【睇戲】一九零五的冬天 <日本プレミア上映>


製作から43年の歳月を経て、ようやく日本で初めての劇場公開となった『一九零五的冬天(邦:1905年の冬)』。1981年にアメリカから帰国した楊德昌(エドワード・ヤン)が映画界入りして初めての仕事ということで、記念すべき作品のはずだが、当時は配給会社が見つからず、正式公開されなかった。上映後に舞台挨拶に登壇した監督の余為政(ユー・ウェイチェン)は「月日の流れは早く、あっという間の40年だった。今日は皆さんに色々と話ができたことは感無量」と語ったが、いやまあ、そらそうよ。なんせ1981年って、小生は高校3年生ですぜ。もう笑うしかないわな(笑)。しかし、監督、よく来てくださいました!

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

特集企画 台湾:電影ルネッサンス2024
一九〇五的冬天 邦題:1905年の冬 <日本プレミア上映> 

港題『一九〇五的冬天』數位修復
英題『The Winter of 1905』Digitally Remastered
邦題『1905年の冬』デジタルリマスター版
公開年 1981年 製作地 香港 言語:標準中国語、日本語
評価:ー(旧作につき★評価せず)

導演(監督):余為政(ユー・ウェイチェン)
編劇(脚本):楊德昌(エドワード・ヤン)

演員(出演):王俠軍(ハインリック・ワン)、徐克(ツイ・ハーク)、楊德昌(エドワード・ヤン)、秦之敏(チン・チーミン)

今映画祭では2回上映されるが、1回目の上映が日時的にピッタリだったので、行った。まさに正真正銘の「日本初上映」という歴史的な場に立ち会ったことになる。もちろん早々に「SOLD OUT」。こういうのを観ると寿命が延びるんだそうだが、そんなに長生きしたいとも思ってないから、その分、ほかの人に分けてあげて(笑)。

《作品概要》

日露戦争の時代に、西洋絵画と音楽を学ぶために日本を訪れ、帰国後、中国の美術界に影響を与えた若き知識人、李叔同(弘一)を描いた歴史ドラマ。エドワード・ヤンの記念すべき映画界入り初仕事作品(脚本、出演)。<引用:第19回大阪アジアン映画祭公式サイト

時は日露戦争のころ。西洋絵画と音楽を学ぶために、日本の上野美術学校に留学した中国の知識人・李叔同(弘一=こういつ 作中では李維儂)の留学当時を描く。世を達観したかのような文化人風の男=李維儂が竹林を歩きながら当時を思い出す、という場面から映画は始まる。李維儂を演じた王俠軍(ハインリック・ワン)は俳優業の後、世界的に有名な白磁陶芸家になる。たしか日本にも出店していたと思うけど…。違う?? なんか李叔同のような道を歩んでますな。そういう意味では適役だったわけだ。結果論ではあるけど。

李維儂を演じた王俠軍(ハインリック・ワン) ©國家電影及視聽文化中心

弘一は帰国後、中国の美術界へ影響を与えることになる。上海の裕福な家庭で育つも、あらゆるもめ事に疲れ果て、芸術に集中できる環境を求め、東京に留学した。絵画、音楽、新劇を学び、日本人女性と恋に落ちる弘一。母国の政治的緊張が高まる中、彼は友人たちに説得され、孫文が亡命先の東京で結成した秘密結社「中華革命党」に入党するという顛末、有体に言えば、留学先での恋と政治の日々、辛口に表現すれば「どうでもいい」話を描いている。

李維儂と深い恋仲に陥る日本人女性、晴子を秦之敏(チン・チーミン)が見事に演じ切るのも見どころ 國家電影及視聽文化中心

全体的に抑えたトーンで進むので、この作品に価値を見出せない人にとっては、退屈極まりない作品だっただろう。カラー作品なのに、モノクロのように見えてしまうのは、そのせいだろうか。何と言っても、本来日本語であるべき会話の部分も中国語で進むから、なんか妙な感覚に陥るのだ。ああ、なるほど、この感覚、空気感は後の「台湾新電影(台湾ニューシネマ)」に通じるものがあるな、という感じ。この映画が、なぜに注目され、今回の初公開が映画ファンの間で大きな話題を呼んだかと言うと、それはひとえにこの「台湾新電影」の先駆的位置にあるから。

下宿先の女主人の息子の遺骨を届ける包帯ぐるぐる巻きの楊德昌(エドワード・ヤン)。言われないとわからん(笑)。カメオ出演、かくあるべき!って感じ ©國家電影及視聽文化中心

本作の製作に参加した詹宏志(ジャン・ホンツェ)、余為彥(ユー・ウェイヤン)、杜篤之(ドゥー・ドゥージ)、陳博文(チェン・ポーウェン)らのメンバーは、後に「台湾新電影」の中心となるメンバーである。この作品の製作経験が大きな影響を与えているは言うまでもない。そんなわけで、今宵も完売御礼の大盛況、そして本作に漂う空気、ということなのだ。

その辺について、余為政監督は意外なことを言っていた(と記憶するw)。以下、断片的な記憶から思い出した発言を並べてみた。「残念ながら、台湾新電影のほとんどの監督は、本作を観たことがないと思う」「香港の監督たちの方がよく観ていると思う」「本作のあとで、私が楊德昌を台湾映画界に紹介した」「楊德昌が台湾で作った電視電影(テレビ用映画)が台湾新電影の始まり。知らんけど」等など、台湾新電影大好きな意識高い系の人たちは、ちょっと肩透かし食らったかもね(笑)。

余為政(ユー・ウェイチェン)。監督の自らが明かす「秘話」の数々は興味が尽きない。右はおなじみ、通訳のサミュエル氏

独特の「かったるい」雰囲気の中で、一人エッジが利いていたのが、李維儂の友人、趙年を演じた徐克(ツイ・ハーク)。後に「香港新浪潮(香港ニューウェーブ)」を代表する監督となる徐克が俳優時代に台湾新電影の先駆けとなった作品に出演しているのは興味深い。革命家という役柄は楊德昌のアイデアだったとのこと。余監督曰く「テロリストというと言い過ぎかもしれないけど、まあ、そんな人物を登場させたほうがいいかも、という話になったので。実際に登場させたら、他の演者の芝居を食ってしまいよった」。確かに存在感は群を抜いていた(笑)。

人力車夫に身をやつし、追手から逃れようとするも、雪上で壮絶な最期を迎える徐克(ツイ・ハーク)であった ©國家電影及視聽文化中心

芸術を学びたいがために、日本へ留学した李維儂だったが、辛亥革命前夜の若者たちの熱気は、彼が芸術に没頭するのを許さなかった、という物語で、「おお!」みたいなのは全然なかったけど、ラストシーンは綺麗だった。全体の70%程度を日本で撮影したとのことで、そのラストシーンは「クランクインの日に、日本の飛騨高山で撮影した」と余監督は言う。その心は、について色々言ってたけど、忘れた(笑)。

「香港新潮流」の担い手の一人で、評論家で映画監督の劉成漢(ラウ・シンホン)㊨も登壇。香港電影迷としては、この人の話をもっと聞きたかった

(令和6年3月2日 シネ・リーブル梅田)

 

 


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