【燃えろ!近鉄バファローズ】バファローズvsマリーンズ公式戦第16回戦*旧ブログ

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今年、オリックスバファローズは3種類の「復刻ユニフォーム」を企画した。

特に「蘇る黄金の70’s」と銘打った1970年代の阪急、近鉄の復刻ユニフォームは、当時小学生(70年~75年)、中学生(76年~78年)、高校生(79年~81年)だった小生にとっても、大変懐かしいユニフォームであった。

今回、近鉄ヴァージョンの復刻の試合を、ホークスファン6名で観戦した。

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ちょっと画像を遊んでみました 。内野席でのんびりと観戦

他球団ファンであるこの6名だけでも、六者六様の思いがあるように、バファローズファン、とりわけ近鉄ファンの思いはもっと輻輳しているだろう。

ここで、近鉄バファローズの終焉からオリックスバファローズの誕生までの経緯をあれこれ回顧しないが、少なくとも、旧来の近鉄ファンなら、今回の「復刻」については、忸怩たる思いがあると察することができるし、そういう声も多数耳にした。

小生はといえば、そういう思いも理解する一方で、バファローズファンでもないので、同調する気もしないし安易に同調すべきでもないと思う。

logo06 [更新済み]マスコットの「バッファくん」も復活
よく見ると、オリジナルとあれこれデザインが違います
意匠権が複雑にからんでると思いますが、ここまでやったんだから、
そこはオリックス球団に敬意を表してあげましょうよ

今回の近鉄ユニフォームは、西本監督時代のユニフォームであり、それは同時に南海ホークスの野村監督時代でもある。よって、小生がこのユニフォームを見て思いを馳せるのは、70年代の近鉄バファローズではなく、70年代の南海ホークスなのである。「打倒阪急!」の旗印の下、阪急と優勝を争っていた時代の南海ホークスなのである。

そんな思いで、近鉄のユニフォームを身にまとった現在の「いてまえ戦士」たちの試合を見た。

ライトスタンドの応援団のトランペットも、藤井寺・日生時代、大阪ドーム時代、そして現在の3パターンが使われ、やはり、藤井寺・日生時代のヒッティング・マーチがとてもうれしく、記憶の片隅にあった歌詞を思い出し、同時に、そのころの球場の風景などを思い出す。

IMG_03987回裏ラッキーセブン。
赤い風船が舞いがる1塁側~ライトスタンド。
懐かしい「近鉄バファローズの歌」が流れます。
もちろん、大きな声で歌いましたよ。
♪角を一振り、つむじ風、バファローズ♪

大阪に南海と近鉄があったことで、近鉄は南海に次いで観戦数の多い球団だった。

だから藤井寺球場と日生球場は大阪球場に次いで多く通った球場である。

高校の通学途中に藤井寺球場があった。学校帰りによく途中下車して南海以外相手の近鉄戦を何度も見た。

近鉄百貨店の地下食品売り場でブライアントを見た。
近鉄あべの橋駅でオグリビーを見た。
どっちも黒くてでかくて、そして南海投手陣をボコボコに打ちのめしていた。

大学時代にバイトしてた日本橋の電器店では、南海が勝てば大阪球場前の「二次会」の声援が聞こえ、バイトを抜け出して参加していた。近鉄が勝てば、チリンチリンと豆腐屋の鉦を鳴らしながら颯爽と自転車で突っ走る近鉄ファンのおっさんがいた。

大阪球場での南海最後の試合の相手も近鉄だった。

昭和53年後期、阪急と近鉄が激しく後期優勝を争った天王山の西宮球場でのナイター。NHKが近畿ローカルで急遽放映。その試合を見に行っていた。熱気に包まれる西宮は札止めで4万5千を超す観衆で埋まり、そのころから始まったトランペットによる近鉄応援団「道楽会」の応援リードがさらに観客を煽っていたのをよく覚えている。

まさかその2球団が今、一つのチームになっているとは…。時代の流れか、パ・リーグの悲哀か…。

1_1近鉄と言えばやっぱり「B」の帽子。
後年の「3色帽子」が有名で人気もあるけど、小生の「近鉄」は「B」ですね。
そうそれは「万年Bクラス」の「B」ですww。
そうやってクラスの近鉄ファンをからかってたのが懐かしい。
と言いながら、この日の小生は「3色帽子」で応援しましたw

そんなあれこれを思い出させてくれた近鉄復刻ユニ。

球団サイトでは、なんやらかんやらと能書きを垂れているが、「南海ファン」である自分には、それらは一向に関係なくて、ただただ、野村監督時代を中心とした「南海ホークス」を思い出させてくれたきっかであった。

多分、あの時代の南海ホークス、そして近鉄バファローズと阪急ブレーブス見てきたから、自分は今もホークスファンであり、パ・リーグファンなんだと思う。

あの時代の関西3球団の独特なスタンドの雰囲気が、とても懐かしい…。
またあんな感じで野球が見たい。


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