ、どこまで続けますかね(笑)。


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