【鮮烈なイメージだった】初めての東京で見た201系*旧ブログ

*中央線から201系引退の報道を受けて。
初めて東京へ行ったのは大学1年の夏休み。
蔵前国技館へテリー・ファンクの引退試合を見に行くため。

で、そのときに見た、乗った201系は鮮烈でした。
もしかしたら、関西圏では東海道・山陽に投入されていたかもわかりませんが、なにせ国鉄といえば、阪和線、関西線。せいぜい環状線という土地に住んでましたし、通学も地下鉄&阪急で一本でしたから、大阪駅にまで行くことなどなく…。

そういう状況ですから、国鉄の通勤車両は阪和・103系(京浜東北色)、環状103系(中央色)、関西・103系・101系(山手色で前面に黄色の警告カラー)しか思い浮かびません。
そんな奴が目にした201系は、

「おおお~~~、これがウワサの201系か!」
でした。
主に地下鉄車両で当たり前になりつつあったチョッパ制御は、当時の国鉄としては画期的なことだったというのは、いまでも記憶しています。
「東京は一歩先いってるな~」
と。まだまだ純朴だった大学1年生の小生は感心していました。

そう、純朴だったんです、ボク。。。


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