【反送中】九龍地区で大規模デモ 逃亡犯条例は「壽終正寢」

壽終正寢ってなんじゃらほい?

林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、7月9日、記者会見を行い、「逃亡犯条例の改正作業あるいは条例草案は已壽終正寢=すでに葬られた」と述べた。加えて「今回の改正作業は完全に失敗した」と認めた。で、結局最後まで「撤回」と口にしないのね。随分と強情なお方だ。この1か月ほどで、「暫緩=無期限延期」、「完全停止」、そして今回の「壽終正寢」と言葉を変えているが、決して「撤回」とは言わない。大したもんだ、色んな意味で。そこにまだ何か「政治的含み」を持たせているんじゃないかと、思わせる…。

壽終正寢って言葉、小生、中国語との付き合いはかれこれ35年以上になるが、初耳だな…。

一応、これで「悪法」は葬られたわけで、小生的にはこれでOKなんだが、香港市民的には「暴動発言の撤回」「衝突で逮捕された市民の釈放、起訴の中止」「警察の武力行使の責任追及」など、まだまだOKではない事の方が多いわけで、規模は縮小しながらも、「対警察、対特区政府」にシフトを移して今後もデモ活動は継続されるだろうと思う。

九龍大遊行、そしてまたもや警察との衝突に

さて、「已壽終正寢」会見の2日前の7月7日の日曜日、九龍地区での大型デモが挙行され、23万人(警察発表5万6千人)が、大陸観光客で賑わう尖沙咀(Tsim Sha Tsui)エリアを行進した。

あ、再び言っときますけど、「九龍」はあくまで「Kowloon=カオルーン」であり「がうろん」であり「きゅうりゅう」であって、決して「クーロン」ではないからね。少なくとも香港に「クーロン」なる地名は存在してないから。

実に壮観な図である。「尖沙咀」と大書された道路標識の下を、デモ参加の市民が行く。小生は、初めて目にする光景だ。普通、デモは政府関係庁舎や中国出先機関が集中する灣仔(Wan Chai)~金鐘(Admiralty)~中環(Central)で行われるが、今回は「中国本土からの観光客に逃亡犯条例の改正反対を訴える」ことも目的とされたため、九龍地区での開催となった。

ウォーターフロントをデモ隊が行く。海の向こうには香港島の高層ビル街。いつもはあのあたりでデモやってる。香港ならではの絵になる光景だが、くれぐれも海に落ちないように(笑)
by “信報”

通常の民主派デモは民間人權陣線(民陣)が主催するが、今回は劉頴匡(ヴェンタス・ラウ)なる弱冠26歳の男子の呼びかけによるものだ。小規模な政治団体の統一組織「社區網絡聯盟(Community Network Union)」の発言人であり、自身はその組織のひとつ「沙田社區網絡(Shatin Community Network)」の代表である。沙田社區網絡は、本土派(香港至上主義)の一派であり、劉自身も本土派である。

今回のデモで掲げた要求は、上の写真にもあるように、1)逃亡犯条例の完全なる撤回、2)6月12日の警察との衝突を暴動と定義したことの撤回、3)逮捕者の釈放と起訴中止、4)警察の武力行使の譴責、5)立法会と行政長官の完全普通選挙の実現 である。これは、返還記念日に立法議会場を一時占拠したデモ隊が、撤収時に発表したものと同一である。

ちなみに、立法会占拠で、示威者のほとんどが個人が特定されるのを恐れて、マスク、ゴーグルを装着している中、唯一、素顔を晒してこれらの宣言を読み上げた梁繼平(ブライアン・リョン)もまた本土派であり、香港大学在学中に『香港民族論』を著している。そういう意味では香港独立を標榜する港獨派と言っていいかもしれない。当の本人は、現在ワシントン大学の学生という身分だから、荒すだけ荒して、さっさと米国へ引き上げている。彼もまた前回記した「秀才造反、三年不成」のクチだろう。

「ゴーグル、マスクを外して氏素性を晒すことに後悔はない」と言うが、そんなんもんアナタは米国暮らしだから言えるのよ…。でも彼はこれからもかき回すだろうな。名前、覚えておいた方がいいよ
メディアの取材に応じる呼びかけ人の劉頴匡 by “RTHK”

今後も香港の動向を注視したいと思われるなら、この劉頴匡という名前もまた、心にとどめておいたほうがいいだろう。

ペニンシュラの前もデモ隊で埋め尽くされている。これはすごいなぁ。すごいなぁと言いながら、香港人もそろそろデモ疲れが出てくるんじゃないかなぁと心配になる。正直なところを聞かせてほしい、「飽きてこえへんか?」

by “明報”

当初の予定では、青いルートだったのが、2000人の参加見込みがなんと23万人にも膨れ上がり、当初ルートではまかないきれなくったため、彌敦道(Nathan Road)も開放せざるを得なくなった。これが結局、夜に衝突を呼んでしまうことに…。

by “端傳媒”

海上のプロムナードを行くデモ隊。もうねえ、香港人素晴らしいよ、ホンマ。毎週毎週、ご苦労さんです。たまには家でのんびりした日曜日を過ごしなさいと言ってあげたい。

厳戒態勢の西九龍駅がデモの終着点 by “信報”

大陸各地と香港を結ぶ高速鉄道の香港側終着駅が、西九龍駅。「中国本土からの観光客に逃亡犯条例の改正反対を訴える」ために、デモ隊が駅構内に大量になだれ込み、本土側出入境管理所(中国公安も駐在)への突入や大陸観光客の包囲なども予想されたが、大きな混乱は生じなかった。そこは、これまでのデモ記事でも記してきたが、香港人はきちんとわきまえているのだから、心配はない。ただ、一部の先鋭化した集団を除いては、のハナシだが。

とは言っても、不測の事態に備え、警察は西九龍駅周辺で厳戒態勢に。約1,500人の警官を配備し、香港鉄路には西九龍駅の2カ所の出入り口以外はすべて閉鎖、同日の高速鉄道の乗車券販売停止などを要求した。こうした対応により、香港鉄路では、この日の西九龍駅発着の高速鉄道利用者は約3万1,000人と、通常の週末のおよそ半分に落ち込んだ。

九龍半島の大動脈・彌敦道(Nathan Road)を埋め尽くしたデモ隊 by “蘋果日報”

上述した通り、予想をはるかに上回る参加者となったため、彌敦道(Nathan Road)も開放された。小生、彌敦道が歩行者で埋め尽くされたのを見るのは、1997年6月30日夜すなわち返還まであと数時間となった時以来である。あの時は、実際に興奮のるつぼと化したその中に身を置いて、小生もまた興奮せずにはおれなかったのだが、皮肉なことに、それから22年後、その返還が招いた災厄によって、今度は市民の怒りが彌敦道に渦巻いている…。

さて、デモ隊の一部は、彌敦道を北へと進み、旺角(Mong Kok)に達した。旺角は2014年の雨傘行動の際、デモ参加の市民や学生を黒社会と思しき一派が襲撃し、警察も交えて三つ巴で流血の惨事となった地である。また、2014年の農暦新年には、不法屋台の取り締まりに端を発し、本土派による暴動にまで発展した地でもある。

by “信報”

午後10時ごろには、沿道の市民も加わっておよそ1,000人が旺角一帯で彌敦道の全車線を占拠するに至り、警察と対峙した。

便利な世の中だ。この一触即発の現地の模様は、香港各メディアがネットを通じて生中継してくれる。もちろん小生も釘付けになっていたのだが、いかんせん、時差1時間が恨めしい。明日に響くと困るので、「ここからやがな!」ってところで、ネット中継から離脱。

午後11時になろうかというあたりで、警察はデモ隊の排除を開始した。さすがにこの日は催涙弾などは使用しなかったが、それでもかなり荒っぽくやっていた。警官襲撃や公務執行妨害などの容疑で逮捕者も続出した。

by “端傳媒”

こうして、九龍地区での大規模デモは、結局は市民と警察の一触即発という事態で幕を下ろしたわけだが、逃亡犯条例が「葬られた」これから先は、この夜のように市民vs警察という闘いに転じてゆく。何か、雨傘の時に似たような雰囲気でもあるが、小生としては、秩序を乱す集団があれば、警察には徹底的に取り締まっていただきたいと思う。小生ごときのIDチェックしている暇があったら、ぜひ、そっちの取り締まりに注力してもらいたい!

しかし、ホンマのホンマに逃亡犯条例が葬られたのか死んだのか見極めるには、もう少し観察した方がいいかもな…、なんて思わせてしまうほど、今の特区政府は信用を落としてしまってるということだ。それを世界中に改めて知らしめたことに、今回の一連のデモは意義があったかもしれない。よくがんばったよ、香港の皆さんは。



 


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