【返還10周年】思い出話(42)「尖閣」その2 *旧ブログ

1996年秋の尖閣騒ぎを振り返る第2弾です。
9月に入ってますますエスカレートする「マスコミ主導」の「保釣(守れ尖閣&反日)」潮流はとどまるところ知らず。
9月7日には、2日前に「釣魚台陥落?」の見出しで世間を煽った『明報』が「日本軍は釣魚台に軍事用トーチカを建設した」と嘘八百を報じます。だから、「日本軍」って…???
『明報』に先を越された他媒体も負けていません。最高部数を誇る大衆紙『東方日報』もトップ見出しに「釣魚台、日本軍の手に陥落」。
こうなると、尖閣=領土問題は「打倒日本軍国主義」へと色合いを変えてゆきます。

同じく9月7日には台湾系政党「123民主同盟」が銅鑼湾(Causeway Bay)のそごう前で日本製品不買運動を展開。香港政庁保安局からは「冷静かつ平和的行動を」と市民に呼びかけますが、焼け石に水。
芸能番組でもアイドルや人気タレントが「日本を許せない!」など言ってました。何も考えてなくてもそう言わないといけない空気ができあがっていました。
たとえば、新聞の人気コラムニストやラジオの人気DJが「まともな」発言をしようものなら、国賊よばわりされ、業界から干されてしまうという事態が相次いでいましたから。

9月8日、本格的な反日デモ親中派主催で開催され4000人が参加。日ごろは返還問題で対立している民主派も「全球唯一勇敢的中華民族」として合流し、「打倒日本軍国主義」を叫びます。
翌週15日には民主派主催の反日デモ。こちらは1万2千人が参加。実際には2万は軽く超えていたでしょう。
日曜日だったので、小生は銅鑼湾のいまはなき大丸へ買出しに出かけたのですが、大丸周辺はデモ参加者で大混雑。「日本製品不買!」と言ってるクセに大丸の食品売り場は飲み物やスナック菓子を買い求めるデモ参加者で大混雑。「ま、その程度だ な」と軽く見てたのですが、大通りはすでにデモ隊が埋め尽くし、路面電車も立ち往生。沿道の見物人も次々とデモに参加してすごいことになっていました。

別に「我是日本人」と名札を付けて歩いてるわけではないので、危険ではないのですが、どんなトラブルに巻き込まれるかわかりませんから、デモ見物は控えて 早々に退去しました。もっとも「とんだ言いがかりデモ」ですから見ていておもしろいはずがなく、さらにはムカつくだけ。さらに小生も今から11年前のまだ血気盛んな年頃でしたから、ムカッと来てつい…ってことも無きにしも非ず、君子危うきに何とやらです。
デモに参加してすっかり「民族主義」に目覚めた「民主的な」教員の皆さん方も急遽「教育界保釣委員会」を設立し、来る9月18日の「柳条湖事件65周年」 には全学校で1分間の黙祷を捧げようよ提案し、歴史教育で「保釣」を取り上げ、「愛国精神を強化」しようなど、自ら「右傾化」の道へ進んでゆくという有 様…
さて、このデモで一躍人気者になった女性がいました。「保釣の花」として、彼女を取り上げたドキュメンタリー番組まで放映されたほど。名前は控えますが、それ、実はなんと日本人なんです
数年前から日本人がよく使うカラオケボックスやスナックに押しかけては「軍歌をリストからはずせ!」と抗議していた輩です。なんでもカラオケで軍歌を歌う日本人を見ると「アジアの人々の怒り」が聴こえるという神がかり的なワザの持ち主で…。

そんな彼女にとってこの「保釣」はまさにうってつけの活動の場。デモ隊の先頭に立って「日本軍は釣魚台から出てけぇ~~!」「打倒日本軍国主義!」と叫んでいたのですから、在港邦人にすれば逆に「国賊」ですよね。で、香港人も「ありゃ、おかしいゾ」と思うわけです。取引先の香港人女性が「どうして香港の日本人はあんなの黙って放置してるのよ!」って逆に怒ってましたから…。
結局、この黐線(ちーしん=基地害)な日本妹(やっぷんむい=日本人娘)は、騒ぎが沈静化した頃に『蘋果日報』にそそのかされ、セミヌードを紙面に大々的 に掲載されるに至ったのです。その後、帰国したようですが、香港メディアにいいように使われたポイ捨てされた哀れな「反日日本人」がいたというのも、返還 前の思い出のひとつですね。
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COMMENT:
AUTHOR: –
DATE: 06/16/2007 17:10:50
>黐線な日本妹
頭の弱い人を海外に出さないようにして欲しい ◯<\_
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 06/16/2007 18:00:06
To ftkstさん
>頭の弱い人を海外に出さないようにして欲しい ◯<\_
まったくです。
でも結構いてるんですよ、この手の人が…


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