【睇戲】童年往事(邦題:童年往事 時の流れ)

台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢監督デビュー40周年記念
ホウ・シャオシェン大特集

本日鑑賞の『童年往事(邦:童年往事 時の流れ)』は、先日観た『風櫃來的人(邦:風櫃(フンクイ)の少年)』、『冬冬的假期(邦:冬冬の夏休み)』、『戀戀風塵(邦:恋恋風塵)』と並んで、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の半自伝的作品と呼ばれる4本のうちの3作目にあたる。いずれの作品も、気ぜわしい台北を舞台とせず、高雄澎湖諸島九份といった南部の都市やいわゆる「田舎」を舞台にしているところが、侯孝賢らしい。このへんが、台湾ニューシネマのもう一人の旗手、楊徳昌(エドワード・ヤン)との大きな相違点の一つで、それによる作風の違いや描かれる人間を見比べてみるのが面白い。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

ホウ・シャオシェン監督作品
童年往事 邦題:童年往事 時の流れ

台題『童年往事』
英題『A Time To Live,A Time To Die』
邦題『童年往事 時の流れ』
公開年 1985年 製作地 台湾
製作:中央電影公司
言語:標準中国語、閩南語、客家語

評価 ―

導演(監督):侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
編劇(脚本):朱天文(チュー・ティエンウェン)、侯孝賢
監制(制作):徐國良(シュ・クオリャン)、陳文森(チェン・ウェンシェン)
攝影(撮影):李屏賓(リー・ピンビン)
剪輯(編集):廖慶松(リャオ・チンソン) 、王其洋(ワン・チーヤン)、陳麗玉(チャン・ライヨク)
配樂(音楽):呉楚楚(ウー・チューチュー)

主演(出演):田豐(ティエン・フォン)、梅芳(メイ・ファン)、唐如韞(タン・ルーユン)、蕭艾(シァオ・アイ)、游安順(ユー・アンシュン)、辛樹芬(シン・シューフェン)、陳淑芳(チェン・シューファン)、吳素瑩(ン・シウイン)、周棟宏(チョウ・タンワン)

【作品概要】

少年の成長の年代記を、彼と家族の日常をめぐるささやかな出来事で綴る。主人公のアハは、47年広東省に生まれ、一歳のときに一家で台湾に移住した。ガキ大将的存在のアハだったが病弱な父は、アハの心に小さな影を落としていた…。<引用:「台湾巨匠傑作選」公式サイト作品案内

とにかく、やいやいとうるさくない映画。登場する人物は多くは語らないが、画が、カメラワークが、色が、音が様々なことを語っている。こういう作品に巡り合えることは、人生の至福である。何度観てもうなってしまうのである。

舞台は南部の大都市、高雄の鳳山侯孝賢(ホウ・シャオシェン)も朱天文(チュー・ティエンウェン)もここで育った。ちなみに、ライオンズ~バファローズで投手として活躍した許銘傑(シュウ・ミンチェ)も、鳳山の出身である。

ロケに使われた日本式家屋は侯孝賢の実家だそうで、「無人のままだったボロ屋を補修して20数年前の暮らしを再現した」と、朱天文は著書『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』で書いている。こうした日本式家屋は、1940~60年代に台湾で生きた人たちにとって、「集體回億(=集団の記憶)」の一つである。それでいて、60年代生まれの小生には、自分の生家のようにも見えてくる。この辺の「映画なのに自分の思い出のように見える」のは、侯孝賢作品全般に通じる大きな特徴である。「このおっさん、友達になれるんちゃうか?」と錯覚すら覚えさせてしまう魅力を持っているのだ。

鳳山ののどかな風景もよかった

作中、主人公・何孝炎をおばあさん(演:唐如韞/タン・ルーユン)が「アハ~、アハ~」と呼んでいたのも、侯孝賢が子供の頃に親しみをこめて「阿哈(アハ)」と呼ばれていたからだろう。そう言えば、侯孝賢と何孝炎、中国語の発音がよく似てるもんなぁ。朱天文も同書で本作を「自伝的要素のかなり濃い作品で、俟孝賢自身の人生を描いたものと言えるだろう。」と書いていることからも明らかなように、本作の「アハ」は俟孝賢自身なのだ。

戦後、大陸から渡ってきた「外省人」であるアハ一家は、両親は「大陸反攻(=本土奪回)」の日が来ることを信じ(というか、ほとんど祈り)、おばあさんは故郷の広東省梅県(実際に俟孝賢の故郷)へ戻れる日をひたすら待つ、と言う具合に家の大人たちは皆、大陸への思いを募らせている。特に、客家語しか話せないおばあさんには、台湾の暮らしは相当きつかったはずだ。おばあさんの客家語は家族の間でのみ、通じる言語だった。さらに両親は標準中国語、子供らはこの二つの言語に加え閩南語(台湾語)を相手に応じて自在に使い分ける。子供たちは、「大陸反攻」も郷愁も関係なく、台湾人として育ち、人生を歩んでいくということだ。そんな激動の時代を真正面では見せないが、夜中の轟音や翌朝の戦車の轍、ラジオが伝える「戦況」などでうかがい知ることができる。

この3人の大人は相次いで、世を去る。決して、穏やかな最期ではなかった。元々病んでいて、度々喀血していた父親(演:田豐/ティエン・フォン)、父の死後、喉頭がんが見つかり、台北まで治療に行くも、その甲斐なく、急速に衰えて死ぬ母親(演:梅芳/メイ・ファン)、兄弟たちと一つ屋根の下で暮らしているにもかかわらず、死後数日してから死んでいることがわかった祖母。父の死に慟哭する母、母の死に号泣するアハ、祖母の遺体を動かす葬儀屋が兄弟たちに向けた「こうなるまでお前らは何をしてた」と責めているかのような厳しい視線…。いずれの死も、アハたちの心に大きな影を落とすが、とりわけ祖母の死は観ている小生にも堪えた。何がって、あの葬儀屋の視線よ、あの視線はぐさりと突き刺さった。まるで自分に投げかけられている気がした。

ガキ大将だった少年から、ちょっと不良を気取る青年になったアハは、恋をしたり、日本刀持ち出して他のグループと喧嘩したり、遊郭を経験したりと、大人への階段を上ってゆくわけだが、青年期のアハを演じた游安順(ユー・アンシュン)が、子役のアハからの雰囲気をいい具合に受け継いでいてよかった。無名だった彼はこの役をきっかけに、テレビドラマや映画で活躍するようになる。先日観た『大佛普拉斯(邦:大仏+)』にも出演している。

アハが思いを寄せる吳淑梅を演じた辛樹芬(シン・シューフェン)も、本作で発掘された。以降、『戀戀風塵(邦:恋恋風塵)』、『尼羅河女兒(邦:ナイルの娘)』、『悲情城市』と俟孝賢作品の主役級での出演が続いたが、その後は活動していないのが残念。

いくつもの美しい場面が散りばめられた本作だが、多くの人も語るように、小生もまた深く感銘したのが、「大陸(梅県)に帰ろう」とおばあさんが小学生のアハを連れて、家を出てからの展開。まず、サトウキビ運搬の貨物をけん引するSLが走るシーン。撮影時点でまだ台湾にはあの形式のSLが走っていたということかと、つい鉄おた視線で見入ってしまう。「梅江橋を渡れば梅県に帰れる」ことを信じて、田舎道を歩くおばあさん(かなり痴呆が進行している)とそれに付き合っているアハ。二人の姿がとても美しい。

茶店でかき氷を食べる二人。店員におばあさんは「梅江橋はどっちかね?」と聞くも、上述の通りおばあさんの話す客家語は通じない。「知らないみたいやねぇ」と店を出て、田舎道をひたすら歩く二人。

道すがら見つけた、たわわに実る芭楽(グァバ)の実を見つけてもぎ取るアハ。休憩させてもらった農家で芭楽を使って無邪気にお手玉するおばあさん。一瞬、故郷の梅県に帰れた気分になれたのか、ご機嫌だった。この数時間、映画上では数分間のアハとおばあさんの「冒険」が、実際におばあちゃん子だった小生の目じりを湿らせて止まなかった。こんなに美しい時間がありながら、おばあさんの気の毒すぎる最期に「なぜ?」という思いを抱かずにはおれない。なお、おばさん役の唐如韞(タン・ルーユン)は、その年の金馬獎で見事、「最優秀助演女優賞」に輝いている。

言ってみれば、まったく何の面識もない赤の他人の侯孝賢というおっさんの、極めて自伝的要素の強い映画だ。なのに、「自分の思い出のように」世界に入ってしまう。人の心の中にスイっと入り込む魔力を持った作品だと改めて感じた。同時に、小生自身の祖母の死に対する、後悔以外の何物でもない苦い思い出もよみがえるのである…。

【受賞など】

■第22届金馬獎
・最優秀助演女優賞:唐如韞(タン・ルーユン)
・最優秀脚本賞:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、朱天文(チュー・ティエンウェン)
・その他5部門でノミネート

■第6屆香港電影金像獎
・年度十大華語片:《童年往時》

■第36回ベルリン国際映画祭
・国際批評家連盟賞

2020 金馬影展 TGHFF | 童年往事

(令和3年7月16日 シネ・ヌーヴォ)


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