<アイキャッチ画像:RTHK(香港電台)の人気ドキュメント番組『鏗鏘集』の記者だったレイチェル(仮名)は、かつて「六四追悼集会」に参加していた頃のろうそくを保管していた。このろうそくに再び火が灯ることはなくなった…(端傳媒)
1989年の天安門事件=六四から33年が経過した。
当時、もっとも敏感に反応し、大規模抗議活動を全市民的に展開、以降も毎年、抗議デモと追悼集会を開催してきた香港だが、一昨年の国安法の制定により、活動のシンをとってきた香港市民支援愛國民主活動聯合會(支連会)は昨年、ついに解散した。となると、もはや何も記しておくべきこともないのだが、まあそこは、在住中は欠かさずにデモと集会を観察してきた身として、このご時世にあっても六四の報道を続けるメディアの記事を拾いながら、33年目の6月4日の香港のことを残しておきたいと思う。
あたかも「国安法で天安門追悼が違法になった!」かのような報道が日本ではされているが、実のところ、そこは明確ではない。地元紙『明報』が、警察に対して「6月4日の追悼行為は国安法違反なのか」と尋ねたところ、「個人的な追悼行為が国安法に違反するかどうかは、その行動と意図、得られた証拠など、関連する状況による」と回答。また、その他の要因などは、関連する法律に従って処理されるとしながら、具体的な国安法違反ケースについてのコメントは得られなかった。
実際、ビクトリア公園は封鎖されたが、市民はそれぞれの形で追悼の意を表しているし、国安法に限らず、明らかに違法な場合以外は逮捕されていない。
さて、今年は支連会解散後初めての6月4日であり、2年連続でかつては追悼集会の場であったビクトリア公園は6月3日23時から封鎖された。幾万のろうそくの火も、中国そして香港の民主化を求める歌声も、抗議のシュプレヒコールもそこにはない。
それでも午後には、銅鑼灣(Causeway Bay)のそごう一帯とビクトリア公園では黒や濃い色の服を着た市民が目立ち始める。ネットで違法集会を扇動する者もおり、警察はそごう脇にテントを設置し、銅鑼灣~ビクトリア公園一帯の警備を一層強化。不審者への職務質問を頻繁に行った。
午後3時ごろには、支連会・元常務委員の趙恩來(チウ・ヤンロイ)が紅白の薔薇の花束を持ってそごう前に出現したが、警官に持ち物検査を受け銅鑼灣から離れるよう要求された。趙は一昨年6月4日にビクトリア公園での違法集結への参加の扇動と違法集結参加で禁固8ヵ月の判決を受け、今年2月に出所していた。そもそも、そういう人物がこの日にビクトリア公園と目と鼻の先の銅鑼灣に花を持って現れる、ってのが警察への挑発行為だろう。「帰れ!」って言われて当然だ。
さらに、夕方には元・屯門區区議会議員の甄霈霖(ランス・ヤン)ともう1人の男性が黒服で、戦車の模型を持って銅鑼灣に現れた。2人は警官の職務質問を受けた後に現場を離れた。天安門事件で戦車と言えば、有名な「戦車に立ち向かう青年」の映像が想起されるとあって、敏感なシロモノである。こういうのを持って民主派人士が銅鑼灣に来ること自体が、やはり警察及び国安法への挑発行為であるが、国安法違反で逮捕!とはなっていない。日本のメディアの「国安法で云々」は、話半分くらいに聞いておくのがちょうどいいと思うが…。
おなじみの「騒ぎ屋集団」、中央が糾弾するところの「反中亂港」組織の一つである社會民主連線(社民連)主席の陳寶瑩ら3人が、「×」印の書かれたマスクを装着してそごう前で黙とうしていたところにメディアが殺到し、歩行者の往来を著しく妨げたため、警察は陳寶瑩らをパトカーに乗せて、この場から立ち去らせた。よかったね、それで済んで。旦那さん(長毛)なら逮捕されてたよ、きっと(笑)。
では、誰一人逮捕されなかったと言えば、そういうわけではない。ただし、この時点では国安法違反での逮捕者はいない。
これまた社民連メンバーの劉山青がビクトリア公園内で、天安門事件の際に湖南省で民主化運動を指導した李旺陽氏の肖像画の入ったT シャツを着て、扇動的な言葉を発していたことから「違法集結への参加を扇動した」容疑で逮捕された。午後9時過ぎに保釈された。
また、午後8時ごろ、ビクトリア公園で疑わしい行動をしていた80歳の外国人男性が攻撃性の高い刃物を所持していたため逮捕した。結局この日は、19歳から80歳までの男女6名が、不法集結の扇動、道路交通法違反や公務執行妨害などで逮捕された。日常的な話である。「国安法ガーーー!」な日本の皆さんにはがっかりなことだろう(笑)。
「国安法の逮捕者はいない」と言ってはみたものの、市民の中には国安法に対する「疑念」はあるわけで、たとえば警察が「ネットで不法集結を扇動する者がいる」から、ビクトリア公園の封鎖、周辺の警備強化をすると言っても、結局は「追悼させない」ためだろう?と思ってしまうのが人情ってもんだ。そういう意味でも、警察には言葉を濁さず、はっきりと「何がだめで何がOKか」を示してもらいたい。でないと、思ってもみなかったことで逮捕されて国安法で裁かれる、なんてケースが出て来るんじゃないか? 俺はイヤだな、そういうのは。
国安法はさておき、こうして香港における6月4日は大きく変貌した。香港を脱出した民主派人士や学生活動家などは、台湾や欧米諸国などの移住先で六四活動を行ったようだが、香港人が抱く六四への思いと、現地の六四の見方には乖離もあるようだ。よって、平和活動の日として、ウクライナ問題との合わせ技で訴求するなど、苦心しているようだ。ただ、学生諸君の場合は、従来より支連会が訴えてきた「中国の民主化の先に香港の民主化がある」という訴えにはまったく共感しておらず、あくまで「香港の民主化がすべて」という考えだから、「香港式六四」は香港人が世界に分散してゆくことで変容していくんじゃないかな…。「犠牲者の追悼」のための六四から「香港の民主化」のための六四への変革期が到来したような気もする。各地の活動のニュースを見て、なんかそういう気がした33回目の6月4日であった。
『時が滲む朝』 (文春文庫) 楊 逸 (著, 原著)
中国の小さな村に生まれた梁浩遠と謝志強。大志を抱いて大学に進学した2人を天安門事件が待ち受ける―。“我愛中国”を合言葉に中国の民主化を志す学生たちの苦悩と挫折の日々。北京五輪前夜までの等身大の中国人を描ききった、芥川賞受賞作の白眉。日本語を母語としない作家として初めて芥川賞を受賞した著者の代表作。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。